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1026年 ルーアン城・広間(1)
ルーアンでの祝宴(しゅくえん)は、ファレーズよりもさらに派手なモノであった。
すべての市民にパンと酒が無料で振る舞われた。
街の辻々(つじつじ)では、楽隊がフルートやバグパイプを奏(かな)で、人々はそれにあわせて踊った。
また、ロベールが連れてきた吟遊詩人(ジョグラール)達も、ハープやリュートを手にあちこちで歌い、ドラゴン退治したロベールと頼純を讃(たた)えた。
ルーアンの街全体が音楽と歓声に包まれていたのである。
ロベールが語った物語では、けっして自分の事を『勇者』として褒(ほ)める事はなかったが、吟遊詩人(ジョグラール)達はロベールに雇(やと)われていたタメ、彼の事も大袈裟(おおげさ)に賞賛(しょうさん)していた。
一方、ロベールから直接話を聞いた者達は、その人柄(ひとがら)に触(ふ)れ、違った意味で彼を褒(ほ)め讃(たた)えた。
旅人は、その冒険譚(たん)をノルマンディー中に伝え、それはさらにフランスからヨーロッパ全土に広まっていった。ファレーズ伯ロベール1世と異教徒・頼純の友情と冒険の話は、貴族や騎士のみならず、しだいに多くの庶民までもが目を輝かせる騎士道物語(ロマンス)となっていくのだった。
それらはやがて、『ノルマンディー』と言えば、リシャール大公よりもロベール伯爵を思い浮かべるほどに、人々に知れ渡っていった。
ルーアン城広間での祝宴(しゅくえん)では、頼純は質問攻めにあっていた。
ドラゴンを殺した者であるがゆえに、集まった多くの貴族や騎士達も尋ねたい事は山ほどあるのだろうが、『どこの国からきたのか』だとか、『その国はどこにあるのか』だとか、『その剣はなぜそんなに斬れるのか』だとかいう質問をしつこく浴(あ)びせられるのである。
それでも、その程度ならまだいい方で、『年はいくつだ』だとか、『結婚はしているのか』だとか、『その着ているモノはなんだ』だとか、どうでもいい質問の方がかなり多かった。
しかも、入れ替わり立ち替わり、人が集まってくるので、同じ質問を何十回とされる。
頼純はもういい加減、うんざりしていた。
そんな時、突如頼純の周囲の人垣が割れ、十歳にも満たない少年が彼の方へと近づいてきた。人垣の人々は、その少年に恭(うやうや)しく挨拶(あいさつ)をした。
少年は頼純に
「あのドラゴンを殺したのは貴様か? 名を何という? 」
と、横柄(おうへい)な態度で尋(たず)ねてきた。
「はあ!? 」
あまり機嫌のよくない頼純は、相手が子供であるにもかかわらず、イラッとした声を上げた。
「人の名前を知りたいのなら、まず自分から名乗りやがれ! その程度の礼儀もお前を教わっていネーのかよ? 」
頼純に睨(にら)み据(す)えられた少年の顔に脅(おび)えが走った。
そこへ、後ろから駆け込んできた男が頼純を怒鳴りつけた。
「無礼者! 貴様はこの方を誰だと思っておるのか? ノルマンディー家公位継承権第2位のモーガー様なるぞ! 頭(ず)が高い、控えよ! 」
周囲の者達は一斉に深々と頭を下げた。
しかし、頼純はそのような脅しなど屁でもない。なにせ、大公にでも噛(か)み付く男なのである。
頼純は男を無視して、モーガー少年を睨(にら)み据(す)えた。
「てーコトは、お前は大公やロベール伯の弟か? 俺は藤原家公位継承権第一位の頼純様だ! 判ったら、さっさと外で遊んでこい! 俺はガキの相手しているヒマはネーんだ! 」
怒鳴られて、モーガーは泣き出してしまった。
ちょっと言い過ぎたなと頼純が反省していると、さきほどのお付きの男が、顔を真っ赤にして声を張り上げた。
「貴様、許さぬ! ノルマンディー公家の名誉にかけて――― 」
「あ―――あ、もう‥ 判った、判りましたよ! そのくだりは、これまで何度も聞いたし‥ そのせいでコッチは損してばっかりだ! ホント、うんざり! 」
頼純は少年の前にしゃがみ込むと、東洋人らしく手を合わせて謝った。
「ごめんな! 子供に怒鳴った俺が悪かったよ.. だから、もう泣くなって‥ な!? そんなに泣いてたら、将来、立派な貴族様になれネーぞ♡ 」
だが、泣いていたモーガーは突如拳(こぶし)を振り上げ、頼純の左頬(ほお)を殴りつけたのだ。
「痛(い)て! 」
あまりにも不意だったので、頼純は尻餅(しりもち)をついてしまった。
「バーカ、バーカ、バーカ! 」
悪態(あくたい)をつくと、モーガーは走り去っていった。
ポカーンとしてその後ろ姿を見詰めていた頼純を、お付きの男クリストフが忌々(いまいま)しげに見下ろした。
「本来なら、このような無礼な振る舞いは、決して許さぬところではあるが‥ 本日は、兄君ロベール様のご帰還(きかん)祝勝(しゅくしょう)という事もあって、特別に慈悲(じひ)を与えよう。 神に感謝せい! 」
そう吐き捨てると、
「モーガー様‥ お待ちくださ―――い! 」
そう叫びながら、少年の後を追い掛けていった。
頼純はクリストフの尊大な態度に驚いた。
子供の世話役程度のクセをして、リシャール大公以上の横柄(おうへい)さである。どうして、どいつもこいつもこう偉そうにするのか―――頼純にはさっぱり判らなかった。
あの世話役とて、ドラゴン退治をしたのが目の前にいる人物である事ぐらい知っているハズである。
リシャール大公ともめた男であり、アンドレらノルマンディー最強戦士と戦った事も耳にしているであろう。
しかも、頼純は本日の主賓(しゅひん)なのである。
にもかかわらず、あの世話役クリストフはその事にいっさい触れず、人を見下す態度を取り続けたのだ。それが理解できなかった。
ただ、頼純はこの男とよく似た人物を知っている。
ファレーズ城のティボーである。彼はあのおっさんと同じ目をしていた。
七歳のモーガーとその弟・六歳のギヨームは、リシャール3世やロベール伯爵の異母兄弟である。
まだ幼いが、一昨年に実母ポッパを亡くし、今年は父リシャール2世までも失っていた。幼い兄弟は両親がいないのである。
小公子世話役のクリストフが立ち去ると、波が引いたように頼純の周囲から人がいなくなり、その後、誰も彼に近づこうとはしなかった。
夜も更(ふ)け、宴(えん)もたけなわとなった頃、ふいにジョルジュ伯が大きな声をあげた。
「大公様‥ どうです、ドラゴンを退治したご褒美(ほうび)に、ヨリちゃんをアナタの騎士(シュヴァリエ)になさってみては? 」
その唐突な発言に頼純は驚き、すぐに嫌な顔をした。
―――ッたく! このバカタレが、また余計な事を! この展開は、ファレーズでも同じだっただろうがよ。 その申し出を俺が断って、その噂を聞きつけたリシャール公が怒ったんじゃネーか! そのせいでこの俺は、アンドレ・エノー兄弟と戦わなきゃならなくなっちまったんだぞ。 それぐらい、お前だって知ってんだろう!? お前はどこまでバカなんだよ‼―――頼純は心の中でジョルジュを激しく罵(ののし)った。
にもかかわらず、酔って調子に乗った大公の近習(きんじゅう)達もそれに賛同(さんどう)したのである。
「おお‥ それはよい! 」
「大公様、ぜひそうなさいませ 」
リシャール大公の隣の席にいたロベールは大いに驚いた。
「い‥ いや‥ それは、ちょっと―――あ‥ 兄上‥!? 」
しかし、さすがに大公は馬鹿ではない。口まで持っていった黄金の杯(ゴブレット)を一瞬止め、しばし頼純を見詰めていたが、そのまま何も語らなかった。おそらく、『問題ばかり起こす男に用はない』とでも思っていたのであろう。
ところが、少々酔ったオズバーンが珍しく不用意な言葉を発した。
「もし、その方がキリスト教に改宗(かいしゅう)するというのなら‥ ノルマンディー公家が召(め)し抱(かか)える件、考えてやってもよいぞ! 」
ジョルジュ伯の発言から、広間の中には聞き耳を立てる者が続出し、このオズバーンの一言でその場は水を打ったように静まり返った。
人々は頼純が何と返事をするのか、固唾(かたず)を呑(の)んで見守っている。
長い沈黙の後、頼純は陶器のジョッキに満たされたリンゴ酒をグイッと飲み干し、静かな声で話しはじめた。
「残念ながら‥ この俺はキリストさんを信じる気もなければ、大公さんの家来になるつもりもネーな! 」
その言葉に、かなり酔っぱらった騎士が立ち上がり、腰の剣に手を掛けた。
「なにィ! いくら、ドラゴンを倒したとはいえ‥ その物言いは、大公様に無礼であろう! 」
頼純はその騎士を無視して、リシャール3世に説明した。
「これはロベール伯爵にも言った事だけど‥ 俺はヴェネチアのロレンツォ殿と先約があるので、誰の家来にもなれネーんです! あしからず 」
再び、広間はシーンとなった。
やがて、リシャール3世がはじめて口を開いた。
「まあ‥ 無理にとは言わん。 好きにしろ 」
「え!? 『無理にとは』―――? 」
ロベールは、兄の言葉を小さな声で復唱した。そして、彼も本当はヨリを家臣にしたいのだと悟ったのだった。
『さもありなん』とロベールは納得した。
―――兄はヨリとアンドレ、エノーの巨兵戦士との戦いを一番間近の席で観覧(かんらん)したのである。
あれほどの強者(つわもの)二人を相手に、ヨリは本当に殺す事なく、戦闘力だけを奪(うば)うという離れ業(わざ)をやってのけた。それだけでも、凄(すご)い武者(むしゃ)であるのに、その上にこれほどの巨大なドラゴンまで倒したのである。
兵を養(やしな)う者にとって、最強の戦士を手に入れたいと思うのは当然の事であろう。
だが、ヨリは自分が先に目をつけた武人である。しかも、大公である兄を激しく罵倒(ばとう)さえした。そのような者に頭を下げる事など、プライドの高い兄に出来ようハズもなかった。
その時、頼純もつい口を滑らせてしまった。彼もリシャール大公に対するわだかまりがあったからだ。
「それに、家来になるとしたら‥ 俺はロベール伯爵の家来になるね! 」
「え!? 」
ロベールは、頼純の口から自分の名前を挙(あ)げられて困惑(こんわく)しているようだった。
常識のないジョルジュ伯でさえも頼純の非常識な言葉に顔を顰(しか)めた。
「い‥ いやいや‥ いま、それを言っちゃあダメでしょう‥! 」
だが、頼純はお構いなしに言葉を続けた。
「この場のご一統(いっとう)さんは、ロベール伯爵を軽く見てらっしゃるようだが‥ 俺は、この人は大した男だと思うゼ! 」
広間はずっと静まり返ったままだった。
その中で、頼純の声だけが朗々(ろうろう)と響いた。
「このドラゴンと初めて出会った時‥ 俺は驚きのあまり、体がすくんで動けなかったが‥ ロベール伯爵はひとり、ドラゴンに立ち向かおうとしたんだぜ! 」
「―――ええ!? 」
広間に驚きのざわめきが広がっていった。
彼にそのような勇気があろうなどとは到底信じられなかったからだ。
吟遊詩人(ジョグラール)や街の噂では、そのような事も話してはいたが、それは誇張(こちょう)された物語で、ロベール伯爵が命じた自己宣伝にすぎないと考えられていたからだ。
この場の全員が、ロベールの事を幼い頃から知っていた。
彼は頼りなく、甘えん坊で、剣の腕前などなきに等しかった。
親がノルマンディーの大公だったお陰で伯爵の地位を手に入れた―――名ばかりの騎士(シュヴァリエ)だと思い込んでいたからだ。
しかし、最強の戦士である頼純が、自分よりも勇気があるとロベールを褒(ほ)め讃(たた)えているのだ。
これほどの巨大なドラゴンを目(ま)の当たりにすれば、どのような戦士であろうとすくみ上がるに違いない。にもかかわらず、ロベール伯は、怖(お)じ気(け)づく事なく、戦いにいどんだ―――
人々が半信半疑になるのも当然であった。
頼純の話はさらに続いた。
「伯爵は経済や農業などにも専門知識を持っているし、政策もしっかりしている―――なかなかの知恵者だ! さらに、他人を見下す事なく、誰にでも優しい。 そして何よりも、家臣や領民の事をまず第一に考えている。 そんな貴族は彼以外に見た事がない! 」
「‥‥‥ 」
「はるか東にある中国(スイーン)では、力によって上から天下を治めようとする者を覇者(はしゃ)と呼び、徳を以て民から慕(した)われる者を王者という。 アンタの弟は、まさにその王者だ! この人を伯爵ていどで終わらせるのはもったいない。 公爵―――いや、国王にだってなれる男だと俺は思うゼ♡ 」
頼純のあまりにも高い評価に、周囲はポカーンとするばかりで言葉を発する事を忘れていた。
その沈黙を破るように、オズバーンが血相変えて怒鳴った。
「な‥ なにを申すか! 滅多(めった)な事をいうモノではない。 お前の発言は、このノルマンディー公家にお家騒動を引き起こしかねん一言だぞ。 いますぐ、取り消されい! 」
そう言った瞬間、オズバーンはしまったという顔をした。彼が怒鳴った事で、オズバーン自身がその可能性を認めてしまったからである。
広間は凍り付いた。一同は、リシャール大公がどのような雷を落とすのかと脅(おび)えていたのだ。
「ハハハハ‥ 」
広間に大きな笑い声が響いた。笑っているのはリシャール大公である。あのいつも苦虫を噛(か)み潰(つぶ)したようなリシャールが、楽しそうに笑っているのだ。
貴族、騎士、貴婦人―――広間にいる全ての者が一様(いちよう)に驚いていた。
「そうか‥ わが弟は知恵者か? 国王にもなれる男か? うんうん‥ ハハハハ 」
彼は弟が褒(ほ)められた事を心の底から喜んでいた。
それは、肩の荷がおりたような晴れやかな笑い声であった。
そして、キラキラと輝くリシャールの笑顔は、まぎれもなく29歳の若者のそれだったのだ。