第101話 1027年 サンマリクレール修道院(2)

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 1027年 サンマリクレール修道院(2)


 リンゴ畑の丘に建つサン・マリクレール修道院―――頼純と『カラス団(コルブー)』達は、その院長執務室に通されていた。
 期せぬ闖入者(ちんにゅうしゃ)によって、回廊(クロワトール)に囲まれた中庭周辺は一瞬、騒然となったが、修道院長・ボニファスの機転ですでに平静を取り戻していた。
 ほとんどの修道士は『沈黙の行』へと戻り、院内はふたたび、水を打ったように静まり返っている。
 だが、それは真の静寂(せいじゃく)ではない。
 彼らは口こそ開かないものの、見知らぬ者達がさらなる騒ぎを起こすのではないかと、心が揺(ゆ)らいでいたのである。
 
 頼純ら6人が入れられた院長執務室は、修道院の規模に比べるとずいぶん狭い部屋であった。それは、執務机の前に立たされた頼純達の、肩と肩が触れあうほどに窮屈だった。
 執務室は机と椅子が置かれているだけ。その机の上にも、本が一冊と、手紙だろうか書きかけの羊皮紙が一枚、インク入れに立てられたガチョウの羽ペンが1本。
 壁に十字架さえ掛けられていない簡素な室内であった。

 修道院長であるボニファスは、彼らの対面―――質素な作りの椅子(いす)に腰掛けると、ジッと頼純達を見詰めている。
 その目には、大いなる威厳(いげん)とわずかな怒りがこもっていた。おそらくは、『沈黙の行』をおこなっている神聖な場所に、世俗の騒動を持ち込んだ事への怒りであろう。
 それに対抗するように、頼純も何も語らなかった。
 張り詰めた空気に、『カラス団(コルブー)』と修道士シモンは緊張している。
 やがて、ボニファス院長は羽ペンを取ると、手紙の裏側に何かを書き付け、それを傍(かたわ)らに立つシモンに見せた。
 現在、この修道院の中で、唯一話す事を許されているシモンは、
「院長様は、あなた方が騒ぎを起こされたので、しかたなくこの部屋に招き入れましたが‥ だからといって、アナタ方とお話しするつもりは一切ないそうです 」
 と告(つ)げた。
 しかし、頼純はシモンの言葉など聞こえなかったかのように、院長に語り掛けた。
「院長様‥ 我々はロベール伯爵暗殺未遂の犯人を捜しているのです。 これは、重大事件の捜査です。 それゆえ、この修道院の修行を一端中止してでも、我々にご協力いただきたいのです 」
 ボニファス院長はこのような事態に慣れているのか、上に向けた人差し指をクルクルと回した。
 それに応じて、シモンもこれまで何度となく口にしてきたであろう、お定まりの口上(こうじょう)を述(の)べるのだった。
「修道院は、神のより良き僕(しもべ)となるべく、世俗を離れて修行する場所です。 ここで我々が従うべきは、神の教えのみ。 世俗の法律や慣習は通用いたしません。 これはローマ教会からも認められておる特権。 あだやおろそかに考えてはなりませんぞ 」
 そう言われても、頼純はそれを無視して院長に尋(たず)ねた。
「アナタは、ファレーズの助祭トマと頻繁(ひんぱん)に会っているとお聞きしましたが‥ それは何のためでしょうか? 」
 院長の動きが一瞬止まった。
 それから、隣に立つ修道士シモンをゆっくりと振り仰(あお)ぐ。
「あ‥ いや‥ それは――― つい、口がすべって‥‥ 」
 院長に睨(にら)み付けられたシモンは、なにか言い訳をせねばとあせったが、口ごもるしかできなかった。
 頼純はボニファス院長を見据えて、さらに質(ただ)した。
「やはり、なにか心当たりがあるんですね? 」
「‥‥‥‥ 」
 答えないボニファスに、頼純はさらにたたみ掛ける。
「よいですか!? ロベール伯爵を最初に襲った犯人―――『山犬のジャン』は毒物で殺されております。 次の犯人、『ファヴロル村のアルノー』は毒の入ったリンゴ酒(シードル)を我々に飲ませ、その後彼自身も毒で殺されているのです。 そして、彼はこの修道院でリンゴ酒(シードル)の運搬を担当しておりました。 さらに、ここのリンゴ酒(シードル)は5年前から急に美味(うま)くなっており――― 」
「ちょ‥ ちょっとお待ちください 」
 シモンが声を掛けた。ボニファス院長が手のひらを掲(かか)げたからである。
 院長はふたたび手紙の裏になにかを書いた。ラテン語ではないようである。彼ら特有の符丁(ふちょう)らしい。
 それを覗(のぞ)き込んだシモンは数度頷(うなず)くと、頼純達に語り始めた。
「リンゴ酒(シードル)と毒―――アナタはこの2つの言葉が、あたかも真相究明の鍵のごとくおっしゃられていますが‥ そこにはなんの関連性もなく、ただ偶然が積み重なっただけです。 つまり、アナタは何も立証されておらぬのです。 にもかかわらず、このような根も葉もない捏造(ねつぞう)によって、我らの修行を中断せよとは―――断じて許される事ではありません! いいかげんにされぬと、ご一同様にも神罰が下(くだ)りますぞ! 」
「‥‥‥ 」
 頼純は院長の険(けわ)しい目を見て黙り込んだ。
 ボニファスが扉へ手を差し伸べると、シモンが代わって伝えた。
「さあ‥ どうぞ、お帰りください 」
 その冷淡な対応に、頼純はしばし考え込んでいたが、
「そうかい。 じゃあ、しょうがねーや‥ 我々は帰る事といたしましょう 」
 そう言うと、素直に踵(きびす)を返した。
 しかし、扉へ向かいながら、頼純はさらに付け加えた。
「たしかに、我々は教会内の事柄に口出しする事はできませんけどね――― でも、ここのリンゴ酒(シードル)を出荷停止にする事はできるんですよ 」
え!? 」
 頼純はドアの取っ手を掴むと、笑顔で振り返った。それは意地の悪い微笑(えみ)だった。
「たとえ関連性がなかろうと、なんにも立証できてなかろうと‥ この事をロベール伯爵やリシャール3世公爵にご報告すれば‥ ノルマンディー中のすべての酒屋、酒場、個人に対して、この修道院のリンゴ酒(シードル)を買わないように命じる事はできるのです。 サン・マリクレール修道院の酒は危険だってね 」
「そ‥ そんな‥ 」
 シモンのつぶやきをよそに、頼純は続けた。
「さらには‥ もし、アナタ方が伯爵の暗殺未遂にほんの少しでもかかわっていたとなれば‥ こんな修道院、確実に取り潰す事ができるんです! 」
 ふたたび、ボニファス院長は固まった。
「では♡ 」
 そう言い残して、頼純が扉から出ていこうとすると、
「ちょ‥ ちょっと待って! 」
 修道士シモンがあせった声を上げた。
 そして彼は、顔面蒼白(そうはく)となっているボニファスに、二言三言(ふたことみこと)耳打ちしたのだ。
 ボニファスはしばらく考えていたが、頼純と自分を指差してから、手を払った。
「は‥ はい‥ 」
 強張(こわば)った笑いを顔に張り付けたシモンは、頼純と『カラス団(コルブー)』に丁寧に話し掛けた。
「勇者様はこのままお残りください。 他の皆様はこちらへ。 おいしいリンゴ酒を差し上げましょう‥ あ、白湯(さゆ)もありますよ♡ 」
 だが、話を聞けないと知ったグラン・レイ達は、口々に不満の声を上げた。
「おいおい、冗談じゃネーぞ! 何で俺達は出ていかなきゃならネーんだよ?」
「俺達にも話を聞かせてくれよ 」
「ヨリ様だけって‥ そんなのずるいだろ!? 」
 頼純は隣で文句を言うグラン・レイ達を振り返った。 そして、小さく頷(うなず)く。
 『カラス団』達は、渋々ながら納得するしかなかった。
「なんだかなァ‥‥。 じゃあ、湯でもすすってくっか! 」
「あ~~~あ‥ ヤダヤダ! 」
「つまんネーの! 」
 『カラス団(コルブー)』達は捨てゼリフを吐くと、頼純が開いた扉から出て行った。
 そして、その扉がシモンによって閉められたのだった。

     ×  ×  ×  ×  ×

 院長室の中は頼純とボニファスだけとなった。
 院長は無言で手を差し出すと、頼純に対面の椅子(いす)を勧めた。
 彼に従って、頼純は背もたれのない粗末な椅子(いす)に腰を下ろす。
 しばしの沈黙の後、頼純が静かに口を開いた。
「これは、ノルマンディー公国の存亡にもかかわる重大な事件です。 もし、アナタ方が暗殺未遂にかかわっていないのなら、いま正直に釈明していただきたい。 でないと、この修道院は本当に、閉鎖や取り潰しの憂(う)き目に遭(あ)ってしまいますよ。 アナタに、その責(せき)を負(お)われるお覚悟がおありですか? 」
「‥‥‥ 」
 話そうとしないボニファスに、頼純は恭(うやうや)しく語り掛けた。
「どうしても、その『沈黙の行』をお続けになられるとおっしゃるのなら‥ 私の質問に、合図で答えてください。 『はい』の場合は、机をノックされるだけでけっこうです 」
 言葉は丁寧(ていねい)であったが、頼純の態度は一歩も引かぬ様子である。
 ボニファスは、そんな頼純を硬い表情でジッと見詰めていた。
「‥‥‥‥ 」
「ご協力いただけませんでしょうか? 」
 その時、頼純以外の声が院長室に響いた。
「ついに、この日がやって参(まい)りましたな‥‥ 」
 やや、しわがれたその声は、院長の口から発せられたものであった。
「アナタ様のご質問に正直にお答えいたしましょう 」
「しゃ‥ しゃべった? 『沈黙の行』の方はよろしいのですか? いや‥ 中止するよう、さんざん脅したこのわたくしが申し上げるのもへんではございますが‥‥ 」
「致(いた)し方ありません。 もはや、隠し立てはできませんし、主(しゅ)もそれをお望みではないはず。 アナタ様の捜査にご協力させていただきます 」
「それは、かたじけのうございます 」
 頼純は礼を述(の)べると、改めて質問を開始した。
「それで‥ どうして急に、ここのリンゴ酒(シードル)は美味(おい)しくなったんです? その味の変化に、ファレーズの助祭トマが関係しているのでしょうか? 」
「―――はい。 じつは‥‥ 我が修道院のリンゴ酒(シードル)には、トマ殿からいただいた薬が入っておるのです 」
「く‥ 薬? 」
「ええ‥ ここで毎年生産されるリンゴ酒(シードル)は約150樽ほどですが‥ その1樽、1樽に、スプーン一杯ほどの薬を入れてやるのです。 そして、その樽を一年ほど寝かせてやります。 するとそれは、とんでもなく美味(うま)いリンゴ酒(シードル)に生まれ変わるのです 」
 頼純は訝(いぶか)しげな表情で院長を覗(のぞ)き込んだ。
「それって、まさか毒ではないでしょうね? あなた達は、毒をノルマンディー中に拡散しているのでは―――? 」
 院長は慌(あわ)ててそれを否定した。
「と‥ とんでもない! あれは絶対に毒なんかではありません。 それは何度も何度も確認いたしました。 最初は、できあがったリンゴ酒(シードル)の3割にだけ薬を入れ、それらは出荷せずに我々で試飲しました――― 」
 ボニファスは一瞬口ごもった後に
「その後は、牢につながれた罪人達にも長期に渡って飲ませ続けました。 しかし、刑の執行以外で、死者は出ておりません。 彼らに何の異常もなかったのです 」
「しかし、たったスプーン一杯の薬を入れただけで、そんなに酒が美味(うま)くなるなんて‥‥ そんなモノ、あるはずがないじゃないですか! 」
「―――いいえ、それがあるのです。 それは、まさに魔法―――いえ、神の御技(みわざ)でございます 」
 院長の説明に納得はいかなかったが、頼純は次なる質問へと進んだ。
「それで‥ 助祭トマが、この修道院のリンゴ酒(シードル)を美味(うま)くするのは、なにゆえなのでしょうか? そうする事で、彼に得でもあるのですか?」
 ボニファスは大きく溜め息をつくと、それに答えた。
「トマ殿はその売上の5分の1をよこせと。 それは利益の半分近くになります。 あまりの高額に、我々も最初は渋っていたのですが、トマ殿から『作った酒が、すべて売れるのですよ』と言われて、つい‥‥‥ 事実、薬を入れたリンゴ酒(シードル)はあっと言う間に完売してしまい、出荷量は前年の3倍となりました。 さらに、美味(うま)いと噂になったお陰で、次の年から売値が2倍になったのです。 つまり総売上は、これまでの6倍となりました。 ならば、利益の半分をトマ殿にお渡ししても、なんの問題もありません。 我々には、十分すぎる浄財(じょうざい)が入ってくるのですから 」
 眉を顰(しか)めた頼純がさらに尋(たず)ねた。
「つまり‥ トマには4年間毎年、その莫大な利益が入ってきてたってわけですよね。 奴はとんでもない大金持ちになってるって事でしょう? 」
「はい‥ 間違いなく‥‥ 」
「なるほどねェ‥ 」
 全容が解明してきた事で、頼純の頭はさらに回転した。
 伯爵を襲わせた山賊を雇(やと)うにも、かなりの資金が必要だと思っていたが、トマ助祭はその金を持っていた。
 そして彼は、毒を作るよりもはるかに難しいであろう、酒を美味(うま)くする薬さえも作る事ができるのだ。
 その一方で、まだ解明されていない事もたくさんあった。
 たとえば、酒を美味(うま)くする薬は本当にトマが作ったのか?
 もし、誰かに作らせたのであれば、トマには仲間がいるという事になる。そして、集団による犯行であれば、事態はさらに複雑となるだろう。
 また、伯爵を襲わせた理由―――トマの動機は、いったい何なのか?
 彼は金をたっぷり持った宗教関係者である。となれば、金銭目的とは考えにくい。ならば、怨恨(えんこん)であろうか。あるいは、ロベール伯爵の存在自体が邪魔という事も考えられる。
 今はまだ、犯人の目星がついたにすぎなかった。

 頼純はそのような事を考え、しばし黙り込んだ。
 それはわずかな時間に過ぎなかったが、ボニファス院長の不安を増幅させるには十分であった。

 もしかしたら、自分達は暗殺犯の資金調達に加担していたかもしれない―――その思いがどんどんと募(つの)っていったのである。
 そして、そんな事になれば、この修道院全体が犯人の一味と判断され、修道院は取り潰しになってしまうかもしれない。それは、想像もつかない衝撃的事態であった。
 ボニファスには不安がもう一つあった。
 もし、トマが犯人で捕まってしまったら、今後あの薬は入手できず、リンゴ酒の売上が下がってしまうのではないか―――修道院が存亡の危機にあるというのに、彼は収入の減少を心配していたのだ。
 だが、『リンゴ酒』がもたらす利益が減れば、修道院の運営費は激減してしまう。
 礼拝堂の天井の雨漏りや、西側の土塀の修理はもうできなくなってしまうのだ。修道士達の夕食につけるスープもなくなり、近所の貧者に対する『施(ほどこ)し』もやめなければならなくなる。
 そんな事がボニファス院長の脳裏(のうり)を駆け巡(かけめぐ)った。
 人は、想像もつかない『破滅』よりも、身近にある些細(ささい)な『困窮(こんきゅう)』を先に心配するものなのかもしれない。

 そんな思いが高じて、ボニファスの口から大きな溜息がこぼれた。
 その声に、頼純は我に返る。
「おっと‥ これは失礼。 では、あなたが話された事は、すべて真実だと考えてもよろしいのですね 」
「も‥ 勿論(もちろん)ですとも! 主イエスに誓って、真実だけを述(の)べました 」
「ならば、けっこう。 他に話しておいた方がよい事はありませんか? 」
「いえ‥ ないと思います。 もし、なにか思い出しましたら、必ずやご連絡差し上げます 」
「判りました! では、我々はこれでおいとまいたしましょう。 ご迷惑をかけました 」
 ボニファス院長は胸のあたりで両手の指を組み合わせ、神に祈るように頼純に頼み込んだ。
「我が修道院は、ロベール伯爵様に対して、いかなる叛意(はんい)も持ってはおりません。 そこのところをお含み置きの上、どうかよしなにご配慮くださいませ‥‥ 」
「ご心配なさいますな。 では、ごめん! 」
 そう言い残すと、頼純は院長執務室を後にした。


 扉を出ると、中庭でおとなしく待っていた『カラス団(コルブー)』がいっせいに駆け寄ってくる。
「ど‥ どうでした? 」
「なにか、わかりましたか? 」
 尋(たず)ねてくるグランレイとブノアに、頼純は頷(うなず)いた。
「おそらく、トマが犯人だ! 」
 『カラス団(コルブー)』達がワッと歓声をあげた。
「お静かに! 」
 シモンが、声を上げる青年達を必死にいさめた。
 頼純達は、修道院の玄関へと足早に向かいながら、小声で話し合った。
「で‥ これから我々はどうしたらいいんでしょうか? 」
「なんだか、胸騒ぎがする。 すぐに、ファレーズに戻るぞ! 」
 一同は元気よく返事を返した。
はい! 」
 そんな一行の後ろを、泣き顔のシモンが追い掛けてくる。
「で‥ ですから‥ どうか、お静かにィ‥‥‥ 」