第86話 1027年 ファレーズ城

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 1027年 ファレーズ城 


 地面に転がったゴルティエは、すぐさま立ち上がろうとしたが、敵の騎士達に取り囲まれ、それは叶(かな)わなかった。
 斬られた右肩を左手で押さえる。その指の隙間から、大量の血があふれ出てくる。
 そんな彼を、5人の男達は馬上から睨(にら)み下ろしていた。
「こやつ‥ 小者(こもの)なのだろうが、どうにも目障(めざわ)りだ 」
「さっさと、殺してしまえ! 」
 この男を追跡中に、爆発事故で3人の仲間を失っていた。
 さんざん路地を走らされ、本隊ともはぐれてしまった。敵の騎士達が苛立(いらだ)つのも無理はなかった。
 槍を構えていた2人の騎士が、その切っ先をゴルティエに繰り出した。
 ゴルティエは思わず目をつむる。
「神様―――! 」
 その時、槍(やり)の騎士2人の背中が、突如燃え上がった。
グアッ! 」
熱(あ)ちッ! 」
 2人は馬から飛び降り、地面を転げ回った。
ヒーヒーヒー‥ 」
 その胴体に弓矢が次々と突き刺さる。
 2人は絶命していた。
 何が起こったのか、ゴルティエのみならず、敵の騎士達もすぐには判らなかった。彼らは、周囲を慌てて見回した。
 そして、騎士達の背後に2人の若者が立っている事に気づいた。
 弓を握るのは、プチ・レイ。その横にはグラン・レイの姿があった。
 2人はニヤリとした顔でゴルティエに声を掛けてきた。
「ナァニ、勝手に観念してんだよ。 俺達の事を忘れてもらっちゃ困るぜ♡ 」
「兄貴ィ‥ 俺達ゃ、どんな時でも一緒なんだからな! 」
「オ‥ オメーら‥‥ 」
 ゴルティエはグラン・レイ達の登場にいろいろな意味で感動していた。
 2人のレイモンを誘導していたのは、イタリア人傭兵ジャコモであった。
 彼は音もなく屋根を走り回り、ゴルティエを見つけて、グラン・レイ達に位置を知らせてくれたのだ。
 騎士達は怒りに充ち満ちた顔でグラン・レイ達を振り返った。
「まァだ、仲間がおったのか! 」
「皆殺しにしてやる! 」
 彼らは馬を返すと、グラン・レイ達に向かって突進してきた。
死ねェェェェェェえ‼ 」
 騎士達はいまだに、ゴルティエ達を殺すと息巻いていたが、彼らの自信がどこから来るのか判らなかった。ここは退却すべきところである。
 もし、自分達は長剣や槍、防具や馬があるから、相手よりも有利だと考えているのならば、それは大間違いである。
 10人いた彼らは、3人にまで減らされてしまった。一方、ゴルティエ達は4人に増えている。
 立場は逆転し、ひじょうに危険な状況にあるにもかかわらず、彼らはそれに気づいていなかった。
 グラン・レイは足元に置かれた大きな袋から、小さな素焼きの瓶(びん)を取り出した。瓶(びん)の口には布きれが詰められている。
 手にした松明(たいまつ)でその布先に火を着けると、迫り来る敵めがけてそれを投げつけた。
「これでも喰らえ! 」
 瓶(びん)は敵に当たると粉々に割れ、中に入っている医療用酒(アルコール)に引火する。
 グラン・レイは次々とその瓶(びん)を敵に投げつけた。
オラオラオラオラ‥ 」
 ガシャンガシャンと瓶(びん)が当たった3人の敵は、瞬時に火だるまとなった。
ワチチチチチ‥ 」
も‥ 燃えてる、燃えてる‥ 」
ギャ―――ア! 」
 瓶(びん)は馬にも当たり、そちらにも火が着く。
 いななきを上げながら、後ろ足で立ち上がった馬から、燃える3人の騎士が振り落とされる。
ぎゃん! 」
ゴバッ! 」
 ただし、この『医療用酒(アルコール)』の炎はそう強い火力ではない。また、長時間燃え続けるものでもないので、致命傷(ちめいしょう)となる事はまずないのだ。
 だが、身体(からだ)が炎に包まれると、人はとんでもない恐怖に陥(おちい)る。我(われ)を失い、おおいなる恐慌(きょうこう)をきたすのである。
 地面に落ち、必死に身もだえする3人の騎士に、プチ・レイの矢が射かけられた。
とどめだ! 」
 素早い連射で、燃える騎士達の胸や腹に矢が打ち込まれた。
 ようやく立ち上がったゴルティエは、左手でナイフを握ると、まだ息のある騎士のそばに歩み寄った。
 そして彼の傍(かたわ)らに跪(ひざまず)くと、燃えるその顔を覗き込んだ。
 騎士の大きく開かれた口の中で、舌がゆっくりと動く。
「た‥ すけ‥ て‥ 」
「ダメェ♡ 」
 ゴルティエは彼の目に深々とナイフを突き刺した。
 グラン・レイ達が現れてくれたお陰で、5人の騎士はあっと言う間に倒されてしまった。

「ありがとよ。 オメーらのお陰で命拾いしたよ 」
 ゴルティエは、プチ・レイに肩の傷を止血してもらいながら、彼らにお礼を言った。
 それに、グラン・レイとプチ・レイが答える。
「なァに、気にするコタァねェや! 俺達の仲じゃネーか。 それよりも、問題はこれからさ! 」
「まったくだ兄貴‥ 兄貴の手伝いをしに来たのは俺達3人だけなんだゼ。 他の者(ほかのモン)達ゃ、外城門を守らなきゃならネーからな 」
 ゴルティエはそれに頷(うなず)いた。
「ああ‥ 判ってる。 けど、敵は最初の予定よりもずっと多く生き残ってる。 このままじゃ、『領主の館(メヌア)』も城門も守り切れやしない。 だからこそ、もう一度街を燃やさなきゃならないんだ! 」
「けど‥ そんな大仕事、俺達だけでできんのかな? 」
 プチ・レイは訝(いぶか)しげに眉を顰(しか)めた。そんなプチ・レイの肩をグラン・レイがドンと叩く。
「大丈夫よ! 今までだって、俺達3人が揃(そろ)えば無敵だったじゃネーか。 絶対に勝てねェって言われた勝負にも、何度も勝ってきただろう!? 」
 ゴルティエもグラン・レイの意見に同意した。
「確かにそうだ。 ロッシュ村の奴らともめた時だって、ギブレーのチンピラ達と喧嘩した時だって―――10倍近い人数や強力な武器を持った相手でも、俺達は常に勝ってきた! 」
 2人に励(はげ)まされたプチ・レイは、ちょっと照れ臭そうに強がってみせた。
「んなコタァわかってるよ! 俺だってマジで心配してたわけじゃネーんだからさ。 ただ、ちょっと言ってみただけ 」
 プチ・レイはチラリと上に視線を送った。
「それに、今日はジャコモさんもいるしね♡ 」
 屋根の上に腰掛けていたジャコモは、彼らが何を話しているのか判らなかったが、自分の名前が出た事には気づいたようで、3人にニコリとした笑顔を返した。
「ヨシ! じゃあ、ジェローム子爵の屋敷に行こう。 そこを燃やしたら、次はいけ好かない毛織物商、オリヴィエの家だ! この二軒に火がつけば、街全体が燃え上がるに違いない 」
「楽しみだ 」
「ワクワクしてきた♡ 」
 不安を振り払うように笑顔を浮かべた3人と1人は、東に向かって路地を走り出した。


 教会とティボーの屋敷から発生した火災は、おりからの強風に煽(あお)られて、中央広場の周囲に広がっていった。
 炎はどんどんと勢いを増し、街の西側へ向かっていく。
 それは、すっかり弱まった氷雨(ひさめ)などに負ける事なく、周囲の家屋を呑み込んでいった。
 たびたび、ドォ――ンという爆発音も聞こえてくる。大きな屋敷に設置された医療用酒(アルコール)に引火したのだろう。
 それによって、火災はさらに大きくなっていくのだった。

 強い雨で火勢が弱まったと安堵(あんど)した敵騎馬本隊は、体勢を立て直すべく広場の西側に集結しはじめていた。ところが、頼みの雨は急速に弱まり、火事はふたたび強く大きくなっていた。
 さらに、丘の頂上に立つ『領主の館(メヌア)』からは、笛や太鼓、大きな拍手などとともに、歌声まで聞こえてくる。大きな旗も振られていた。
 それは異様な光景であった。
 そんな状況に、敵騎士団が混乱しないはずがなかった。
 敵副官はざわめく50騎余りの騎士達を横目に、指揮官のもとへと向かった。
「ヴィルヘルム殿‥ 我々に向かって炎が迫っております。 それに、『領主の館(メヌア)』の騒ぎよう―――なにやら、いやな予感がいたしまする。 ここは館(やかた)への再攻撃をひとまずあきらめ、当初の予定通り、いったん城外へ退避してはいかがでしょうか 」
 だが、ヴィルヘルムはその意見に否定的であった。
「いや‥ むしろ、この雰囲気はわざとらしいとさえ思えるぞ。 火事の再燃といい、城の騒ぎといい―――なにか取って付けたようだ。 これはおそらく、奴らの罠(わな)に違いない。 あの騒ぎも、我々をその罠に誘い込むためか、逆に罠を隠すためか―――そのどちらかであろうと推測される 」
「な‥ なるほど。 という事は、その罠こそ敵の弱点となり得るのでは? 」
「そういう事だ。 幸いにも、まだ西側は大した火事となっておらん。 我々は西側の城壁に沿(そ)って丘を登り、館(やかた)へ再攻撃を仕掛ける事とする 」
「は‥ はい‥ 」
 その時、2人のもとへ1騎の騎馬が走り込んできた。
「申し上げます。 『領主の館(メヌア)』へと戻ったアルフォンス隊20余騎が、城内からの猛攻を受け、全滅したもよう 」
ナニィ!? 」
 伝令の報告に、ヴィルヘルムは大きな声を上げた。まさにその瞬間、西側の屋敷で巨大な爆発が起こった。
クバッ! 」
 その強烈な熱波は、屋敷のそばにいた10騎ほどの騎士達をいっぺんに吹き飛ばす。
 さらに、その5軒北側にあった屋敷も激しい炎で燃え上がったのである。
「ナンだ? どうした? 」
「何が起こっている? 」
 騎士達はますます混乱していった。
 火災は瞬く間(またたくま)に西側にも広がり、広場の東、西、北を炎で包んでいったのだ。
 彼らが逃げられるのは、もう南側しか残されていなかった。
「城門へ向かえ! いったん、街から脱出するんだ! 」
 ヴィルヘルムは部下達にそう叫んでいた。


 アルフォンスらの一団は広場に集結する途中、ヴィルヘルムら本隊とはぐれてしまった。そんな彼らは広場側からの大火に追われて、『領主の館(メヌア)』の方へと逃げるしかなかった。
門を開けろ! 我々を中に入れるんだ 」
約束しよう。 そちらに危害はくわえない。 命の保証はしてやるから‥ だから、この門を開くんだ 」
 騎士達は命令口調で叫んだ。だが、そんな居丈高(いたけだか)な態度に対するファレーズ側の返答は、大量の火矢であった。
 城壁の回廊(かいろう)に立つ警備兵や市民ら40人によって、火矢が射かけられたのである。
 23人の騎士達もそれに応戦し、弓を打ち返した。
 さすが戦闘のプロである。かなり不利な状況であるにもかかわらず、1の矢、2の矢で、50本近い弓矢を放ち、城内の2人の警備兵と3人の下男、1人の女中にそれを命中させた。
 ただし、それらに致命傷はなく、全員がかすり傷ですんだ。
 一方、上に立つ城側は圧倒的に有利であった。また、矢の在庫も大量にあったのである。
 ファレーズ側は際限なく弓を打ち続けた。射手(しゃしゅ)の半分は素人であったが、『数打ちゃ当たる』作戦は成功していた。
 襲ってくる大量の火矢に、何人もの死者や負傷者を出した敵騎士団は、その戦闘力が半分になってしまった。
もういい、やめろ! 」
やめるんだ! 」
 しかし、それでもファレーズの矢は容赦(ようしゃ)なく降り注いだ。
 大打撃を受けた騎士らは、夥(おびただ)しい弓矢を躱(かわ)すため馬から降(お)り、物陰に隠れるしかなかった。
 そんな彼らの背後で絶叫が上がる。
火だ! もう、すぐ後まで火がきてるぞ! 」
周りがすべて火に包まれてしまってる! 」
 戦闘に夢中で気づかなかったが、ほんの僅(わず)かな間に火災は彼らのすぐ背後にまで迫っていた。
 彼らは完全に逃げ場を失っていたのである。

 立ち上がったアルフォンスらは、腰の剣を捨て、大きく両手を振りながら『領主の館』へと声を掛けた。
おォ―――い‥ やめろ、やめてくれ! 」
我々は武装解除に応じてもよい。 だから、ここはいったん休戦しようじゃないか 」
火が迫ってるんだ。 我々も館(やかた)の中に入れてくれ。 跳ね橋を下ろすんだ 」
このままじゃ、俺達は焼け死んでしまうから 」
頼む、助けてくれ! 」
 騎士達は館に向かって必死に懇願(こんがん)した。
 それに応えるかのように、館(やかた)からの攻撃がピタリと止まる。
「おォ―――お♡ 」
 自分達の願いが聞き入れられたと思った騎士達は、歓喜の声を上げた。
 しばらくして、女の声があたりに響いた。回廊(かいろう)に立ったエルレヴァの声である。
 彼女は大きな声でアルフォンスらに尋(たず)ねる。
「我々が、あなた方を助けてやる理由はなんですか? わたしにはそれが判りません 」
「そ‥ それは神のお慈悲(じひ)というか‥ 憐(あわ)れみというか――― 」
 エルレヴァは、取り繕(つくろ)おうとする騎士達に内なる怒りをぶつけた。
「何が『慈悲(じひ)』よ、何が『憐(あわ)れみ』ですか! あなた達みたいな人に、神のご加護(かご)があるとでもお思いですか? あなたらは、罪もない街の人達を大勢殺したんですよ。 わたしの侍女だった『ソフィア』や職人の『レミ』、『歯抜けのジャック爺さん』、幼なじみの『ジゼル』、パン屋の『フランソワ』、理髪師(バルビエ)の『アンリ』、八百屋の『バンワ』‥‥わたしは、知人の死体を山ほど見たわ。 そして、その殺人をあなた達が笑いながら―――楽しんで殺していた事も知っている 」
「‥‥‥‥ 」
「そんな、悪魔のような者どもに与える『慈悲(じひ)』や『憐(あわ)れみ』は、この街には存在しません 」
 切羽詰(せっぱつ)まった騎士達は、両手の指を組み合わせ、神に祈るようにして必死に哀願(あいがん)した。
「そんな事を言わず、お願いします! 」
「許してください。 もう二度と人は殺しませんから 」
「もう焼けそうなんです。 だから中に入れてください 」
 だが、エルレヴァはその申し入れを、がんとして聞き入れなかった。
「このまま立ち去りなさい。 そうでなければ、その場で燃え尽きるがいい 」
 エルレヴァの厳しい怒声にあきらめたのか、騎士達はなんとか活路を見いだそうと、火の中に飛び込んでいった。
 だが、彼らのほとんどはこのまま焼け死ぬ事になるだろう。
 エルレヴァは若干の後ろめたさを感じていたが、それでも凜(りん)として城下を見下ろしていた。


 ジェローム子爵とオリヴィエの屋敷に火を放ったゴルティエ、グラン・レイ、プチ・レイ、そしてジャコモの4人は、必死に走っていた。
「コッチだ。 そこを曲がれ! 」
「アチチチチ‥ コッチは火の粉が凄いぞ。 」
 通りの左右の家々は激しく燃え盛り、大量の煙と熱、そして無数の火の粉を撒(ま)き散らしていた。
 躊躇(ちゅうちょ)する2人のレイモンに、ゴルティエが声を掛ける。
「大丈夫だ。 この路地を抜ければ、その先は防火帯になってるはず。 そこからなら城壁の西側に出られる。 だから、躊躇(ためら)わずに突っ込め! 」
「わ‥ わかった! 」
「よし、いこう 」
 4人は一気に火の中に飛び込んでいった。
 傷ついたゴルティエの右肩は、激しい動きの連続で何度も激痛に苛(さいな)まれた。だが、傷をかばってもたもたしていると、炎に捲(ま)かれてしまう。
 それほどまでに火勢は強烈なのだ。まもなく、街全体が燃え上がる事は間違いないだろう。
 彼らは安全な西側の壁に沿って、外城門を目指す事にした。


 もともと100騎近くいた騎馬団本隊は、50騎ほどまでに減少していた。20人以上いた歩兵も、今はちりぢりとなり、誰1人として残っていなかった。
 炎に追われた彼らは、つぎつぎと分裂していくしかなかったのである。
 そしてその大半は、火に襲われ、倒壊した建物の下敷きとなり、また敵の弓矢などで死んでいった。
 今朝(けさ)、騎士団が勝ち誇ったかのように城下を通過し、『領主の館(メヌア)』へと向かった後、街の大通りは幾重にも封鎖され、複雑な迷路が作られていた。
 いま、街から逃げ出そうとしている彼らは、その巨大な迷路となった城下町を、何度も迷いながら進むしかなかったのである。
クソッ! コッチは、行き止まりだ 」
お――い、ここは通れるみたいだぞ 」
むこうはダメだ。 火が強すぎて進めない 」
 メキメキメキ、ズッシ―――ンと建物が崩れていく音が響く中、騎士達の混乱した声や悲鳴が重なって聞こえてくる。
 中には、あまりの熱さに井戸の水を被(かぶ)ろうと考える者もいた。だが、井戸の水の上には木の蓋(ふた)が乗せられていて、落とされた釣瓶(つるべ)を受け付けなかった。それほどまでに、ゴルティエらの仕掛けは徹底していたのである。
「なぜだ―――? 」
 次々と死んでゆく部下を目の前にして、さしもの指揮官ヴィルヘルムも気が動転していた。
 昨日、ファレーズに到着する前は、これが簡単な仕事だと考えていた。
 警備兵がわずか20名ほどいるだけのファレーズを、100騎を超える騎士団で襲うのである。4、5名の負傷者は覚悟していたが、全員が無事生還できると信じていた。
 それがいまや、半数以下となっていた。全滅の可能性だってある。
 どうしてこんな事になってしまったのか‥‥何がどこで狂ってしまったのか―――ヴィルヘルムには見当もつかなかった。