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1026年 トレノ村・ひなげし食堂(3)
「ヨ‥ ヨリ様―――? 」
外扉(そととびら)が開くと、松明(たいまつ)とともに入ってきたのはサミーラだった。
そして、その松明(たいまつ)の光は、頼純のいる闇の空間にまで届き、彼の頭上に立つ大男の姿をも浮かび上がらせてくれた。
男は棍棒(こんぼう)を振り上げたまま、一瞬、動きを止めていた。おそらくはサミーラの登場に驚いたのであろう。
頼純が叫んだ。
「サミーラ、松明(たいまつ)を中に投げ込め! 」
「え!? あ‥ はい! 」
その声と同時に、大男は弾(はじ)かれたように棍棒(こんぼう)を頼純の脳天めがけて振り下ろした。
だが間一髪、頼純は大男の攻撃を躱(かわ)す事ができた。今回は、相手の姿がはっきりと見えていたからである。
投げ込まれた松明(たいまつ)は、暗闇だった空間を明々(あかあか)と照らし出した。
敵は1人―――完全に姿を現した大男だけである。男は目をつむっていた。
頼純はそれで納得がいった。
おそらく、彼は目が見えないのだ。
だから、暗闇の中でも関係ないのだろう。そして、その鋭い聴覚で相手の位置を察知し、正確に殴り掛かってくるのだ。
男はツルツルに剃った頭にでっぷりと太った体をしている。年は40歳前後であろうか。その姿は北欧神話に登場する巨人トロルのようだった。
頼純は素早く立ち上がると、音を立てないようにして静かに移動した。
男はピクリとも動かず、頼純の気配を探している。
パチパチと松明の燃える音だけが空間に響く。
頼純は、棍棒(こんぼう)の射程圏外へ出ようと、さらにもう一歩踏み出した。
その時、大男が左手の棍棒(こんぼう)を横に払った。彼は、頼純の裸足が床をこする微(かす)かな音さえも聞き逃さなかったのだ。
それはあまりにも鋭い一撃であった。
頼純は咄嗟(とっさ)に後方へと飛びのいた。
しかし、その後を追って、大男の両手に握られた棍棒(こんぼう)が次々と繰り出される。頼純の頭上や肩へ無数に襲いかかるのだ。
頼純はその激しい連続攻撃を、上体の揺らしと足さばきで、なんとか躱(かわ)し続けていた。
男は左手に、直径が3/2(約4センチ)、長さが2クデ(約90センチ)ほどの棍棒(こんぼう)、右手には頼純に斬られて長さが半分になった棍棒(こんぼう)を握っていた。 その両手を使って、おそろしく速い攻撃を仕掛けてくるのだ。
大男は、明るい中で戦っても相当な腕前であった。ましてや、闇の中であれば無敵であったに違いない。
完全に頼純を捉(とら)えた大男は、攻撃の精度と速度をさらに上げ、頼純も次第に躱(かわ)しきれなくなっていった。
その一方で、頼純に斬り掛かるスキはけっして与えてくれないのだ。
頼純はかなり追い詰められていた。
その時,3本の小柄(こづか)が空(くう)を斬り裂いて飛んで来た。
その擦過音(さっかおん)を聞き逃さなかった大男は、振り返りざまに左手の棍棒(こんぼう)でそれらを叩き落とした。
サミーラの投げた小柄(こづか)が地面に3本突き刺さる。
その瞬間、男にやっとスキができたのだ。
頼純はそれを逃さず、左手の棍棒(こんぼう)めがけて太刀を振り下ろす。
棍棒(こんぼう)は中ほどからスッパリと切断されてしまった。
盲目(もうもく)の大男の両手には、1クデ(約45センチ)ほどの残骸(ざんがい)が残るばかりである。
大男はそれでも諦(あきら)めず、その短い2本の棍棒(こんぼう)で頼純になおも殴り掛かろうとした。
とはいえ、得物(えもの)の長さが違う。いくら男の腕が長かろうと、太刀の長さにはかなわない。
頼純は男の殴打(おうだ)を数回躱(かわ)すと、その前進を止めるため彼の左内ももに太刀を滑らせた。
小烏丸は斬られた事さえ感じさせぬなめらかな切れ味で、男の太股(ふともも)を裂いていった。
頼純は返す刃(やいば)で、大男が振り下ろした右手に、太刀を『タンッ』とあてた。
「ギャ―――ア‼ 」
大男がはじめて悲鳴を上げた。
小烏丸は彼の右手親指を切り落としていたのである。
頼純は大男に声を掛けた。
「もう、やめろ! お前の姿は見えている。 武器を失ったお前では、俺には勝てない! あきらめるんだ! 」
大男はその時になってやっと、左足が急に動かなくなったのは、内ももが深く斬られているせいである事を知った。
続いて、巨大な痛みの波が彼に襲いかかる。
「グアアアアア‥ 」
大男は左手で太股(ふともも)の傷口を押さえながら崩れ落ちた。
頼純は男との間合いを十分に取りながら、語り掛けた。
「おそらく‥ お前は、あの夫婦に利用されていただけなのだろう。 生きていくためには、ここに入ってくる者を殺さなきゃならなかった―――違うか!? 」
「ガッガッガッガッ‥ 」
大男が呻(うめ)き声を上げるのは、傷口が痛いからなのか、それともこれまでの所業を後悔するがゆえなのか―――頼純には知るよしもなかった。
ただ、大男から戦意が完全に消失している事ははっきりと判った。
頼純はこの男を殺したくなかった。
大男は何人もの人間を殴り殺してきたのであろう。彼は、幼い子供達を殺して喰うような輩(やから)の片棒を担(かつ)いだのである。
だが、目の見えぬ彼が飢えをしのぐためには、真っ暗でジメジメとしたこの空間で毎日をすごし、言われた通りに侵入者を阻(はば)む事ぐらいしか方法はなかったのではないのか。
そして、彼が本当に相手を殺す気があったのなら、剣や斧(おの)を握っていたハズである。
もちろん、だからといってその行為が、許されるものではけっしてない。
ただ、床に跪(ひざまず)き、嗚咽(おえつ)を漏らす盲目の大男が、頼純には哀(あわ)れに見えてしょうがなかったのである。
頼純は大男にとどめを刺さず、後ずさって扉の方へと向かった。だが、強敵である大男に油断する事なく、太刀の切っ先を男からはずす事はなかった。
× × × × ×
表に出ると、月明かりの中、サミーラが不安げに待っていた。
「大丈夫ですか? 」
「ああ‥ それよりも、ココから出てきた夫婦を見たか? 」
「はい! 女に抱きかかえられた男が、慌ててあの階段を昇っていきました。 私は咄嗟(とっさ)に隠れたので、見られてないと思いますが――― 」
「よし! 二人を追おう 」
頼純はすぐに階段を上ろうとした。
しかしその時、上半身に激痛が走った。
先ほどの戦いで棍棒(こんぼう)を喰らった右肩と右脇腹だった。肩の方は骨折を免(まぬが)れていたが、脇腹は肋骨(ろっこつ)が折れているようだ。
強敵が現れるたびに、どこかを骨折させられてしまう。自分の腕前もまだまだだ―――と、頼純は反省した。
それでも、内臓が破裂していないだけ、運がよかった。
内臓が破裂してしまえば、命は助からない。
外科的処置と言えば、表面を縫(ぬ)うくらいで、深部への手術などなかった時代である。人は馬や階段、屋根から落ちた程度でも、内臓が損傷してしまえば、たいていの場合は死んでしまうのだ。
× × × × ×
頼純の蹴りで膝を脱臼(だっきゅう)したフィリップは、ジョアンの肩を借りて船着き場の階段を昇った。そして、そのまま逃げてしまえばよいものを、わざわざ食堂の入り口へと戻ったのだった。
彼は律儀(りちぎ)にも、店内の客達に侵入者が現れた事を伝えに行ったのである。
「何者かが、ここに侵入いたしました。 すぐに捕まえましたので、皆様方にはご報告いたしませんでしたが‥ さきほど、そやつが逃げ出したのです 」
フィリップの言葉に客達はみな動揺(どうよう)した。
「な‥ なんと‥ それは、取締りの役人か? 」
「どういたす? 早く捕まえんと、あとあと厄介(やっかい)な事になるんじゃないのか? 」
彼らを落ち着かせるようにフィリップは笑顔を作った。
「心配ご無用でございます。 男の一人は珍妙(ちんみょう)な格好をした異国人です。 もう一人はチンピラ風の小僧にございます。 とても探索方とは思えませぬ。 たまたま、森に迷い込んだ者にございましょう 」
「だが――― 」
「それに、今頃はウチの用心棒―――『盲目のギー』が殺しておるハズ。 暗闇でギーにかなう者などおりませぬゆえ 」
やっと一同は安心した。
「そうか‥ ならばよいのだ 」
「たしかに、あの大男相手では殺されておるだろう 」
フィリップは無事だった右足だけでピョンピョンと跳ねて、テーブルに近づいていく。そこに両手をついて体を支えると、ゆっくりと客達を見回した。
「とは申せ、万が一という事もございます。 わたくしも足を怪我(けが)し、とても料理どころではございません。 本日のところは、どうか皆様もお帰り願えませんでしょうか 」
「そうは言うても‥ 船が迎えに来る時間はまだ先じゃ。 この寒空の中、どうやってここから帰ればよいのじゃ? 」
ずっと俯(うつむ)いていたジョアンが、始めて客に申し出た。
「あ‥ あのォ‥ 馬車の荷台でもよろしければ‥ 6名様をカーンまでお連れする事もできますが――― 」
しかし、一同は渋い顔だった。このような夜中に、乗り心地の悪い荷馬車に乗るのはいやだったからである。
そんな気配を察したフィリップが一同に進言した。
「ならば‥ 森の中でしばし時間を潰し、お迎えの頃となられましたら船着き場へ向かわれるというのはいかがでございましょうか? 酒や肴(さかな)、焚(た)き火もこちらの方でご用意させていただきます 」
「おお‥ それはおもしろい! 」
「うむ‥ 野趣(やしゅ)あふれた宴(うたげ)となるやもしれんな‥ 」
「なるほど‥ では、そういたすとしよう 」
女を連れた客達は、足元をふらつかせながらゾロゾロと食堂の外へと向かった。この時、彼らにさほどの緊張感はなかった。松明(たいまつ)をかざし、大声で話しながら、手にした酒の瓶(びん)をあおり、女の胸を触っていたほどである。
その頃、藪(やぶ)の中に隠れていたグラン・レイは、真夜中に連れだって入り口から出て来た客達を不審(ふしん)に思った。
彼らがこのまま立ち去るのを、指をくわえて見過ごしてもよいのか―――?
だが、松明(たいまつ)に照らし出された身なりから、彼らは貴族や富豪だと思われた。そのような高い身分の者に、下手に逆らうとあとでどのような処罰を受けるか判らない。運が悪ければ、何年も牢に入れられる可能性だってあるのだ。
いつもなら、その判断はゴルティエがしてくれる。
しかし、いま彼はいない。となれば、この場の決断は二番手(ドゥジェマ)であるグラン・レイが決めねばならないのだ。
だが、いくら考えても彼の頭には答えが浮かばなかった。
ただ、彼の『勘』が、『奴らを行かせてはならない!』と叫んでいるような気がした。
ままよ―――彼はやけくそ気味に『勘』に従った。
グラン・レイは立ち上がると、声を上げたのだ。
「奴らを逃がすな! 礫(つぶて)だ、礫(つぶて)をぶつけろ! 」
その声に、店の周囲に隠れていた『カラス団(コルブー)』達が、入り口付近でフラフラしていた20人ほどの客めがけて、一斉に小石をぶつけはじめた。
「ワッ! 」
「ギャッ! 」
「イタタタ‥ 」
距離は20ウナ(約24メートル)ほどあったが、『カラス団(コルブー)』達のコントロールはよかった。
突如、周囲から飛んできた石に頭をぶつけ、頬(ほお)を打たれ、胸を突かれた客達は、大いに慌(あわ)てた。
咄嗟(とっさ)に両手で頭をかばったが、額(ひたい)が割れて血を流す者、後頭部に大きなたんこぶを作る者、顎(あご)を強く打たれ意識が朦朧(もうろう)とする者など、かなりの被害が出ていた。
だが、彼らの中の数人は、礫(つぶて)にひるまず剣を抜いた。
彼らは騎士であり、常に剣を帯同(たいどう)していたのだ。
騎士(シュヴァリエ)は必ずしも貴族(ノブレス)ではないが、貴族(ノブレス)となるためには必ず騎士(シュヴァリエ)の称号が必要であった。
剣を抜いた貴族は7人いた。全員が本物の騎士である。
「やや! どこぞの小僧が石を投げておりまするぞ 」
「ふざけおって! 成敗(せいばい)してくれる! 」
「おぬしはそちらを! 私はあの者達を倒す 」
彼らは左手でマントを掴(つか)むと、それで礫(つぶて)から上半身を守り、『カラス団』達が隠れる藪(やぶ)へと突進していく。
「やばい! 隠れろ 」
『カラス団(コルブー)』達は素早く身を潜(ひそ)めた。
客の騎士達とて、この暗さの中では礫(つぶて)を投げる者がどこにいるのか、ハッキリとは判らなかった。彼らは、敵のいそうなあたりの藪(やぶ)を剣で何度かなぎ払うばかりであった。
「ここか? ここにおるのか? 」
しかし、さすがは騎士である。デタラメに振っているようで、剣の切っ先は数人の『カラス団(コルブー)』達を傷つけた。
痛みにこらえきれず、声を上げたり動いたりした者は、騎士に発見され、藪(やぶ)から引きずり出された。
ナイフを抜いて、騎士に抵抗しようとする不良もいたが、相手は戦闘の専門家である。ナイフなど剣で簡単に弾(はじ)かれ、こっぴどく殴られた。
だが騎士達は、その場で『カラス団(コルブー)』を殺す事はなかった。
「こっちへ来い! 」
「お前もだ! さっさとしろ 」
「まだいるだろう? 隠れてないで出てこい 」
彼らは、石を投げてきた不良達が、『何の目的でやって来たのか』、『どこまで自分達について知っているのか』を確認したかったのだ。
捕まえられ、店の前へと引きずり出された不良らは、客達が何者かは判らなかったが、その姿を見るなり怯(おび)えだした。
彼らの中には、グラン・レイもいた。体が大きく、肝も据わっている彼でさえ、その『恐怖』から逃れる事はできなかったのだ。
それは、今から殺されるという『恐怖』ではない。
彼らを見下ろす身分の高そうな男達、金持ちらしき者、そして卑しき婢(はしため)まで―――全員の目付きが異常で、不気味だったからである。彼らの目には狂気がありありと浮かんでいた。
「ヒヒヒヒ‥ 」
「お前らも喰ってやろうか? 」
「キャハハハハハ‥ ウケる~~~ゥ♡ 」
これから、『死』よりももっと惨(むご)たらしい『何か』が始まりそうで、捕まった『カラス団(コルブー)』達は怖かったのだ。