第95話 1027年 リジュー・フェビアン家(1)

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 1027年 リジュー・フェビアン家(1)

 頼純と『カラス団(コルブー)』の一行は、ファレーズとルーアンの中間にある農村・リジユーに到着した。
 今夜はこの土地の豪農・フェビアン家に宿泊する事になっていた。ゴルティエの父・フルベールに紹介してもらった宿である。
 一行が下男(げなん)に案内され、屋敷の食堂へ通されると、そこには先に到着していたピエトロとフィリッポがいた。テーブルに腰掛けた二人は早くも酒盛りをはじめている。
「よう、大将‥ 遅かったじゃネーか 」
「先にはじめてましたぞ♡ 」
 彼らは頼純達よりも後発で、昼過ぎにファレーズを出発したのだが、馬を使い、なおかつ頼純達のように途中で聞き込みをする事もなかったので、かなり早くに到着していたのだ。
 すでに酔っているのか、二人は砕けた口調だった。
「おう! 待たせたな 」
 頼純も二人にニヤリと笑顔を返した。

 ヴェネチアの大商人、ロレンツォの隊商(カラヴァンヌ)を警護していたイタリア人傭兵(ようへい)隊はすでに解散していた。ロレンツォが計画していた、日本(ワクワク)・中国(スイーン)へ向かう『西航路横断』の大冒険が取りやめになったからである。7人のイタリア人傭兵(ようへい)の内、5人はすでに帰郷していた。
 しかし、ピエトロとフィリッポの二人は頼純の元に残ったのだ。彼らは頼純のそばにいれば、ドキドキするような事件に次々と遭遇(そうぐう)できるはずだと確信していた。二人は常に刺激を求め続ける冒険家(アヴェントリアーロ)なのだ。さらに、彼らはフランス語が話せるため、こちらでの日常生活にも不自由がない。
 ピエトロ達は現在も以前と同じように、『カラス団(コルブー)』達を『探索方(たんさくがた)』にすべく育成にあたり、その仕事で給金をもらっていた。その額は、傭兵時代の半分にも満たなかったが、金銭が目的でない彼らはそれで満足していた。

 その晩は、ドラゴン退治の『勇者様』と、100騎もの傭兵(ようへい)軍団からファレーズの街を救った『英雄』達が来訪したという事で、リジュー中の村人が集まって大宴会となった。
 やがて夜も更(ふ)けていくと、当初500人ちかくいた村人達も、女子供を中心に三々五々(さんさんごご)家路についた。グラン・レイら『カラス団(コルブー)』達も昼間の疲れが出たのか、ひとりふたりと用意された寝台に潜(もぐ)り込んでいく。
 残ったのは50人ほどの酔っぱらい達であった。
 酔いが大いに回った彼らは、肩を組んで歌い続ける者、意味もなく笑い続ける者、坐った目で天井を睨(にら)みながらそれでも酒のボトルを煽(あお)る者、ワケの判らぬ愚痴(ぐち)を延々(えんえん)と吐き続ける者、迎えに来た家族に抵抗し柱にしがみつく者、壁にもたれ掛かっていぎたなく眠る者、テーブルの上に大の字になって寝る者、寝小便を漏らす者、起きたままウンコを漏らす者などなど‥‥タチの悪い酔客(すいきゃく)ばかりになっていた。
 そんな中、ピエトロとフィリッポは上半身裸になり、酔っ払い達の歌声に合わせて踊っている。周囲からはヤンヤの喝采(かっさい)を受けていた。
 そんなノリノリのふたりに、頼純はそっと声を掛けた。
「ちょっといいかな? 」
「あ‥ はい‥ 」
 三人は千鳥足(ちどりあし)で広間から表へと出た。ピエトロ達はかなり―――というより、ベロベロに酔っ払っている。
 頼純は屋敷のはずれにある石垣まで進むと、その足を止めた。もはや、周囲には誰もいない。
「レ‥ な‥ なんなんレすか、大将‥? 」
 ピエトロは手にしたチュニックに頭を通しながら、ろれつの回らぬイタリア語で尋(たず)ねた。
 二人の前を歩いていた頼純が振り返ると、彼もイタリア語でそれに返した。
「申し訳ねェんだが‥ オメーらにゃ、明日(あした)っからブルゴーニュに行ってもらいてーんだ。 そして、しばらくあっちで情報収集を続けてほしい 」
 ブルゴーニュは、後にボルドーと並ぶ二大ワイン生産地となるフランス中東部の地域である。
 ピエトロとフィリッポは服を着る手を止めた。
「ブ‥ ブルゴ‥ ブルゴーニュ? ブルゴーニュレすか‥? 」
「いいすけど‥ なんレレレ‥? 」
 3人は石垣に腰を下ろした。暗闇の中、10ピエ(約3メートル)ほど下には花畑が広がっている。
 頼純は、隣に座るピエトロとフィリッポにすまなそうに本題を切り出した。
「まあ‥ 本当なら俺が行かなきゃならネーとこなんだけどよ‥‥ 俺ときたら、このナリだし、このご面相(めんそう)だ‥ まったく、目立ってしょうがねェや。 なんてったって、こういう仕事は隠密行動が肝要(かんよう)だからな。 そこで、フランス社会にも違和感なく溶け込めるオメーらに頼むしかネーんだ 」
「レレ‥ あのあの‥ じょ‥ 情報収集って―――向こうレ‥ 何を調べるんレすか‥? 」
 トロンとした目を向けるピエトロ達に、頼純は真顔で答えた。
「実は‥ 傭兵(ようへい)団を雇ってファレーズを襲撃させた真犯人なんだが――― 」
「は‥ はい‥ 」
 一拍の間(ま)をあけた後、頼純は意を決して自分の推理をふたりに告げた。
俺は‥ ブルゴーニュ伯ルノー1世じゃネーかと睨(にら)んでんだ!
「ふ~~~ん‥ そうなんだ‥ 」
 この重大発表に、ピエトロ達のリアクションは薄かった。
『え~~~え! 』と大声で驚くだろうと予想していた頼純は、すっかり肩すかしを食らってしまった。
「ほれで、そのルノー1世って誰でしたっけ? 」
「あのォー‥ ほら‥ なんかさ‥ えっとォ―――今年の新年会に乗り込んレきてェ‥ 行方不明になった父はどこだ(ろこら)って―――大騒ぎした人じゃなかったっけ‥? ‥‥‥あのロベール伯爵様の義理のお兄さん? 」
 ふたりは酔いで頭がよく回ってないようだ。頼純の言葉を理解しているのかさえあやしい。
 重要な話をするのは無理だったかもと、頼純は思い始めていた。
「いや‥ たしかに、ロベール伯より10歳以上年上なんだけど‥ 妹のアデレード殿と結婚したんで、ルノー1世は義理の弟になるんだ――― 」
 チュニックに頭を通しただけのフィリッポは思い出したのか、それに大仰(おおぎょう)に反応した。
「はいはいはいはいはい‥ えと‥ えと‥ た‥ たしか、その弟君の父上がカーンで行方不明になって‥ トレノ村がどうした、こうしたって‥? 」
 チラチラと目に入るフィリッポの両乳首に気恥ずかしさを感じながら、頼純は頷(うなず)いた。
「そ‥ そう! ルノー1世の父・オット=ギヨーム伯は昨年の12月某日、カーンで行方不明になってんだ。 そしてその同じ日‥ そのカーンから船で1時間ほどの『ひなげし食堂』を、俺と『カラス団(コルブー)』達が襲撃した。 誘拐した子供を殺して調理し、客に振る舞っていた経営者夫婦とそこにいた客達―――十数人の貴族や大富豪を皆殺しにしたんだ 」
「そーそー‥ そうだった、そうだった‥ 」
 ますます不安になった頼純は、
「いや‥ 俺の話、判ってる? 判んないなら、明日の朝あらためて話すけど‥‥ 」
 チュニックに頭と右袖(みぎそで)を通しただけのピエトロが、
「判ってますよ、判ってます‥! なあ‥!? 」
 と、フィリッポを振り返った。
「う‥ うん‥ 半分は判ってる‥‥ あ‥ 三分の一くらいかなァ‥ 」
 頼純はやはり無理だと確信した。
「じゃあ‥ やっぱり、今夜はやめとこうか‥ 」
 ところがそう言った途端、ピエトロとフィリッポは坐った目で頼純を睨(にら)み付けてきた。
おいおいおいおい‥ ここまで話したら最後まで話せや! カッコつけてんじゃネーぞ! 」
肛門からウンコ、半分顔出してんのに、それ引っ込めるみてーな感じだぞ。 気持ち悪ィワ! 」
「いや‥ カッコもつけてネーし‥ ウンコはまったく関係ネーと思うけど‥‥ 」
 いつになくぞんざいな口調のふたりに、頼純は彼らの酩酊(めいてい)ぶりを知り、己(おのれ)のタイミングの悪さを後悔した。
「まあ、じゃあ‥ 一応話すけどさ、明日朝あらためてもう一回説明するから―――この場はザッと聞いといて♡ 」
「いいから、さっさと話せ! 」
 ピエトロが偉そうに言った。
 フィリッポはピエトロほど乱暴な口調ではないが、上半身をゆっくり前後に揺らしながら、これまでの話しをまとめた。
「つまり―――だ‥ ルノー伯爵のオヤジさんは、子供を喰ってた悪魔だったって事でしょう? そんで、そのオヤジを『カラス団(コルブー)』が殺しちゃった! だから――― 」
 頼純はそれを否定した。
「いやいや‥ そうとは言い切れネーんだ! 『ひなげし食堂』は火事で何もかも燃えてなくなっチまったし‥ 焼け跡に転がっていた10数体の焼死体は墓地に葬(ほうむ)られる事なく、川に捨てられた。悪魔崇拝者(すうはいしゃ)だった奴らの埋葬(まいそう)を、教会が拒否したからだ。 さらに、奴らが持っていた高価な長剣(エペ)や宝飾品なんかも、近くの住人達がすべて盗み、すでに売却されている。 だから、そこに誰がいたのか―――証拠はいっさい残ってネーんだ 」
「ふ~~~ん‥ なるほどねェ‥ 」
 ピエトロは目を閉じて腕を組むと、何度も頷(うなず)いている。いまだチェニックの左袖(ひだりそで)は通っておらず、カッコつけてもその姿は間抜けにしか見えない。
 頼純は、ピエトロがこのまま寝てしまうのではないかと思いながら、それでも最後まで話す事にした。
「問題は‥ その中にオット=ギヨーム伯がいたのか、いなかったのかってー事じゃねェ。 ルノー1世が、父親を殺したのはロベール伯だって思い込んでる事さ! 」
「‥‥‥ 」
 頼純はふたりを見詰めた。
「正確に言うと‥ ロベール伯が俺を使ってオット=ギヨーム伯を殺したんだと―――ルノー1世はそう信じ込んじまったんだ! 」
 ぼんやりと暗い花畑に目を向けたまま、意味もなく自分の顎(あご)を触り続けるフィリッポが、また話しをまとめはじめた。
「え~~~っと‥ という事はつまりィ‥ 父親を殺された復讐のためにィ‥ ブルゴーニュ伯は傭兵(ようへい)を雇って、ファレーズを襲撃させたと―――そういう事? そういう事か? 違うか? 」
「違わない。 そういう事だ‥! 」
 頼純が突っ込んだ。
 失踪(しっそう)の日付とその位置から、オット=ギヨーム伯がその中にいた可能性があった。それゆえ、ロベールと頼純はルノー1世の疑いをはっきりと否定しなかったのだ。
 だが、その曖昧(あいまい)な態度が、ルノーの疑義(ぎぎ)を確信に変え、今回の惨事へとつながってしまったのではないか―――頼純はそう考えていた。

「なるほろ‥ そういう―――ワッ! 」
 悲鳴とともに石垣の下でドサリと音がした。
 頼純が慌てて音の方に目をやると、花畑の中にピエトロが俯(うつぶ)せで倒れている。チュニックの左袖(ひだりそで)を通そうとしてバランスを崩し、石垣から転落したようだ。

「やっぱり、明日話せばよかったよォ‥! 」
 完全に気を失っているピエトロを担(かつ)いだ頼純は、ブツブツ文句を言いながらフェビアン家の母屋(おもや)へと戻った。
 幸いにも、ピエトロの傷は大したことなかった。ひたいに大きなタンコブができたていどだ。ピエトロのタンコブに濡らした布をあてると、3人はしばしの仮眠をとる事にした。
 それでも、頼純は夜明け前には目を覚まし、ピエトロ達ふたりを起こす。
「酔い覚ましに、木桶(バケツ)の水をかぶってこい! 」
「は‥ はい‥ 」
 ピエトロとフィリッポは井戸の水を3杯浴びると、顔と頭をこすって刺激し、体内の酒気を追い払った。
 ビショビショになったふたりが食堂に戻ると、頼純がテーブルに坐って待っていた。
「飲め! 」
 テーブルの上には、大きな木製のコップが二つ置かれている。
 椅子に腰掛けたピエトロとフィリッポは、ムスッとした頼純に促(うなが)されて、恐る恐るコップの中身を口に含(ふく)んだ。すると口内(こうない)にさわやかな甘味(かんみ)が充満する。
「朝食当番の下女に作ってもらった蜂蜜湯(はちみつとう)だ。 コイツを二杯飲んで完全に酒を抜くんだ! 」
「は‥ はい! 」
 ピエトロはひたいのタンコブをこすりながら、苦笑いを浮かべた。頼純のきつい態度から、昨夜酔っ払った自分達が、かなりの失敗をしでかしてしまった事を悟っていた。

「いやはや‥ 30もとうに過ぎたというのに‥ まことに、お恥ずかしい次第(しだい)です‥♡ 」
「まったくだ! まあ、それでも‥ 大酒飲みのピエトロはいたしかたないとしても‥ それを止めなきゃならねェフィリッポまでがベロベロに酔っ払っちまって、どうすんだよ!? ンな事じゃ、危機に対応できネーぞ! 」
 頼純の苦言に、フィリッポは謝罪し弁明(べんめい)をのべた。
「申し訳ありません。 楽しかったというか、酒がうまかったというか―――それで、つい‥‥ 」
「ホント! ここのリンゴ酒はスゲー美味いですから。 もう、飲む手が止まらんのです 」
「言い訳はいい。 本題に入るぞ! 」
 それから頼純は、昨夜の話しをはじめから語った。

「なるほど‥ 確かに、100騎を越える傭兵(ようへい)軍団を雇えるほどの莫大(ばくだい)な財力がある者は、そうそうはいないですからねェ‥ 」
 2杯目の蜂蜜湯を飲み干したピエトロが独りごちた。
「それに、ロベール伯に恨(うら)みを持っている者も――― 」
 ピエトロに同意するフィリッポは、酔いもかなり覚(さ)めたようだった。
 そんな二人に、頼純はさらに語った。
「まあ‥ ロベール伯を殺してェって野郎は、他にもいるかも知んネーけどな。 現に、俺達が最初にロベール伯と出会った時だって、あの人は誰かに雇われた山賊から襲われてたじゃネーか 」
「そうだった‥ 『ドラゴン退治』の時も、アンデーヌの森で毒を盛られましたし――― 」
 ピエトロが相槌(あいづち)を打った。
 
 頼純は夜明け前の誰もいない食堂をゆっくりと見回し、彼らの会話を聞いている者がいない事を確認した。
「ただ‥ 今回の真犯人だけは、ルノー1世だという気がしてならネーんだ。 あの燃え上がるファレーズ城を思い出すたびに、なぜかいつもあの野郎の顔を思い浮かべてしまう 」
「けど‥ それってなんの証拠もないんですよねェ‥!? 」
 フィリッポが訝(いぶか)しげに眉を顰(ひそ)めると、ピエトロがボンッとその肩を叩いた。
「バァ~~~カ! こりゃ、ヨリの大将の『勘』だぞ。 我々は、その『勘』のお陰で、何回命を救われたと思ってんだ? 俺はヨリ殿の『勘』なら、無条件に信じるね 」
「そりゃあ、そうだけど‥ 」
 頼純は自分の推理をさらに付け加えた。
「ただし‥ あの襲撃は、父親を殺された事に対する復讐ってだけじゃないと思う‥‥ 」
 ピエトロとフィリッポは顔を曇(くも)らせた。
「え!? 」
「そ‥ それって、どういう意味ですか? 」