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 1026年 ファレーズ城・広間 (3)


 いくら売り言葉に買い言葉とはいえ、あまりにも興奮し過ぎたティボーを、ロベール伯爵がたしなめた。
「ジイ‥ もうそれぐらいにしておけ。 お客様に失礼であろう 」
「いいえ‥ ジイは許しませぬぞ! この愚(おろ)かな異教徒をけっして許しはいたしませぬ! 」
 ティボーは両手を大きく広げ、その場の全員に語り掛けた。だがそれは、頼純のみならず、ロベール伯爵に対して、いつもなれなれしい口をきくロレンツォを戒(いまし)める意味も込められているようだった。
「よいか‥ この愚(おろ)か者は無論の事、この場におるすべての者が改めて心せよ! ロベール様は‥ 恐れ多くも、かのノルマンディー大公リシャール3世殿下の弟君(おとうとぎみ)にあらせられる。 フランス王国でも五本の指に入る大領主・ノルマンディー大公国(たいこうこく)の公位継承権(こういけいしょうけん)第一位となられる伯爵様じゃ。 並の伯爵と同じにお思い召(め)されるな! 」
 再び、ティボーの目が頼純に向けられた。
「そして、それゆえに‥ 誰もが我が殿(との)に仕官(しかん)したいと考えるは自明の理(じめいのり)。 ましてや、その殿より、召(め)し抱(かか)えようとのお言葉をたまわるとは末代(まつだい)までの誉(ほま)れである! にもかかわらず、そのお言葉に逆らうなど、あり得ぬ話じゃ―――いいや、あってはならぬ話! 」
「ちょ‥ ちょっと、待って‥ 爺、待ってって‥! 」
 ティボーのあまりの持ち上げように、ロベールはむしろ弱り果てていた。恥ずかしいとさえ思っていた。
 しかし、ティボーはなおも頼純に迫った。
「だが、伯爵様は寛大(かんだい)な御心(みこころ)をお持ちの方でもあらせられる。 今すぐにお前が謝罪すれば、その無礼も許さぬワケではない。 神妙(しんみょう)に、非を認められよ! 」
 ティボーがそこまでまくし立てると、広間は一瞬静かになった。

 だが、その静寂(せいじゃく)はすぐに破られた。
「おっさん、ナニ言ってんだい? テメーが恥をかいたからって、その腹いせに‥ この俺に、伯爵さんに謝れってか? ふざけんな、この野郎! 嫌なこったい! 」
 頼純は、傲慢(ごうまん)で高圧的なくせに、ワケの判らぬ理屈ばかりを並べ立てるティボーにますます腹が立っていた。
 ティボーも、自分の言葉にいちいち反抗する頼純に怒りを増幅させている。
「お‥ おのれェ‥ ノルマンディ大公国のご威光(いこう)を恐れぬ愚(おろ)か者め! ファレーズ伯を愚弄(ぐろう)する気か!! 」
 頼純は大きな溜息をつくと、うんざり顔で語り掛けた。
「あのさァ‥ テメーら、ものすごッく大きな勘違いしてるみてーだけどよォ――― 」
 ロレンツォが、慌(あわ)てて頼純を振り返った。彼がナニを言わんとしているのかを察(さっ)したからである。
 しかし、頼純はお構いなしに話を続けた。
「フランス王国なんてェ国は、世界全体から見れば、文化も経済も未発達の―――がらんどうの国なんだぞ! その国の中の一公国に過ぎないノルマンディーなんて、どうでもいい存在だ。 ましてや、ファレーズ伯なんぞ、屁の突っ張りにもなるかい! 」
「な‥ なにおゥ! 」
「知らないのは、アンタらだけだ。 本当の世界を判ってないから、自分達がすごいなんて考えるんだ。 このロレンツォ殿だって、商売の手前、アンタらの悪口は言わネーしな! 」
 ロベールは頼純が何を言っているのかよく判らなかった。
「ほ‥ 本当の世界? 」
 頼純は天井に目をやると、ゆっくりと見回した。
「この城にしたってそうさ。 ここへきた時、ロレンツォ殿はべた褒(ぼ)めしてたけど‥ こんなモン、世界の水準から言えば砦(とりで)だよ、砦(とりで)! 辺境(へんきょう)を警備する砦(とりで)にすぎない 」
 その言葉に、ロベールは愕然(がくぜん)とした。
「こ‥ この城が‥ 砦(とりで)‥? 」
 頼純は嘲笑(あざわら)うように頷(うなず)き、さらなる言葉を吐いた。
「俺が生まれた国―――遥(はる)か東の果てにある日本てー国の都は、周囲が13マイル(約19.5キロメートル)ほどもある。 『京』という名のその都には、大きな通りが何本も走ってて、そのすべての道は真っ直ぐで、チェス盤の目のように交差してるんだ。 そしてそこには、10万人をはるかに超える人々が住んでいるという 」
「―――え‥ え~~~え‥? 」
「さらにその隣には、『宋』てェ大っきな帝国がある。 日本のお手本となった国だ。 その『宋』の都・『開封』は、周囲が15マイル(=約22.5キロメートル)もある上に、それを高さ40ピエ(1ピエ=約30センチ。40ピエは約12メートル)、上部をはしるの回廊(かいろう)の幅が5ウナ(1ウナ=約1.2メートル。5ウナは約6メートル)もあるでっかい城壁で囲ってあるんだぞ。 しかも―――その城壁のすべてが石でできてんだ 」
「い‥ 石の城壁‥‥‥‥?  」
「そう、石だ! 大きな石を積み上げた高い高い壁で、巨大な街全体をグルリと囲んでるんだ。 しかも、その内側にはさらに二つの城壁まで備えている。 王の住む宮殿は、三重の石の城壁で守られてるってワケさ。 判るか‥ それを作るのに、どれほどの人員と高い建築技術が必要であるか―――どれほどの経済力が求められるか? 」
 頼純は話を少々大袈裟(おおげさ)に語った。
 実際の『開封』の城壁は、土を突き固めた土塀の表面に焼きレンガを積み上げたものがほとんどだったのだ。
 だが、それでもその城壁が巨大な建造物である事に違いはなかった。
「‥‥‥‥ 」
「そして、その『開封(かいふう)』と呼ばれる壮大な城の中には‥ なんと百万人近くの住民がいる! 」
ひゃ‥ 100万人―――ン? 」
 大きく声を上げたのはティボーだった。他の者達は驚きのあまり、声を出す事すらできなかったのである。それはあり得ない数字であった。
 一方で、語ってはならない事実を公表する頼純に、ロレンツォは頭を抱えていた。

 ローマ教会では、彼らが唱(とな)える教理(きょうり)に反するすべての科学を否定していた。また、他の神を信仰する地域が、彼らの地域よりも優(すぐ)れていたり、豊かであったりする事も口にしてはならなかった。
 なぜならば、彼らの神だけが、人々を幸せにできると信じられていたからである。異教徒は、邪悪で、貧しく、苦しまなければならなかった。
 それゆえに、キリスト教世界の外側について語る事はタブーとされていたのだ。
 その事は頼純にも十分理解させていたハズなのだが、いまの彼では、いくらロレンツォが制してもその指示に従うとは思えなかった。ここにいたっては、頼純の暴走を黙って見ているしかなかったのである。

「その『開封(かいふう)』てー街は、昼夜を問わず人々がおびただしく集まり、大変なにぎわいだ。 何百もの通りには大小の店がびっしりと立ち並び、路上では大道芸や講談(こうだん)があちこちで繰り広げられている。 食堂や飲み屋は、夜中でも煌々(こうこう)と明かりがともり、音楽や嬌声(きょうせい)が一晩中鳴り響いているんだ 」
「‥‥‥ 」
 もはや、その場の誰もが言葉を発する事ができなかった。静まり返った広間に頼純の声だけが響き続ける。
「けど、そんな街はそこだけじゃねェぞ。 アンタらが、野蛮な異教徒と蔑(さげす)むサラセン国のバグダッドにいたっては、150万人もの人々が住んでいるそうだ。 その街も石の城壁で囲まれていると聞く 」

 11世紀初頭のヨーロッパでは、最大の都市・ヴェネツィアでさえ、人口10万人たらず。フランスで最も栄えるパリが5万人をやっと越えるていどである。ノルマンディー公国の都、ルーアンにいたっては25000人ほどの人口しかなかった。
 彼らからすれば、100万人というのは途方もない数字であり、それだけの人間があふれ返った街の情景やにぎわいなど、とても想像する事ができなかったのだ。

「東の国々には、20~30万人規模の街ならば何十とある。 そこには、何万人もの商人達が行き交(か)い、莫大(ばくだい)な富を生み出している。 そうした富と権力の象徴こそが、巨大都市―――城塞(じょうさい)なのさ! 」
 ロベールが虚(うつ)ろな表情でつぶやいた。
「い‥ 石でできた城―――? 」
 頼純はそんなロベールを一瞥(いちべつ)したが、ふたたびティボーに目を向けると話を続けた。
「人々は―――そこいらにいるガキからじいさん、ばあさんまでもが、飢えに苦しむ事もなく、娯楽(ごらく)を楽しむ余裕さえある。 過去の知恵や学問―――文化は失われる事なく、さらにそれらを継承(けいしょう)し発展させている 」
 とそこまで話して、頼純はちょっと後ろめたくなった。
 みんながあまりにも驚くので、また話の最後を二割増しで語ってしまったからである。
 実際には、大いなる繁栄(はんえい)を遂(と)げる宋の都『東京(トンキン)開封(かいふう)府』であっても、貧しさに飢(う)える者もあれば、病(やまい)に苦しむ者もあった。特に重税を課せられた農村部はその傾向が強かった。

 とはいえ、それでも頼純はティボーを挑発する言葉を放ち続けた。
「そんな高度な文明国からやって来たこの俺様が‥ ナニが悲しくて、こんな貧乏国の家来にならなきゃならネーんだよ? コッチがその理由を聞きたいわ! 」
 広間のすべての者が言葉を失っていた。
 不思議な格好をした異国の小男が、見たコトも聞いたコトもない夢のような世界の話を、流暢(りゅうちょう)なフランス語でまくし立てている。その様は、すべての者に、幻覚を見ているかのような目眩(めまい)を感じさせたからである。ただ1人、執事(アンタンダン)のティボーをのぞいて―――

「ギギギギギ‥ 」
 それはあまりの悔しさに、折れんばかりに噛み締めたティボーの奥歯が軋(きし)む音だった。
 やがて、彼はその歯の隙間から呪詛(じゅそ)のような声を漏らした。ティボーは様々な角度から恥辱(ちじょく)を受け、その怒りが頂点に達していたのだ。
「お‥ おのれェ‥ 侮辱(ぶじょく)にもほどがあろう! 断じて許さぬ! 生きてこの街から出ていけるとは、ゆめゆめ思うまじ!! 」
 ティボーは奥に向かって大きな声を上げた。 
出あえ、出あえい! 」
 その声に、入り口の扉が開くと、15人ほどの兵士達がなだれ込んでくる。元からいた兵士とあわせると、その数は20人を超(こ)えた。
「皆の者、この者を引っ捕らえい! 手向かいすれば、斬り捨ててもかまわん! 」
 剣(エペ)を抜き、槍(ラーンス)を構えた兵士達は、あっという間に頼純の周りをぐるりと囲んだ。

 しかし、不敵な笑みを浮かべた頼純は、兵士達を無視してティボーを睨(にら)み据(す)え、ゆっくりと腰の毛抜き太刀(けぬきだち)を鞘(さや)から抜き払った。 
「上等だよ‥! やってやろうじゃネーか! 」
 その時、頼純の胸めがけて槍が繰り出された。
 頼純は体をわずかに右に捻って槍の穂先(ほさき)をかわすと、左手でその柄(え)を掴んだ。
 そのまま槍をグイッと引き寄せる頼純。
 次の瞬間、頼純の太刀(たち)が振り下ろされた。
 誰もが―――頼純に引き寄せられた警備兵さえもが、死を覚悟した。
 しかし、切れたのは槍の柄(え)であった。 槍は中ほどで真っ二つになっていたのだ。
 頼純はその槍の柄(え)を左手で握ったまま、大きく両手を広げ、二刀流のような構えをした。
 太刀(たち)の切っ先は、次に襲いかかろうとしていた兵士の喉元(のどもと)に突き付けられている。
 20人近い兵士らは、誰一人として動けなくなっていた。

 頼純は自信たっぷりにティボーを睨んだ。 
「さあ‥どうする? どうやってこの俺を捕まえるつもりだ? どうやって、殺すんだい? あ!? 」
「そ‥ それは‥‥ 」
「アンタだって、ロレンツォ殿の話は聞いていたハズだぞ。 この俺は、こんな街のわずかっぱかしの騎士や兵士ぐらい、皆殺しにする事だってできるんだ! 」
 その事を思い出した兵士らは、一斉に身を固くする。
 ロレンツォだけが呆れたように笑っていた。それは、頼純がそんな無法(むほう)をする事はないと安心しきっているからである。
 もちろん、頼純に兵士を殺す気などさらさらない。しかし逆らえば、数人を太刀(たち)の背と槍の柄(え)で叩きのめし、手足の骨を折ってやろうかと考えていた。そうすれば、この執事も少しは懲(こ)りるのではないかと―――。
 ティボーは完全に追い詰められていた。怒りに目を血走らせながらも、唸(うな)るしかできなかったのである。

 そんな切羽(せっぱ)詰まった状況の中、それまで玉座で微動(びどう)だにしなかったロベールが、突如『パンッ』と大きく手を叩き、立ち上がった。
す‥ すごい‥! すごいよ、石の城―――!! 」
「え? 」
 一同は、伯爵が何を言い出したのかと不審(ふしん)に思った。
 ロベールは、興奮した声で頼純に話し掛ける。
「だって、すごいじゃないですか? 石の城ですよ、石の城! 頑丈(がんじょう)で火矢の攻撃をうけても燃えない城です! これって、すごいでしょう!?」
「あ‥ あの、若‥ 今はそれどころではなくて――― 」
 ロベールのあまりにも素っ頓狂(すっとんきょう)な発言に、ティボーも思わず突っ込んでしまう。

そうだ! ここに石の城を造ろう! そうだよ! それがいい! うんうん‥! 」
 ロベールは宙に目をやると、大きな声で独り言ち(ひとりごち)、何度も何度も頷(うなず)いた。
 皆は呆気(あっけ)にとられている。
 ロベールは目をキラキラと輝かせて、太刀(たち)を構えたままの頼純に詰め寄った。
「ヨリ殿‥ アナタは、その‥ 石でできた城の作り方って―――知ってますか? 」
「あ‥ あのさァ‥ アンタ、この状況───理解してますゥ? 」
 頼純の戦意は完全に失われていた。