中世について

中世ヨーロッパとは

 テレビや雑誌などでヨーロッパの街並みを紹介する際、『中世のような』とか、『中世にタイムスリップしたみたいな』などといった表現がよく使われます。
 しかし、それらの街並みのほとんどは、17世紀から18世紀、場合によっては19世紀に作られたモノばかりです。それは『近世』や『近代』と呼ばれる時代なのです。

 『中世』とは、もともとルネサンス期につけられた呼称で、その時代からみてギリシャ・ローマの繁栄期を『古代』、東西に分裂したローマ帝国のうち、西ローマ帝国が崩壊した5世紀から東ローマ(ビザンティン)帝国が崩壊する15世紀までの約一千年間を『中世』と定義しました。

 その中世は、『暗黒時代』ともいわれます。
 当時のヨーロッパの記録はあまり残されておらず、過去の文明や文化もまたすべて破壊されてしまったからです。
 ローマ人に代わって侵入してきたヨーロッパ(ゲルマン)の蛮族達は、高度なローマの技術を理解できず、ただ破壊と殺戮のみを繰り返しました。
 また、ローマキリスト教会も、自分達に不都合な科学――聖書と符合しない事実はすべて否定し、それを行う者を『異端』または『魔女』としたのです。
 そのため、中世の前半――5世紀から10世紀の約六百年間、ヨーロッパは文化・経済のレベルにおいて、東ローマ帝国やイスラム世界、さらには、はるか東方の中国にも到底及びませんでした。

 本当の中世は、血にまみれ、薄汚く、残酷な世界であったのです。
 各地で戦争が繰り返され、いたる所で略奪や殺人が横行してました。人々はつねに飢えと貧困に苦しまなければならなかったのです。
 病気になればほとんどの人が死に、軽いケガをしてもやはり死にました。

 街に石畳の舗道などありません。道はつねにぬかるみ、人々の靴は泥だらけでした。
 お姫様が乗る馬車は、荷車と大して違いはありません。屋根と囲いがついているだけです。

 中世の象徴である騎士(シュヴァリエ)も、プレートアーマー――大金持ちのお屋敷に飾ってあるような西洋甲冑――は着けていませんでした。プレートアーマーは、百年戦争が始まる14世紀まで出現しなかったからです。
 カール大帝以前から十字軍が終わるまで、『中世』のほとんどの時代で、戦士達はチェーンメール(鎖帷子)を着用していました。
 一般的にイメージされる『中世』と、実際のそれとでは大きく違っているのです。

 そして、そこに住む人々は皆、とてつもないドラマをもっていました。
 とくに各国の王や貴族達は、安全保障のために政略結婚を繰り返したせいで複雑な血縁関係の渦中にいました。

 さらには、先王が死ぬと他国の王と再婚する王妃もたくさんいたので、『腹違い』『種違い』の兄弟まで含めると、ヨーロッパ全土はほぼ血縁で結ばれていたのです。そのため、誰が、どの国の王を継ぐのか―――まさに『ハムレット』のような愛憎劇が実際に数多く発生していました。
 その苦悩と欲望が絡まり合った人間関係は、誰に焦点をあてようとも――どの王、どの王妃、どの伯爵を主人公にしたとしても、それぞれが魅力的なストーリーをつむぎ出します。

 これほどの素晴らしい材料を前にして、それをどこまでおいしい料理に作り上げられるのか―――シェフである私の腕前はいささか心もとないのですが―――皆様方には、その未知なる世界の香りだけでも楽しんでいただけたら幸いです。

  2015年1月 
                 久保 桂