第82話 1027年 ファレーズ城


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 1027年 ファレーズ城


 敵の騎馬軍団は、怒濤(どとう)のごとくファレーズの街へと押し寄せてきた。
 その一団の中には、荷台に太い丸太3本を載せた大型の馬車もあった。
 夜が明け、あたりはすっかり明るくなっていたが、ファレーズの上空はどんよりとした雲に覆(おお)われていた。気温もかなり低い。昨日に引き続いて、今日も雪が降るかもしれなかった。
 人馬ともに白い息を吐きながら外城門の手前まで来た騎馬団は、いったんそこで立ち止まった。
 歩兵達が丸太を積んだ馬車から2頭の馬をはずす。荷台の後部から大きくはみ出した丸太は、ロープでガッチリと固定されている。
 騎士達は、息を整えながら、笑顔まじりに冗談を言い合っているようだ。
 彼らは、ファレーズに主力の兵団がいない事を知っている。それゆえ、余裕しゃくしゃくで攻撃の準備を始めたのだった。
 20人ほどの歩兵達は馬車の方向を反転させると、掛け声とともにそれを押し出した。
せーの‥ 」
押せ、押せ、押せ! 」
 ド―――ン!と、馬車の丸太が城門にぶち当てられる。
 歩兵達はいったんそれを後ろに下げると、ふたたび激突させた。
 さらにそれを2度繰り返すと、扉の内側からメキメキメキと閂(かんぬき)が折れるような音がした。
 そして、外城門はゆっくりと開かれていったのだ。
進めェ―――ェえ‼ 」
 騎士達はふたたび馬を駆(か)り、破られた城門から次々に城内へと侵入していった。その後を歩兵が追う。
 下町とは違い、城内は外城門から『領主の館(メヌア)』まで一本道である。
 その途中に広場があり、教会が建っていた。だが、通りには人っ子1人いない。全くの無人であった。
 100騎ちかい騎士団はその広場を一気に走り抜け、『領主の館(メヌア)』の城門前へと迫ったのだ。
 彼らは『領主の館(メヌア)』と対峙(たいじ)するように、空堀(からぼり)前の路上に広がって馬を止めた。
 居並んだ騎士団の中央から、1人の騎士がさらに1馬身ほど馬を進める。そして『領主の館(メヌア)』に向かって、大きな声を上げたのだ。
中の者‥ 聞いておるか? 」
 彼がこの騎馬団の指揮官なのであろう。兜(カスク)を被(かぶ)っているので、人相ははっきりと判らなかったが、立派な髭(ひげ)とその口元、声などから40歳前後の人物であろうと思われた。
「そちらに、騎士・兵士がいない事はわかっておる。 皆殺しにされたくなければ、即刻この城門を開くのだ! 抵抗しなければ、女子供達は助けてやろう 」
 城門横の物見櫓(ものみやぐら)に登ったピエトロが、騎士団をゆっくりと見渡しながら朗々(ろうろう)たる声を返した。
「おいおい‥ 助けてくれるのは女子供だけかい? ここには非戦闘員の男だってたくさんいるんだぞ! 彼らは全員殺すというのか? 」
 彼はこれだけの武装集団を前にしても、一歩も引く様子がない。
 そんなピエトロに、指揮官の騎士は面倒臭そうに応えた。
「しょうがないだろ。 それが世の習(なら)いというものだ。 女子供だけでも、助けてもらえてありがたいと思え。 それから―――そんな余裕のあるフリをしても無駄だぞ。 下手クソな演技などやめて、さっさとこの城門を開んだ 」
「フン‥ そんな事を言って、本当に助ける気なんぞあるのかね? お前はウソを言ってそうだ。 そういう顔付きをしている。 とても、信じられんね! 」
「黙れッ! 信じようと信じまいと、お前達に選択肢はないんだ。 我々の目的はひとつ―――この街を焼き払う事だ! その代わり、女子供は必ず放免(ほうめん)してやる 」
 そういう騎士にピエトロは頭(かぶり)を振った。
「いいや‥ お前達はこの城門を開いたとたん、我々男を皆殺しにした上で、女達を犯し、子供は奴隷にするに違いない 」
「しつこいな‥。 まあ‥ そう思いたいのなら、好きにすればいい! こちらは力ずくで攻めるまでだ 」
「だったら、この門は絶対に開けんぞ! 」
「けっこうだ。 我々は、いかなる交渉(こうしょう)にも応じない。 命令に従わないというのなら、貴様ら全員を皆殺しにしてやろう! 」

     ×  ×  ×  ×  ×

 その頃、ロベール伯爵の元へと向かっていたフィリッポは、なんとか公都(こうと)ルーアンまで辿(たど)り着く事ができた。
 彼はルーアン城へと続く大通りを、全速力の馬で駆(か)け抜けていく。
 通りには多くの露店が建ち並び、人々でごった返していた。
 その人達をかわすため、彼は大声で叫び続けた。
どけどけどけェい! 伝令だ! 伝令―――! 」

 フィリッポの到着は、ファレーズの老騎士ルイの予想よりも、ずっと遅くなっていた。
 ファレーズからルーアンまでは90マイル(=約130㎞)ほど。
 明るい日中に、馬を全速力で走らせれば、朝に出発しても昼前には到着する距離である。
 老騎士ルイの見積もりは、満月の夜の場合であった。この場合は昼間と違い、速度はかなり落ちてしまう。
 とはいえ、日没後に出発したとしても、翌日の夜明け前には充分到着する事が可能であった。
 しかし、昨夜は分厚(ぶあつ)い雲に覆(おお)われて、月明かりが地表に届く事はいっさいなかったのだ。鼻を摘ままれても判らぬほどの完全な暗闇であった。
 これでは馬を走らせる事はできない。
 真っ暗な中、無理に馬を走らせれば、木にぶつかったり、崖から転落したり、川に飛び込む可能性があった。いや―――何も見えない暗闇の中では、石につまずいただけでも馬は足を折ってしまうのだ。
 真の暗闇は、大変危険な存在なのである。
 それでもフィリッポは、松明(たいまつ)を片手に懸命に馬を進めた。東の空が白み始めてからはかなり速度を上げ、日が昇ってからはずっと全速力で馬を走らせてきたのだ。

 お陰で、フィリッポも馬も、死にそうなくらいに息が上がっていた。
 それでも、彼は衛兵が制止するルーアン城の跳(は)ね橋を強行突破し、中庭へと駆け込んだ。
 そして、ありったけの力を振り絞って叫んだのである。
ロベール伯爵様はどこにおいでか? ヨリ隊長はいずこぞ? 一大事でございます! ロベール伯爵様、ヴェネツィアのフィリッポが、ご注進(ちゅうしん)に参りました 」
 駆けつけた20人ほどの衛兵達が、不審者であるフィリッポに向かって槍を構える。
 だが、フィリッポは中庭を馬で回りながら叫び続けた。
ロベール様、ヨリ様! ファレーズが危機に瀕(ひん)しております! お出ましください! 」
 館の中から、太刀を掴(つか)んだ頼純が飛び出してきた。
「フィ‥ フィリッポ! どうした、何があったんだ? 」
 その顔を見て安心したのか、フィリッポは鞍(くら)から地面へ崩れ落ちた。
 頼純はフィリッポに駆け寄ると、その上半身を抱え起こす。
「大丈夫か? しっかりしろ! 」
ファ‥ ファレーズが‥ ファレーズで――― 」
 喉(のど)が枯れきったフィリッポはそれ以上、声が出なかった。
誰か‥ 誰か水を! 」
 頼純がそう叫ぶと、伯爵親衛隊のエルリュインが水の入ったジョッキを手に飛び込んできた。
 フィリッポはそれを奪うようにして受け取ると、一気に飲み干していく。
 そして、やっと言葉を吐き出したのだった。
「ファ‥ ファレーズの街が‥ 未知なる軍団に襲われ‥ 陥落(かんらく)する可能性があります‥! 」
「な‥ なんだと―――!? 」
「大至急、救援の兵をお送りください 」

     ×  ×  ×  ×  ×

 一方、ファレーズでは、ゴルティエら11人の『カラス団(コルブー)』が外城門に向かって走っていた。物陰に隠れていた彼らの中には、戦闘顧問(こもん)として傭兵(ようへい)団のサミーラとジャコモも加わっている。
 サミーラは投げナイフの名手で、訛(なま)りがあるもののフランス語ができた。低体温症からも完全に立ち直っていた。
 一方、ジャコモは言葉は通じないが、隠密、侵入、解錠のプロである。高い塀を登る事もお手の物であった。

「ゆっくりと‥ 敵に気づかれるな‥ 」
 外城門にたどり着いたゴルティエ達は、静かに門を閉めていった。
 ギギギギと低い金属音が鳴る。
 丸太をぶつけられてこじ開けられたようにみえた城門は、実は『カラス団(コルブー)』達の手によって内側から開けられたのであった。
 外城門に掛けられていた閂(かんぬき)はニセ物であり、細い棒を何本か差し込んだだけのモノであった。さらにグラン・レイ達が門の裏側から押さえつけていたのだ。彼らは、タイミングを見計らって力を緩(ゆる)めた。
 そのお陰で、敵は都合よく、簡単に門を突破する事ができた。しかも、城門が傷つく事もまったくなかった。
 敵騎士団は、『カラス団(コルブー)』達によって、まんまと城内へ誘い込まれていたのだ。

 そして今度は、本物の閂(かんぬき)を掛けるべく、『カラス団(コルブー)』達はそれを持ち上げた。
いくぞ! (アン),(ドゥ)、(トゥワ)―――! 」
 長さ20ピエ(約6メートル)はあろう、長く重たい閂(かんぬき)を10人で持ち上げる。両足を踏ん張り、両手で抱えるとずっしりとした重量が腰に掛かる。
 11人の『カラス団(コルブー)』の内、1番年下のニコラだけは閂(かんぬき)を持たず、周囲の敵を警戒していた。
 また、サミーラとジャコモは閉まった門の外側を見張っている。
 ゴルティエ達は、歯を食いしばって閂(かんぬき)を肩の高さまで持ち上げ、それを門に取り付けられた金具へとはめ込んだ。
 ゴドンッ!という鈍い音が響く。
急げ! 」
 『カラス団(コルブー)』は休むヒマもなく、2本のハシゴを使って城壁を登り、ロープで反対側の城外へと降りていった。

 最後にハシゴを登ったドニとマルクは塀の上にまたがると、使った2本のハシゴを持ち上げ、城外側へと下ろしていく。
 ハシゴにはロープが結わえられ、すでに地面に降り立ったリュカとラウルがそれを引っ張って、頭上のドニ達を手伝った。
 片や、ゴルティエら6人の団員達は城門の正面に移動している。
 彼らは、鍛冶屋に特別に作ってもらった、巨大な釘(くぎ)を手にしていた。
 1人が両手で握ったその釘を城門に押し当て、もう1人が釘の頭を柄(え)の長い鎚(つち)で叩くのである。
 閂(かんぬき)がはずされないように、城門に釘(くぎ)で固定してしまうのだ。

 外城門の左右の扉は、簡単に破られないように、とんでもなく頑丈(がんじょう)に作られていた。
 それは、分厚(ぶあつ)い板を8枚づつ使い、その上段・中段・下段に横板を渡して、それらを何十本もの太い鋲(びょう)で貼(は)り合わせたものだった。
 その分厚い扉に閂(かんぬき)を固定させるためには、ゴルティエ達は手にした長い長い釘(くぎ)を根元まで打ち込まなければならない。
「行くぞ! 」
 ゴルティエは仲間に声を掛けると、振り上げたハンマーを釘に叩き付けた。
 ガギンッ!と大きな金属音が、朝靄(あさもや)けむるファレーズの街に鳴り響いた。
 三本のハンマーから発せられる轟音(ごうおん)は、森できこりが斧(おの)を振るう音よりもはるかに大きかった。


 『領主の館(メヌア)』のピエトロは、敵指揮官と交渉するワケでもなく、彼に命乞いもしなければ、反対に恫喝(どうかつ)もしていなかった。
 ただ時間を稼ぐため、たいして意味のないやり取りを続けていたのだ。
「そもそも、お前達は何者なのだ? どこから来た? 誰に頼まれた? 正規軍なのか、傭兵(ようへい)なのか? せめて、名前ぐらい名乗れよ! 」
 ピエトロの質問を、敵の指揮官は鼻で笑った。
「残念だが、それらの質問には一切答えられない! 我々は正体を明かす事を固く禁じられておるからだ。 そして、たとえお前達が、我(わ)が仲間を捕らえ、拷問をしたとしても、それらの情報を得る事は絶対にできない。 なぜならば―――我々が『口を割らない』訓練を受けている事もあるが‥ そもそも、わたし以外の者は、この命令を下した人物が誰であるのかさえ、知らされていないのだ。 さらに我々は、自分の身分を証明する物も一切身につけていない  」
「‥‥‥‥ 」
「つまり、我々は幽霊(ファントム)なのだ! 貴様らはその幽霊(ファントム)に殺される‥♡ ファファファファ‥ 」
 黙り込んだピエトロに、騎士は勝ち誇ったように高らかに笑った。
 その時、女性の声が響いた。
「なるほど‥ ここに至(いた)っても、依頼者はおろか、自分達の名前さえも隠そうとするなんて―――アナタ達も徹底しているわね 」
 物見櫓(ものみやぐら)に登ってきたエルレヴァは、敵の指揮官を見下ろして言った。
「アナタ達に、この街を襲撃させた人物って、よっぽど自分の事を知られたくなかったんでしょうねェ。 フフフフ―――へんなのォ! どうして、正々堂々とできないのかしら? その理由って何? きっと、後ろめたい事でもあるんでしょう 」
「そのような事は、我々にも知らされて――― 」
「うん‥ わかってる! アナタていどの使いっ走りに、そんな重要な事を説明するはずがないわ♡ 」
 喰い気味に、『使いっ走り』だとバカにされた指揮官は、
な‥ なにィ‥!? 」
 と、その顔に明確な怒りを表した。
 しかし、エルレヴァは彼を無視してさらに話し続けた。
「という事はァ‥ 何のかんの言っても、バレる可能性が高い自分の軍隊は――――――やっぱ、この場合使わないかァ‥! そうなると、アナタ達はたぶん、どこかの傭兵団(ようへいだん)っていう事になりますけどォ‥‥!? 」
「‥‥‥ 」
「でも‥ これほどの人数で、これだけの装備を揃(そろ)えた傭兵団(ようへいだん)となれば、国内にも2つか3つしかないでしょう!? うん‥ だったら、アナタの身元を調べるのも、そう難しくはないわ。 おそらく‥ 切断したアナタの首を、情報通の人に見せればすぐにわかると思う。 だって、アナタってけっこう有名人だと思うのよねェ‥♡ 」
「グググ‥ こ‥ このわたしの首を切断するだとォ‥‥ 」
「そこから、アナタ達の雇い主を突き止める事もできるでしょう 」
 その鋭い推理とハッタリに、騎士達は顔を見合わせた。
 だがしばらくすると、指揮官である騎士が怒りに充ち満ちた笑顔でエルレヴァを見上げた。
「おいおいおい‥ この、クソ女! テメーはどうやって、俺達の正体を調べようってんだ? 今から、テメーらは皆殺しにされるんだぞ。 1人として生かしてはおかんのだ 」
「フフフ‥ ついに、本性(ほんしょう)を現(あらわ)したわね 」

 その時、はるか後方から複数の金属音が響いてきた。
「な‥ 何だ? どうした? 」
 ファレーズの街中に響き渡る不気味な音に、敵騎士達も動揺(どうよう)を隠せなかった。