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1027年 ファレーズ城
ゴルティエら救出隊の一行は、暗闇の中でも迷う事なく、ファレーズの外城壁(そとじょうへき)まで辿(たど)り着く事ができた。あたりはすでに真っ暗になっている。
丸太作りの高い塀には、降りる時に使ったロープ2本がまだ残っていた。
ゴルティエとグラン・レイはそのロープを伝って、先に外壁をよじ登った。
二人は頂上まで登りきると、城壁の裏側に立て掛けてあったハシゴに足を乗せる。
「ヨシ、いいぞ 」
足場を確保したゴルティエが、塀の下にいるブノア達に声を掛ける。
ブノアとフィリッポは、二本のロープの端にそれぞれ10プース(約27センチ)ほどの輪っかを作ると、その中にエルレヴァが乗った担架の棒の両端を入れた。
担架は2本のロープで水平に吊り下げられる。担架の毛布部分がエルレヴァの体重で沈み、二本の棒が引っ付く。担架は彼女を包み込むように閉じられたのだ。なんの固定もしていないのに、毛布が棒からはずれる事もなかった。
これらの段取りは、すべてシュザンヌの指示である。
壁の上のゴルティエとグラン・レイは2本のロープを慎重に引っ張り上げていく。
「静かに‥ 揺(ゆ)らすなよ。 重心を保(たも)って‥‥ 」
担架はなかなかに重かったが、それでも何とか塀の頂部(ちょうぶ)まで引き上げる事ができた。
ゴルティエ達は、担架に掛けられたロープをはずすと、それを落とさないように、息を合わせてゆっくりとハシゴを下りていった。
「姉ちゃん‥ しっかりしろ! もう、ちょっとだ。 頑張れ! 」
城内へと降り立った二人は、そのまま担架を担(かつ)いで走って行く。
「さあ‥ 『領主の館(メヌア)』まで、ひとっ走りだ! 」
一方、ブノアとフィリッポは、ゴルティエ達がゆっくりとハシゴを降りている間に、ロープにつかまって塀の上まで登っていた。
塀の下では、シュザンヌがロープの先に作られた輪っかの中にさらにロープを通して、大きな輪っかを作っている。
毛布にくるまったドゥダは、立つのもやっとという状態である。
シュザンヌはそんな彼女の体に大きな輪っかを通した。
「ちょっとだけ、体を支えてて。 この輪の中に入るの 」
そう言いながら、ドゥダの腋(わき)あたりでロープが止まるように調整する。
シュザンヌはサミーラにも同様にしてロープの輪を掛けた。
「あなたも頑張って。 この塀さえ越えれば安全だから 」
2人にロープを掛け終わったシュザンヌは、ブノア達を見上げて、ロープを引っ張った。
「いいわよ。 上げて 」
その声に、塀の上のブノアとフィリッポはドゥダ達を引っ張りあげていく。いくら女とはいえ、人ひとりを30ピエ(約9メートル)の高さまで引っ張り上げるのだから、かなりの重労働である。エルレヴァの担架よりもかなりしんどく、時間も掛かった。
フィリッポとブノアは、頂上まで到着したドゥダとサミーラからロープをはずし、抱きかかえて下まで連れて行った。
サミーラ達を城内の地面に下ろすと、フィリッポ達はふたたびハシゴを登っていく。
サミーラ達が内側の地面に降り立つのを待つ間、シュザンヌはふたたび下ろされたロープの輪の中に自分の体を通していた。
夜になって、敵兵の姿はほとんど見かけられなかったが、それでもいつ彼らが現れるか判らない。にもかかわらず、塀の外側にいるのはシュザンヌだけなのである。
しばしの間、守ってくれる者が誰もいない彼女は、緊張した面持ちで周囲を警戒していた。
そんな彼女の体が急に宙に浮く。
ブノアがシュザンヌを引っ張り上げてくれているのだ。
彼は、ロープを引きながら自らハシゴを下りていく。腕の力だけでシュザンヌを引き上げるより、自分の体重を使った方が楽だからである。
彼女が上へと昇っていく横を、フィリッポがもう1本のロープで降りてきた。彼はこれから、ルーアンにいる頼純やロベール伯に報告に向かうのだ。
その途中、フィリッポはいったん下降を止め、隣のシュザンヌに話し掛けてきた。
「シニョーラ‥ 私は『アンタ』でも『おじさん』でもありませんから。 名をフィリッポと申します。 美しいアナタに、またふたたびお会いする事を楽しみにしておりますぞ 」
そう言うと、彼女に投げキスをした。
「では、チャオ♡ 」
さすがイタリア人である。こんな時でも、女性を口説(くど)く事は忘れない。
シュザンヌはちょっと驚いた顔で頷(うなず)いた。
「は‥ はい‥ 」
シュザンヌはそのまま壁を昇っていく。
彼女はサミーラとさほど体重は変わらなかったが、元気な分だけ体をきちんと支える事ができ、自身も登ろうと努力したので、半分ほどの時間で高い塀を乗り越える事ができた。
そんな彼女をフィリッポはジッと見上げていた。
フィリッポのシュザンヌへの口説(くど)き文句は、いつもの冗談や軽口ではなかった。ましてや、挨拶(あいさつ)代わりでもない。
強固であろう敵の包囲網を抜ける事は容易ではないのだ。彼が敵に捕縛(ほばく)され、殺害される可能性も十分にあり得た。
フィリッポはかなり切迫した危険の中にいるのだ。
そんな彼にとって、シュザンヌへの口説(くど)き文句は、『必ず生きて帰る』という決意の現(あらわ)れであり、自分に向けた応援であった。
全員が安全な城内に退避した事を見届けたフィリッポは
「さて‥ では、敵中横断をはじめるといたしますか‥ 」
と、闇の中へ消えていった。
シュザンヌらは、エルレヴァを乗せた担架を運ぶゴルティエ達を追い掛けた。
しかし、ブノアはドゥダをおんぶし、シュザンヌもサミーラに肩を貸しての追跡である。なかなか彼らに追いつく事はできなかった。
一行は、『領主の館(メヌア)』の城門前でやっと合流したのだった。
『領主の館(メヌア)』の前には、昼間ほどではないが、いまだに多くの住民達が集まっていた。
「中に入れてください! 」
「助けてください 」
松明(たいまつ)を掲(かか)げた彼らは、嗄(か)れた声で叫んでいた。 ほぼ半日、大きな声で嘆願(たんがん)し続けたのである。喉(のど)も疲れているのであろう。
「どいてくれ。 通してくれ! 」
ゴルティエらは人垣を押しのけて、城門へと進んだ。
「ピエトロさん、ピエトロさん‥ 城門を開けてくれ! 」
城門横の見張り台に立っていたピエトロは、ゴルティエの声に気付き、
「門を開けるんだ! 」
と下にいる門番に命じた。
ギギギギッと重い城門が開かれ、続いて跳ね橋がゆっくりと下ろされていく。
「あ‥ 開いたぞ! 」
「中へ入るんだ! 」
「みんな、急げ! 」
城内へ入ろうとした住民達が跳ね橋に殺到(さっとう)する。
しかし、門の内側から飛び出してきた10人ほどの警備兵が、槍で彼らを威嚇(いかく)する。
「さがれ、さがれ! 」
「近づくな! 」
「許可なく、入城しようとしたものは刺し殺すぞ! 」
その言葉に、人々は立ちすくんだ。
見張り台の上からピエトロが大きな声を上げた。
「エルレヴァ殿とその救出隊は『領主の館(メヌア)』への入城を許可する‼ 早々に入られませい! 」
担架のエルレヴァとゴルティエ達6人は素早く跳ね橋を渡った。
一行が入城した事を確認すると、警備兵達は住民達を牽制(けんせい)しながら、城門の中へと戻っていく。
ふたたび門が閉められるや、人々は跳ね橋を渡り、門をドンドンと叩いた。
「おい! ここを開けてくれ! 」
「中に入れろ! 」
「俺達を見捨てる気か!? 」
だが、無情にも跳ね橋は上がっていく。
このままでは、門と跳ね橋に挟まれて圧死するので、その場の人々は空堀へと飛び降りていった。
『領主の館(メヌア)』の中に入ったゴルティエとグラン・レイは、エルレヴァの乗った担架を担(かつ)いだまま、土塁(モッド)へと走った。
「モッドの門を開けてくれ! 」
ゴルティエ達の声に、土塁(モッド)につながる門が開かれ、中の跳ね橋も下ろされた。二人はその階段を駆け上り、担架を待避所の中へと運び入れたのだ。
中庭にいたシュザンヌは、大きな声を上げた。
「ピエトロさん、ピエトロさん‥ いますか? すぐに、こちらへ。 フィリッポさんから許可をいただいております 」
「わたしが、ピエトロですが‥ あなたは? 」
「医者です。 シュザンヌといいます。 彼女達の治療は私が行います。 よろしいですね! 」
「は‥ はい‥! 」
シュザンヌの勢いに押されて、ピエトロは思わず頷(うなず)いてしまう。
「サミーラさんとフィリッポさんから‥ この館の中で、囲炉裏(いろり)が切ってある一番狭い部屋は、モッド上の待避所だと聞きました。 間違いありませんか? 」
「え‥ ええ‥ たぶん‥‥! 」
「ならば、サミーラさん達もすぐにそこへ運んでください。 それから、薪(まき)をあるだけモッドに運ばせて。 あと、毛布を十数枚と若い女性を6人―――さらに手伝いの女性を4、5人つれてきてください! 」
「わ‥ わかりました‥ 」
「時間との勝負です、急いで! 」
ピエトロは物資と人員の手配のため、急いでその場を離れた。
シュザンヌも、足早に土塁(モッド)へ向かおうとした。だが、その背に声が掛かる。
「おい、女! 」
シュザンヌが振り返ると、そこにはでっぷり太った男と背の高い男がいた。
太った男が尊大な態度でシュザンヌに話し掛けた。
「お前が、どこぞの呪(まじな)い師か妖術師かは知らぬが、女だてらに医者を名乗るとは笑止千万。 この街で勝手な医療行為は許さんぞ 」
背の高い男が続く。
「エルレヴァ殿は本物の医者である我々が診(み)てしんぜよう 」
時間がないのに―――腹の中でそう罵(ののし)ったシュザンヌは、苛立った目で二人を睨(にら)んだ。
「では、お伺(うかが)いいたします。 体の冷え切った患者を回復させる方法は? お二人なら、どう治療なさいますか? 」
「医者である私に治療法を聞くとは‥ お前がいかに医術にうとい者であるかの証明だ 」
太った医者はしたり顔で答えた。
「だが、ワシは親切じゃから、その答えを教えてやろう。 体が冷えたる者には、まず酒を飲ませ、内側から温めるが第一の――― 」
「残念ながら、そんな治療法では低体温の患者は救えません! 」
「ナニィ!? 」
「酒は体が温かくなったような気分にさせますが、実際に体温が上がる事はありません。 しかも、心臓の鼓動数が増えて、死に至る場合もあります。 百害あって一利なし。 しかも、彼女は妊婦なんですよ。 この状態でお酒なんか飲ませたら、流産してしまう事だってあります 」
「ムムム‥ 」
背の高い医者が代わった。
「な‥ ならば‥ 犬を使って抜いたマンドラゴラ(=抜くとき人間のような悲鳴を上げるなどと、魔術的迷信を多く持つ薬草)を赤ぶどう酒で煎(せん)じて――― 」
「確かに、マンドラゴラの赤ブドウ酒煮ならば、体温は上がるかもしれません。 しかし、あれは毒性が大変強くて、それこそ母子がともに死んでしまう可能性が高いでしょう 」
「そうだ‥ 温かい風呂に――― 」
「それもダメです! 低体温の患者は、急激に体表面の温度を上げると、突然死を起こす可能性があります。それから、アナタ方が大好きな瀉血(しゃけつ)もまったく効果はありませんから 」
シュザンヌの、木で鼻をくくったかのような態度に、二人の医師は怒りの表情になった。
「し‥ 知ったような口を‥! 」
「じゃあ、どうすればいいと言うんだ? 」
「お答えしたいのは山々ですが‥ もう時間がありません。 私の患者は一刻の猶予(ゆうよ)も許されないのです。 あしからず 」
その言葉に二人の医者はますます腹を立てた。
「何だ、それ? お前が先に治療法を聞いてきたんじゃないか 」
「人のやり方にさんざんケチをつけておいて‥ 自分は手の内を見せないつもりですか 」
しかし、シュザンヌはそれを鼻で笑った。
「あら‥ だったら、わたしが治療しているところを見学なさったら。 お二人にはいい勉強になると思いますよ♡ 」
「ククク‥ クソッ! 」
「誰が見るか! 」
彼女は二人を見詰めると、さらに高慢(こうまん)な態度をとった。
「いいですか‥ これは、エルレヴァさんの―――いえ、伯爵様からの依頼だと思ってください。 だから、あたしが治療に向かうのを邪魔しないで! 」
「‥‥‥ 」
町医者達は、それ以上言葉を返さなかった。
「では、ごめんあそばせ♡ 」
恭(うやうや)しく頭を下げたシュザンヌは、そのまま土塁(モッド)の階段を昇っていった。
避難所の一階は、15ピエ(=約4.5メートル)四方ほどであった。その狭い部屋の床には、中央に囲炉裏(いろり)が切ってある。ゴドウィンが準備したのか、囲炉裏(いろり)にはすでに火が着けられ、薪(まき)がくべられていた。
そこへ入ってきたシュザンヌが、追加の薪(まき)を運んできた警備兵に命じた。
「もっと、薪(まき)を運んでちょうだい! 部屋全体を温めなきゃならないから 」
エルレヴァ、サミーラ、ドゥダの3人は、囲炉裏(いろり)を囲むようにして寝かされている。床に毛布を3枚重ね、その上に横たわっていた。体の上にも2枚の毛布が掛けられている。
だが、3人はいまだ毛布の中でガタガタと震えていた。
シュザンヌは、室内をゆっくり見回すと、続いて天井を見上げた。
部屋の隅には二階へと上がる階段がある。囲炉裏で暖まった空気の少なからぬ量がそこから2階へと逃げていくようだ。
シュザンヌはしばし考えると、
「ごめんなさい。 やっぱり、彼女達は二階にいた方がいいね。 二階に運んで、寝かせてあげて 」
と、ゴルティエやグラン・レイ、手伝いに来た警備兵達に命じた。
不思議そうに眉を顰(ひそ)めたゴルティエが、シュザンヌに確認した。。
「え!? に‥ 2階? 囲炉裏(いろり)のある1階じゃなくて‥ 2階に運ぶんですか? 」
「そう。 急いで! 」
3人の患者は、3枚敷きの毛布に寝かされたまま、10人の男達によって、2階へと運ばれていった。
エルレヴァは2階の中央に寝かされていた。ゴルティエはその枕元にしゃがみ込み、いまだ冷たい彼女の手をさすってやった。
「姉ちゃん、しっかりしろよ。 もう大丈夫だからな 」
「う‥ うん‥ 」
「それにしたって‥ 何でこんな無茶をしたんだよ? 誘拐なら、殺される事はないんだぞ。 身代金さえ払えば、かならず生きて戻ってこれるんだ。 それが掟だからね。 それを守らなきゃ、つぎから誰も金を払わなくなっちまうだろ。 だから、おとなしく捕まっときゃよかったんだよ‥ 」
「へへへへ‥ そうね、そうかもしれない 」
薄目を開けたエルレヴァは、弱々しい声で答えた。
「でも、そんなの悔しいじゃない。 この街の人達があんなに殺されたのに‥ その殺した奴らに、さらにお金まで払ってやるなんてさ‥‥ 」
「そ‥ そりゃあ、そうだけど。 命あっての物種(ものだね)なんだぜ 」
「う‥ うん、そうだね‥ 」
そんな二人の傍(かたわ)らに立ったシュザンヌが注意した。
「はいはい‥ 心配ごっこはそれでおしまい。 寒そうだからって、彼女の体をさすったり、揉(も)んだりしない。 それから、しゃべらせるのもダメ。 ひたすら静かに、ジッと寝かせてあげて 」
そう言うと、彼女はエルレヴァの脈をとり、せり出してきたお腹(なか)に耳を当てて、胎児(たいじ)の様子を確認した。
とはいえ、3人の低体温の症状はそうひどくないようである。会話もちゃんとできているし、妄想・幻覚も出ていない。体を温めてやれば回復するであろう。
問題は、妊娠しているエルレヴァである。流産の兆候がないかが一番の心配だった。
体を温めるためには室温を上げねばならなかったが、避難所の壁は隙間だらけである。締め切っていても、温度はジワジワとしか上がらなかった。
そこで、シュザンヌは囲炉裏(いろり)に五徳を2つ据え、その上に大きな鍋を載せた。そして、ガンガンと薪(まき)をくべたのだ。
それぞれの鍋には大量の水が入れられている。
まず、高い火力で囲炉裏から立ち昇る暖気は、1階の天井―――つまり、二階の床を温めていく。
さらに、大鍋の水が沸騰(ふっとう)してくると、その蒸気が1階に充満し、2階の床を温め、階段やさまざまな隙間から、2階の部屋全体を温めてくれるのだ。
最初のように、一階の床に寝ていると、立ち昇る暖気の恩恵はなかなか受けられない。寒いからといって、火力を強くすれば、火に向いている体の一部だけが熱くなり、その他の部分は冷たいといった状況になってしまう。これが、低体温症にとってもっともよくない環境なのである。
そのため、シュザンヌはエルレヴァ達を2階に運ばせたのであった。
ピエトロが手配してくれた女性達が避難所に来てくれた。入れ替わりに、ゴルティエら男性陣は外へ出された。
エルレヴァ達の着替えなどがあるから、男性は邪魔になるのだ。ただし、これからは力仕事も女性だけでやらねばならない。
そうこうする内に、避難所の室温は徐々に上がっていった。
だが、室温が上がりすぎるのもよろしくない。低体温症は、体の内側からゆっくりと体温を上昇させなければならないからだ。
シュザンヌは、室温を一定に保つよう、囲炉裏(いろり)の火力を小まめに調整し、場合によっては大鍋に差し水をして湯気の量を下げる事もあった。
その甲斐あってか、先ほどまで唇を真っ青にしていたエルレヴァ達の顔に生気が戻ってきた。
「だいぶ、暖まってきたみたいね。 じゃあ、アナタ達、患者さんにお湯を飲ませてあげて 」
手伝いの女性4人が、木の深皿(エキュエル)に注いだお湯をスプーンでエルレヴァ達の口元に運んだ。
お陰で、食道や胃、腸がほかほかしてきた。
その時になってやっと、1階の部屋の隅に6人の若い娘が所在(しょざい)なげに立っている事にシュザンヌは気づいた。彼女達は呼ばれたのに、何の指示もされず、不安そうな顔をしていた。
「あ‥ ゴメン、ゴメン。 アナタ達はもう返っていいわ。 してもらおうと思っていた事は、中止にしたから 」
そう告げ、6人の娘に避難所から出て行ってもらった。
当初の考えでは、彼女達に裸になってもらい、エルレヴァ達の体を体温でじかに温めてもらおうと考えていたのだ。
部屋全体を温める事が難しい1階での治療の場合、その方法も悪くなかった。ゆっくりと体温を上げる事ができる。
だが、避難所に入り、その構造を見たとき、シュザンヌは2階の床を温める方法を思いついた。それが最善であると判断したのだ。
そこで、娘達の体温でエルレヴァ達を温めるという方法はやめる事にしたのだ。
そもそも、裸と裸の体を密着させて体温を上げるにはかなりの時間が必要とされる。また、肌が触れあう事で気分が落ち着かなかったり、眠れなかったりの悪影響もある。無駄な治療ならしない方がいいのだ。
2階の室温が十分に上昇したと判断したシュザンヌは、湯が煮立つ大鍋の1つをはずした。そして、そこにポタージュの鍋を掛けたのだ。
やがて、ポタージュがグツグツと音を立て始めた。
その頃には、エルレヴァ達の震えも完全に止まっていたので、体を起こして木の深皿(エキュエル)によそったポタージュを飲ませた。
一日何も食べていなかった彼女達は、椀1杯のポタージュをぺろりと食べてしまう。エルレヴァは、赤ちゃんの分なのか、おかわりまでした。
「さあ‥ 汗をかいたでしょうから、着替えましょう 」
食事が終わると、エルレヴァ、サミーラ、ドゥダは、手伝いの女性達に体を拭(ふ)いてもらい、吸水性のよい白いシェーンスに着替えた。
シュザンヌはふたたびエルレヴァの脈をとり、お腹(なか)に耳を当てた。
「うん! 心音もしっかりとしているし、赤ちゃんは元気に動いてるみたい 」
顔を上げた彼女はエルレヴァの顔を覗き込み微笑(ほほえ)んだ。
「もう、大丈夫。 安心して 」
「本当に‥ 本当に、ありがとうございます 」
エルレヴァはやっと安堵(あんど)の笑(え)みを浮かべた。
やがて3人の女性は、悪夢のような一日の疲れが一気に出たからか、はたまた満腹となったせいなのか―――深い眠りに落ちていった。
しかし、長い長い夜はまだ始まったばかりなのであった。