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 1026年 ファレーズ城・中庭 (1)


 ふたりの巨人兵士が入場してきた途端、300人を越える観衆は興奮をこらえきれず、地鳴りのような声を轟(とどろ)かせた。それほどに、二人は圧倒的な強さを醸(かも)し出していたのである。
 また、名前らしきモノを口走る者もいた。観衆が知っている人物なのかもしれない。

 二人は頼純の倍ほども身の丈(みのたけ)があるように見えた。
 その存在感はその場にいる全ての者に、頼純が斬り殺される様しか想像させなかった。

「お前達は、風神・雷神か? 」
 頼純は呆れたようにつぶやいた。だが、そう言いながらも、二人の姿に奮(ふる)い立っていた。
 気(アドレナリン)が全身の経絡(けいらく)を駆け巡(めぐ)り、それまでクタクタだった頼純の全身に力(パワー)が漲(みなぎ)った。
 喉の渇(かわ)きや空腹感、手足の痛み、さらには疲労倦怠(けんたい)感までが吹き飛んでいく。
 頼純は大きく鼻から息を吸うと、ゆっくりと口から吐き出した。
 目を炯々(けいけい)とさせ、彼は完全な戦闘態勢に入っていった。

 そこへ館(やかた)から出て来たリシャール3世が、当家執事(しつじ)のティボーに案内されて、中庭中央の観覧席へと腰を下ろした。
 その登場を歓迎するかのように、戦斧(アシュ)を握った巨人兵士は、両手の斧を振り回しながら雄叫(おたけ)びを上げた。
 もう一人の兵士も、大きな長剣(エペ)で大盾(エキュ)をバンバンと叩き、観衆にアピールする。
 リシャール公の御前(ごぜん)を意識しておとなしくしていた中庭の観衆も、それを期に一斉に熱狂的な声を上げた。
 アチラコチラから、
リシャール大公様万歳! 」
ノルマンディー万歳! 」
と讃(たた)える声が響く。
ルーアンの巨兵兄弟! 」
大剣(エペ)のエノー! 」
戦斧(アシュ)のアンドレ! 」
と二人の巨人に対する声援も含まれていた。
 二人はかなりの人気者のようである。

 頼純の傍(かたわ)らには、その縄を解き、太刀(たち)を返してくれた家宰(セネシャル)オズバーンと、おもしろ半分で頼純側に付き添(そ)っている上級騎士のジョルジュがいた。
 ジョルジュも他の観衆と同様にワクワクしていた。
 みな、どちらが勝とうと関係ないのである。血が飛び散り、人が死ねばそれで大満足なのだった。

 大きな歓声の中、オズバーンが頼純に小声で話し掛けてきた。
「ノルマンの騎士は決して弱くないぞ。 ここ百年ほどは、おとなしく貴族の顔をしてきたが‥ 何百年もの間、殺しを生業(なりわい)にしてきた部族だ。 お前が思っているよりも、はるかに強い! 」
「‥‥ああ、判っている! 」
 二人の会話にジョルジュが参加してくる。
「へへへ‥ アンタ、絶対に殺されちゃうよ。 真っ赤な血を流して、殺されちゃう♡ 」
 頼純は初対面であるにもかかわらず、なれなれしく話し掛けてくるジョルジュを鬱陶(うっとう)しそうに睨(にら)んだ
「ッたく‥ 嫌(や)な事いう野郎だね‥! お前はいったい何者なんだよ?」
「俺‥!? 俺は味方、味方! アンタの応援団さ♡ だから、頑張って‼ 」
 オズバーンはジョルジュを無視して話を戻す。
「彼らは‥『大楯(エキュ)のエノー』と『戦斧(アシュ)のアンドレ』―――わざわざ公都ルーアンから呼び寄せたノルマンディー最強の騎士だ! 今まで、あの二人と戦って生き延びた者はいない 」
「へェ~~~え‥ なるほど! それで、二人は兄弟なのか‥? 」
「ああ‥ そうだ! そして、今のお前の体力では‥ どちらと戦おうとも、お前に勝つ見込みはないだろう‥! 」
 頼純はそんなオズバーンに憮然とした表情を返す。
「はあ!? 今の体力って――― この俺を‥ 死にかけるまでクタクタに疲れさせたのは、どこのどいつだい? 」
「い‥ いや‥ それはワタシだけれどォ‥ 」
「あれだけの事をされて‥ 俺がアンタの事を恨(うら)んでないとでも思ってんのか? 」
「‥‥‥ 」
「そして今の俺は‥ 体が自由に動かせて、しかも太刀(たち)まで持ってんだぞ! 奴らと戦う前にお前を先に真っ二つにしてやろうか! 」
 だが、オズバーンはシレッとした顔で尋ねる
「そしたら、どうなる? 」
「え!? 」
 一瞬、言葉を詰まらせた頼純に、オズバーンはさらに迫った。
「どうなると思うんだ? 」
「そ‥ そりゃあ‥ 最強の戦士二人を含めた200人近い兵士達が一斉に俺に斬り掛かってくるだろうね‥! 」
 オズバーンはニヤリとした顔で頼純を覗き込んだ。
「だろう‥!? だから、賢いお前が、このワタシを斬る事などないのだ! 」
 舌打ちする頼純。
「ホンット‥ お前って、喰(く)えねぇ野郎だよなァ‥! 」
 そんな二人のやり取りを、ジョルジュは目を輝かせて聞いている。
「いいね、いいね‥ なんか、アンタらの話、スゲェ面白いぞ♡ 」

 オズバーンはあらためて巨人兵士の方を向くと、真顔で言い訳をした。さきほど広間で、頼純に散々罵(ののし)られた事を気にしていたのだろう。
「お前を捕まえる時‥ 我々は、お前が怖くて罠(わな)を使ったワケじゃない―――剣を交(まじ)えなかったワケじゃないんだ! ワタシは、無益(むえき)な争(あらそ)いで家臣(かしん)を死なせたくなかったダケ。 あの森で戦闘が起きれば、双方にかなりの犠牲者(ぎせいしゃ)が出ていたハズだ 」
「へへへ‥ わかってるよ。 三日間、一緒にいて気づいたさ。 アンタは俺と同じ考え方をする人間だ。 互いに部下を死なせたくなかったから、戦いを避(さ)けたんだろう‥!? 」
オズバーンは前方を見詰めたまま、小首を傾げた。
「いや‥ 同じ考え方とは思えないね! ワタシには‥ なぜお前が、リシャール大公にあれほどの悪態(あくたい)をつき‥ わざわざ死刑宣告を受けようとしたのか―――さっぱり判らん! 」
「だって、あそこで俺がしおらしくしてたとしても‥ 最低、五回の鞭打(むちう)ち刑は確実だっただろう!? ナニもしていない俺が、なんで鞭(むち)で打たれなきゃならネーんだよ!? 」
「けど‥ 鞭打(むちう)ち五回ですむのなら、それぐらい我慢すればいいじゃないか 」
 頼純はあっさりとそれを否定する
「真っ平(まっぴら)ゴメンだね! 五回も鞭で打たれたら‥ 下手すりゃ数週間も寝込む事だってある。 俺達に、そんな時間はねェんだよ! 」
「だが、こうして殺されるよりは――― 」
 頼純は呆れた顔をオズバーンに返した。
「はあ!? アンタ‥ 俺があんな奴らに殺されるとでも思ってんのかい? だったら、端(はな)からこんな駆(か)け引きなんかするモンかい! 」
「いやいや‥ だって――― 」
「リシャールはアンタに言ってただろう? たとえ、自分が怒りにまかせて死刑宣告をしたとしても、それを実行してはならない―――ってね。 アンタが何とか言いくるめて、その場を納めるように―――ってさ! 」
「し‥ 知っていたのか? 」
「まあね‥ あの時、剣を振り上げた兵士には殺気(さっき)がなかった。 奴は、アンタの声を待ってるようだった 」
「‥‥‥ 」
 興奮したジョルジュがまたまた話に割り込んでくる。彼は体も小柄だが、性格はもっと軽い。
「ひゃ~~~あ‥ なんか、めっちゃ面白ェ! コイツただのバカかと思ってたら‥ けっこうな策士(さくし)じゃん! 」
 イラッとした頼純がジョルジュに言い返す。
「いやいや‥ お前が、『ただのバカ』だろう! 」
「ム! 」
「『ム!』じゃネーよ! 感情を言葉にするな! もっとバカに見えるぞ 」
「ムムム! 」

 その時、進行役のティボーが中庭中に響くような大声を上げた。
「さあ‥ 東の彼方(かなた)からやって来た愚(おろ)か者よ‥ 選ぶがよい! お前はどちらの戦士と戦う? 」
「ほう‥ 選ばせてくれんのか? 」
 ジョルジュとオズバーンが声を潜(ひそ)めて頼純に教授する。
「戦斧(アシュ)の方―――アンドレを選べ! 」
「うむ‥ 奴はアンタと同じ攻撃型だ。 大盾(エキュ)を持ったエノーは攻守両用型でアンタには不利になるだろう! 」
「そうだなァ‥‥ 」

 その時、貧民街の方で落雷のような巨大な音がした。
 その大きな音に、観衆を始めリシャール大公までもが大いに驚いた。ティボーなどは、おしっこをチビリそうなくらいに脅(おび)えている。
 一同はその音がした方向―――ファレーズ城が建つ丘の裾野(すその)の方へと目を向けた。
 そこに建ち並ぶあばら屋群の中から、黒い煙がボアンと立ち昇った。
 空は晴れ渡っているのに、雷が落ちる事もなかろうと訝(いぶか)しんだリシャールは、黒煙が立ち上るあたりに物見(ものみ)の兵を向かわせた。


 観衆が不安にざわめく中、頼純が大声で叫んだ。
「大公さんよ‥ アンタ自慢の騎士を二人いっぺんに相手にしてやるよ! だから、俺が勝ったら俺を無罪放免(ほうめん)にしてくれ! 」
 ティボーが、信じられないといった声をあげる。
「りょ‥ 両方いっぺんにだとォ‥? 」
 隣のジョルジュが慌てて止めにはいる。
「バ‥ バカ! やめろって! そんなコトしたら、絶対に殺されるぞ! 」
「けど‥ こうでもしなきゃ、俺は自由になれねェからなァ‥! 」
 オズバーンが驚きの声をあげる。
「お‥ お前、まさか‥ 鞭(むち)打ちの刑が嫌で、無罪放免になりたかったから‥ それで、わざわざ大公を怒らせ、このような危険な試合にまで持ち込んだ―――とか言うんじゃないだろうな‥? 」
 頼純はケロッとして答える。
「うん‥ とか言うね♡ 」
 オズバーンはもはや呆(あき)れてモノが言えなかった。
 ジョルジュはますます楽しそうである。
「いや~~~あ‥ オメー、カッコイイなァ‥♡ 完全にバカだけど‥ 」

 観覧席から立ち上がったリシャールが声を上げる。顔は笑っていたが、心中(しんちゅう)は自分がコケにされたようで、苛立ちはますます膨(ふく)れ上がっていた。
「それはまた、愚(おろ)かな提案をするモンだ! お前は、よほどの馬鹿者か、よほどの自信家なのであろう‥ いや、その両方か‥!? 」
 広場の全員が声を上げて笑った。
 その嘲笑(ちょうしょう)に少し気分をよくしたリシャールは、大きく頷(うなず)いた。
「いいだろう‥ お前の望みを叶(かな)えてやる! だが、それは短い時間だけだ。 なぜなら、お前はこの二人に瞬殺(しゅんさつ)されてしまうからだ! 」
 さらに中庭がドッとわいた。

 巨人兵士二人が中庭の中央へと進み出た。
「さあ‥ かかってこい! 」
 二人を前にした頼純はゆっくりと正眼(せいがん)の構えをとった。
 観客の興奮は頂点に達しようとしていた。

     ×  ×  ×  ×  ×

 その頃、ロベールは四人の兵士に囲まれ、自室に監禁(かんきん)されていた。
 自分のせいで、頼純を追い詰めてしまった事を心より後悔(こうかい)していた。そして、兄の心ない行動には、腹を立てていたのである。
 外で、ワッと歓声が上がった。
 ロベールは両手の指を組み合わせ、頭(こうべ)を垂(た)れた。
「ヨリ殿‥ 貴方(あなた)を助ける事ができぬ、ふがいないこの私をお許しください‥ 」
 そして、神に深い祈りを捧げるのだった。
「主(しゅ)よ‥ どうか、ヨリ殿が無事でありますように。 彼が殺される事がありませんように‥ どうかどうか、お守りください! 」

     ×  ×  ×  ×  ×

 城の中庭では、誰もが注目する試合が行(おこな)われている。
 警備の兵士達もそちらに気をとられて、仕事どころではなかった。
 ファレーズの街全体の警備が疎(おろそ)かになっていたのである。
 そんな中、城の裏側にそそり立つ巨大な土山(モッド)へと走り寄る一団がいる。
 サミーラと頼純の部下であるイタリア人傭兵(ようへい)達―――ピエトロ、アンドレア、ジョヴァンニ、フィリッポ、ロメオ、ジャコモの6人である

 グラン・シャンの森に取り残された彼らは、急いでモン・サン・ミッシェルに戻り、非戦闘員と荷物を残して、馬でファレーズへと先回りしていたのだ。
 無論(むろん)、頼純を救出するためである。

 以前から、隊商(キャラバーン)の警備隊は行く先々の街へ入る前に、まず二名の先遣隊(せんけんたい)が中の様子を確認する事になっていた。そして、十分に安全が確保されてから、本隊が進入するのである。これらすべては、頼純の指示であった。
 さらに、その街に二日以上逗留(とうりゅう)する場合、警備隊はロレンツォと商品を守る数名を残して、各自その街を探索(たんさく)し、街全体の警備上の弱点や脱出ルートなどを確認する決まりになっていた。
 一行が前回、ファレーズの街に滞在(たいざい)したのは一週間にもおよび、その間に街は徹底的に調査し尽(つ)くされていた。

 ファレーズ城の警備上の弱点は、大きな土山であるモッドにあった。
 モッドの頂上に建つ砦(とりで)には、長期間の籠城(ろうじょう)に備(そな)えて、便所が用意されている。
 便所の下には大きなタライが置かれてあり、定期的にその中身を外へ捨てるようになっているのだ。頂上を囲った板塀(いたべい)には、そのための小さなトビラがつけられていた。
 彼らはこのトビラが、外側からでも開く事を見つけていたのだ。

 城内の警備は前回に比べると、人数は多くとも、兵の集中力がかなり散漫(さんまん)になっている。
 中庭で頼純が戦わせられる―――という噂(うわさ)を耳にしていたが、そのせいであると思われた。
 それだけに、急がねばならなかった。

 まずは、身の軽いサミーラが、両手に握った二本のナイフを器用に使いながら、モッド背面の崖をスルスルと登っていった。
 まだ使用された事がない糞尿(ふんにょう)遺棄(いき)用のトビラを開(ひら)くと、するりと中に潜(もぐ)り込む。
 細くくびれた腰につけられていた紐(ひも)をはずし、砦の土台の柱に縛(しば)り付けると、彼女は身を忍ばせてその入り口へと向かっていった。
 一階の扉は開け放たれ、一人の警備兵がそこから中庭の様子を覗(うかが)っている。
「おお‥ ルーアンの巨兵兄弟だ! 」
 サミーラは、隠れたところからドゥニエ銀貨を投げる。
「あれ‥ お金、落とした‥? 」
 その音につられて、外へ出てきた警備兵に背後から飛びつくと、彼の首に細い腕を回し、締(し)め上げていった。
「ググググ‥ 」
 警備兵はあっと言う間に落ちた。死んではいない。気を失っただけである。
 サミーラは柱に縛り付けた紐(ひも)を引いて、ドンドンと巻き上げていく。やがて、もう一方の端に結(ゆ)わえられた太いロープが現(あらわ)れる。
 今度はそれを床下の柱にしっかりと結(むす)び付けた。
 そのロープをつたって、他の傭兵(ようへい)達が次々とモッドを登ってくる。
 その間に、サミーラは一人静かに砦(とりで)の中へと侵入していった。

 砦(とりで)の二階へ音を立てずに登っていく。
 二階の警備兵も窓から中庭を注視していた。
 中庭でドッと歓声が上がった。
 その音を期(き)に、サミーラは彼の背中に飛びつくと、再び首に腕を回し、締(し)め上げていく。
 だが今回の警備兵は簡単に気を失わなかった。
 背中から壁にぶつかったり、大きく上半身を揺(ゆ)さぶったりして、背後にかじりついたサミーラを振り落とそうとする。
 背骨に走る激しい痛みと、ドタンバタンと大きな音が立つ事を何とかしなければと、サミーラはあせった。
 そこへ、階段を上ってきた傭兵(ようへい)ジョヴァンニが、兵士の顔面に強烈な拳(こぶし)を叩き込む。
 警備兵はそのまま、暗闇の中へと落ちていった。

 モッドの上の砦(とりで)を攻略したサミーラ達は、弓がとくに上手いピエトロを二階に残し、中庭へと通じる扉をそっと開け、板塀に隠れながら階段を降りていった。
 砦(とりで)に残ったピエトロは、窓から下にある中庭(ヴァレ)めがけて大きく弓の弦(つる)を引き絞った。