第97話 1027年 リジュー・フェビアン家(3)


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 1027年 リジュー・フェビアン家(3)
 
 ピエトロとフィリッポは、フェビアン家の家人(かじん)よりも先に、パンと野菜スープの朝食を食べさせてもらい、夜が明けたばかりの街道をブルゴーニュ伯領へと旅立っていった。
 2人は昨晩わずかな仮眠をとっただけ。酔いは覚めたものの、体内にはまだかなりの酒が残っていた。このような体調では、馬の速度もさほど上がらぬであろう。本日は、公都ルーアンへたどり着くのが精一杯だと思われた。
 頼純は彼らに、自分の仮説を他言しないように命じていた。
 『ファレーズ襲撃の真犯人は、ルノー1世ブルゴーニュ伯爵ではないか?』という仮説は、頼純とロベール伯、ピエトロとフィリッポ、そしてエルレヴァの父親フルベールの5人にしか知らされていない。
 とくに、『カラス団(コルブー)』の耳には入れたくなかったのだ。

 もし、頼純の推理どおりならば、ファレーズへの襲撃は『ひなげし食堂事件』が発端(ほったん)という事になる。
 多くのファレーズ住民が虐殺された原因は、『カラス団(コルブー)』が食堂にいた貴族や富豪達を皆殺しにしたから―――という事になるのだ。
 世間的には、『ひなげし食堂』の客を成敗(せいばい)したのは、ロベール伯爵の命(めい)を受けた、『勇者』藤原頼純だという事になっていた。これは、様々な政治的、宗教的問題を回避するためであった。
 だが、実際に『悪魔の客達』を殺したのは、ゴルティエをはじめとする『カラス団(コルブー)』である。
 むろん、彼らがやった事は間違いではない。
 彼らは、幼子を喰らう狂った悪魔崇拝者(すうはいしゃ)達を退治しただけである。それは英雄的行為とも言えた。
 そして、それを逆恨(さかうら)みした遺族が、ファレーズの街を焼き払ったというのであれば、それは恨んだ方が悪い。
 ましてや、ルノー1世の父オット・ギヨーム伯がその時に殺されたという証拠は何もないのだ。『ひなげし食堂』で誰が死んだのか、頼純でさえ知らなかった。
 つまり、『カラス団(コルブー)』に落ち度はまったくない。

 だが、ファレーズ襲撃事件の被害者の中には、『カラス団(コルブー)』達の家族や親しい者も多く含まれていた。
 ドニの弟レミは、はじめの火災で焼け死んでいる。彼はまだ8歳であった。
 ブノアの母親テレーズは傭兵(ようへい)に斬り殺されてしまった。彼らは、母ひとり子一人の家族だった。
 そして、グラン・レイモンドの恋人クララはいまだ消息不明なのである。二人は結婚の約束までしていたのに‥‥‥。
 ほかにも、多くの友人・知人らが死んでいた。
 彼らは、その悲しみを乗り越え、気丈(きじょう)に明るく振る舞っているのだ。
 だがもし、愛する者、親しい者を失った原因が自分達にあったと知ったら、彼らは自分を責め、大いに苦しむのではないか―――頼純はそう考えたのだ。

 伯爵のロベールでさえ、頼純からこの仮説を聞くや良心の呵責(かしゃく)に苛(さいな)まれ、数日間まったく眠れなかった。昼夜、意味もなく歩き回り、真っ青な顔でブツブツとつぶやき続けたのだ。
 ならば、実際に斧(おの)を振り、大量の血を浴びて悪魔達を成敗(せいばい)した『カラス団(コルブー)』らであれば、頼純がいくら『これは仮説にすぎない』と前置きしたところで、自分達の行為を大いに後悔し、絶望するに違いなかった。その重責(じゅうせき)に堪(た)えかねて、この仕事を続けられなくなる者も少なからずいるであろう。
 その事を思うと、頼純はみずからの仮説を『カラス団(コルブー)』に告げる勇気がなかったのである。


 グラン・レイ、ドニ、ブノア、ラウル、ニコラの5人は、日が昇った頃にやっと起きてきた。
「お‥ おはようございます‥ 」
「あ~~~あ‥ 頭がガンガンする‥‥ 」
 昨夜、村人達にしこたま呑(の)まされたせいで、皆ひどい二日酔いであった。
 頭を抱えてフラフラと広間に現れた若者達に、頼純は怒鳴った。
バカ野郎‼ さっさと顔洗って、それから水をバケツ一杯飲みやがれッ! 」
 烈火(れっか)のごとき頼純の𠮟責(しっせき)に、グラン・レイ達は一気に目が覚(さ)めた。
は‥ はい! 」
 そう答えると、彼らは飛ぶようにして井戸へと駆け込んだのだ。
 『カラス団(コルブー)』達は、頭から数杯の水をかぶるや、頼純から言われたとおり大量の水を飲んだ。
 完全に酔いが覚(さ)めた若者達は、素早く着替えをすませると、駆け足で広間に戻り、急いで朝食をとったのである。
 それから、頼純と『カラス団(コルブー)』の5人は街道へ聞き込みに出掛けたのだった。

「すみません、お話をうかがってもいいですか? 」
「ちょっと、お聞きしたい事があるんですけど‥ 」
 『カラス団(コルブー)』は、道行く人々に傭兵(ようへい)らしき人物や怪しげな人物を見なかったかと尋(たず)ねて廻(まわ)った。
 人々に笑顔で接する彼らに、かつてのチンピラっぽさは微塵(みじん)もない。
 最近では文字もかなり書けるようになっており、入手した情報を支給された蝋引(ろうび)きの書字板に書き込もうと張り切っていた。
 
 しかし、街道の通行人達は、彼らが『ファレーズの救世主』である事を知らないのか、『カラス団(コルブー)』を無視して通りすぎていく。
 また、答えてくれた数少ない人達も
「知らない 」
「判らない 」
「見た事ない 」
「聞いた事ない 」
 など、素っ気ないお返事の数々を頂戴するばかりであった。

 襲撃犯の生き残りを拷問(ごうもん)した結果、100騎を越える傭兵(ようへい)軍団は、ルクセンブルグの本部をバラバラに出発し、目立たぬようにパリ、ルーアンを経て、このリジューで集結したという。
 そして、この地で軍装、隊列を組んで、一気にファレーズまで攻め寄せたのだ。
 それが本当ならば、よそではいざしらず、この地では相当目立ったはずなのに、その軍団を誰も見ていないのだ。
 そこに何があるのか―――一同は大いに疑問を持った。

 とはいえ、ブルゴーニュ伯ルノー1世が真犯人だと考える頼純にとって、実行犯の不審な行動もさほど重要ではなかった。いや、そもそもこの調査自体が、ほとんど意味をもたなかった。
 これは『カラス団(コルブー)』に対する訓練なのである。『シュヴェール』達の侵入経路や戦闘力、作戦立案力などを調査・分析する事が本来の目的である。この聞き込みによって真犯人が見つけられるわけではない。
 それゆえ、頼純もかなり真剣みに欠けていた。

 『カラス団(コルブー)』達は二人一組、3班体勢で聞き込みを続けた。だが、夕方近くになっても、手掛かりになるような情報はなにも得る事ができなかった。
 そんな中、頼純は街道沿いの農地で畑仕事をしていた農夫に質問をぶつけた。
「ごめんなァ‥ そげな怪しかモンば見たコタァなかなあ 」
 土を掘り返す鍬(くわ)の手を止めて、老農夫は申し訳なさそうに答えた。
 『また空振りか‥ 』
 そう溜め息をついた頼純とブノアの傍(かたわ)らを、砂ぼこりを上げて荷馬車が通りすぎていった。猛スピードで走る荷馬車はその後、何台も何十台も続いた。その光景に驚いた頼純は、老農夫にふたたび問い掛けた。
「ありゃなんだい? 何の騒ぎなんだ? 」
 農夫は立てた鍬(くわ)の柄の先端に腕を乗せると
「ありゃ、リンゴ酒(シードル)の運搬じゃい。 こん先のサン・マリクレール修道院で作られたリンゴ酒(シードル)ば各地に運んどるんだす。 知らんか? 」
 と答えた。
 たしかに、馬車の荷台には10個ほどの酒樽(さかだる)が積んであった。
「へ~~~え‥ それにしても、すげェ数だな 」
「んだんだ‥ あの修道院のリンゴ酒(シードル)は、そりゃまあうまいッち、大評判ですけん。 もう、飲み始めたら止まらん美味(うま)さですばい。 やけんが、各地の領主様や教会はもちろん、ルーアンやパリにまで出荷されとるとです 」
 老農夫は得意顔で地元の名産を教えてくれた。
「農閑期(のうかんき)の今はみんなリンゴ酒(シードル)運びですじゃ。 オラも明日(あした)っから1週間ほど馬車に乗るだよ 」
 ブノアがやや興奮気味の声で頼純に告げた。
「そういや、きのうのリンゴ酒(シードル)もメッチャ美味(うま)かったッスよ! あれもきっとそうだ。 だから、俺達も二日酔いになるまで飲んでしまったんだ 」
 それは少々言い訳がましい意見だったが、頼純はすんなりと受け入れた。
「なるほど‥ 常に自分を律しているピエトロやフィリッポでさえも、我を忘れて飲み過ぎてしまった‥ それほど美味(うま)いって事か‥‥!? 」
 老農夫は大きく頷(うなず)いた。
「そんかわり、値段もびっくらこくずら。 あまりに高価で、庶民の口には滅多(めった)に入らん品物だべさ。 勇者様の御一行ちゅう事で、はあ‥ フェビアン様もえろう張り込んだモンじゃ。 したっけ、『勇者』様もコップが止まらんじゃったろう? 」
 頼純は困ったような笑顔を返した。
「いや‥ 残念ながら、俺にはコッチの酒の味がよく判んなくってよ。 まあ‥ 酔えれば何でもいいって感じかな 」
ひゃ~~~あ‥ そりゃもったいねェ 」
 大仰(おおぎょう)に呆(あき)れてみせた農夫は、ふと思い出したかのように言葉を続けた。
「そうそう‥ 『勇者』様達がお住まいのファレーズにも、毎年修道院のリンゴ酒(シードル)が50樽ほど入荷しとるはずずら。 知らんか? 」
「いや‥ 飲んだかも知んねェが―――サン・マリクレール修道院産てーのははじめて聞いたかな‥‥ 」
「え―――とッ‥ 何ちゅうたかのォ‥? ―――アルノー? そうそうそうそう‥ ファレーズには、ファヴロル村のアルノーちゅう男が運んでおったよ。 知らんか? 」
 ブノアは農夫の言葉を鼻で笑った。
「いやいや‥ そんな奴、知らねーし。 まあ、誰が運んでようと、ンな事関係ネーわ! 」
 だが、頼純は眉を顰(ひそ)め、考え込んだ。
「んん!? ア‥ アルノー‥ アルノー? どこかで聞いた事あるぞ‥? 」
 宙を見詰めて何度かその名前をつぶやいてみる。
「え―――と‥‥‥‥‥アルノー―――アルノー‥‥ 」
 次の瞬間、その名前を思い出し、彼は息を呑んだ。
え!? ファヴロル村のアルノー!? 」
 頼純はその名前をふたたび耳にするとは思ってもみなかった。
 昨年、ロベール伯一行がアンディーヌの森で『ドラゴン退治』をした際、森へ入る彼らに毒入りリンゴ酒(シードル)を運んできた男―――その男の名前がファヴロル村のアルノーであった。
「お‥ おい‥ 帰るぞ! 」
 頼純はあわてた表情で、ブノアに仲間達を集めるように指示した。

     ×  ×  ×  ×  ×

 フェビアン家へ戻った頼純達は、夕食もとらず、すぐに会合を開いた。
「傭兵(ようへい)軍団『シュヴェール』に関する調査は本日を以て終了とする! 」
え!? 」
 その言葉に一同は驚いた。
「いや‥ でも、聞き込みは、まだ始まったばかりじゃないですか? 」
「有益な情報は何も集まっていませんよ 」
 グラン・レイとニコラが声を上げる。
 頼純の仮説を知らない『カラス団(コルブー)』達は、自分達の調査が重要であると信じ込んでいた。
 その重要な聞き込みを途中で投げ出す事に納得がいかなかったのだ。
 彼らの疑問に対して、頼純は答えた。
「我々は今日丸一日聞き込みを続けたが、傭兵(ようへい)軍団についてなんら情報を得る事ができなかった。 だが、その一方で別件の重要情報を手に入れる事ができたんだ 」
「ファヴロル村のアルノー―――とかいう情報ですか? 」
「そうだ! 」
 頼純はゆっくりと『カラス団(コルブー)』達を見回すと
「ロベール伯爵は今回だけでなく、それ以前にも命を狙われた事が二度ある 」
 と語った。
 その言葉に一番に反応したのはグラン・レイであった。
「それって、山賊『山犬のジャン』が犯人だった? 」
「もう一回は、アンデーヌの森でドラゴン退治をした時だ! 兵士達が毒を飲まされて、全員が死にかけたんですよね? 」
「そうか! その犯人がファヴロル村のアルノーだ! 」
「けど、犯人は両方とも死んでますよ‥ 」
 『カラス団(コルブー)』達は、口々に自分の知る情報を述べた。
 頼純は、彼らが諸般の事情をちゃんと把握(はあく)している事に少し感心した。
「3件とも、『何者かに依頼された実行犯が伯爵を襲撃した』という点では同じだが‥ 1度目と2度目は犯人が謎の死を遂(と)げている。 2人の死因は毒殺と推定された 」
 アンデーヌの森で兵士を救ってくれた縁もあって、頼純はシュザンヌに山犬のジャンとアルノーの検死を頼んでいた。2人の死体はすでに墓に埋められていたが、死亡前後の様子や死体の状況から、彼女は彼らが、なんらかの毒を摂取(せっしゅ)した事によって死亡したと結論づけたのだ。
「ど‥ 毒殺? 」
「毒で実行犯の口を封じたんだ。 さらに、山犬のジャンは『領主の館(メヌア)』の中庭で死んでる。 真犯人はもっとも安全であるはずの城内にやすやすと忍び込み、ジャンに毒を盛ったんだ 」
 そう語る頼純に、賢いニコラが確認した。
「あの‥ それって、力で押してくる傭兵軍団なんかよりも、ずっとヤバいんじゃないですか? 近くで息をひそめ、暗殺の機会をジッと覗(うかが)っている毒殺犯の方がずっと危険でしょう? 伯爵はつねに危険にさらされているって事じゃないですか 」
「ああ‥ だから、それがわかった今年2月からは、伯爵のすべての飲食物をエルリュインら親衛隊が毒味している 」
「そ‥ そうだったんですか? 」
「知らなかった‥ 」
 頼純は続けた。
「ただ、1度目、2度目の襲撃は、実行犯が死亡し、物証も証言もまったくない状況で、捜査は完全に行き詰まっている。 我々は、ロベール伯の身辺を厳重に警護するぐらいしかできず、ほかに犯人逮捕の手立てがなかったんだ 」
「‥‥‥ 」
「ところが今日、ひょんな所からアルノーにつながる情報が入ってきた。 これは偶然ではない。 御仏(みほとけ)の―――いや、神のお導きに違いない。 きっと、真犯人につながる新情報があるはずだ。 だから‥ 明日っからは、アルノーのたどった経路を調査したいと思う。 どうだろう!? 」
 一同は一瞬黙り込んだ。
 だがそれは、あまりの驚きに唖然としたり、どうしていいのか判らず躊躇(ためら)っているわけではない。新たなる展開に興奮しての沈黙だった。
 だからすぐに、彼らは目を輝かせ
異議なし! 」
賛成です! 」
 と、大きな声を返した。