第75話 1027年 ファレーズ城

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 1027年 ファレーズ城


 ファレーズでは、いつもと変わらぬ平穏(へいおん)な1日が始まっていた。
 小雪がちらつく曇(くも)り空だったが、人々は仕事にいそしんでいる。
 この地を支配する領主ロベール伯爵(コント)は、兄リシャール3世大公(グラン・デュク)の結婚式に出席し、あと5日は不在である。
 『領主の館(メヌア)』の中庭では、ヴェネチア商人ロレンツォの部下で、イタリア人傭兵(ようへい)であるピエトロによる弓の練習が行われていた。
 生徒は『カラス団(コルブー)』の11人と、ロベールの留守中、城を守るために残されていた兵士30人ほどであった。
 ティボーのお陰で、『探索方(たんさくがた)』への予算が倍増されてからは、『カラス団(コルブー)』らの訓練も充実していた。
 弓の練習も彼らにとってこれが5回目であり、全員がかなり上達していた。最初は、弓に矢をつがえる事すらままならず、弦(つる)を引き絞(しぼ)れなかったり、放った矢が飛ばずに真下にぽろりと落ちてしまうなど、笑えない失敗がいくつもあった。
 だが、今は全員が20ウナ(約24メートル)離れた標的のわら人形まで矢を飛ばすことができていたし、かなりの矢がそのわら人形に突き刺さっていた。
 とはいえ、やはり得手不得手(えてふえて)はあるようで、投げナイフが好きな者、ナイフによる格闘が得意な者と、戦闘の好みは人によって様々であった。

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 同じ頃、丘の上の『領主の館(メヌア)』からずっと離れた、革なめし職人フルベールの屋敷では、エルレヴァとサミーラのおしゃべり会が開かれていた。
 エルレヴァの父フルベールは、同業者組合(ギィールダ)の寄り合いでパリまで出掛けている。そこで、今夜はサミーラもこの屋敷に泊まる事になっていた。
 2人は大の仲良しだったのだ。
 サミーラはキリストを信じない異教徒であったが、エルレヴァはそうした者にも偏見(へんけん)を持たない性格であった。
 彼女は少々飛び出してきたお腹をさすりながら、
「今朝ね、夢を見たの。 赤ちゃんの夢よ 」
 と語った。
 その言葉にサミーラが目を輝かせる。
「それは、とんな夢? よい夢でちたか? 」
 2人の女性は、バターミルクを飲みながら、蜂蜜がたっぷり入ったビスケットを頬張(ほおば)っていた。
「きっと、よい夢だと思う。 わたしがいつものように川で洗濯をしていると、川上から大きな大きなリンゴが流れてきたの。 そのリンゴをうちに持って帰って、ナイフで割ってみると、中から赤ちゃんが飛び出してきたわ 」
「へ~~~え‥ エルレヴァしゃんが、ロベール伯爵様とはじゅめてお会いになったのも、川で洗濯をなしゃっていた時でちたよね。 ならば、そのリンゴから生まれた赤ちゃんは、きっとお二人のお子しゃまなのでしょう 」
 サミーラのフランス語はかなりなまっていたが、エルレヴァはそれがかわいいと思っていた。
「わたしもそう思ったわ。 でね‥ その赤ちゃんは、やがて大きくなって立派な騎士になるわけ。 そして、三人の家来と一緒に、船に乗って悪魔のすむ島へと渡るの。 それから、騎士と家来達は悪魔をすべて退治してその島の王なる―――そんな夢だったわ 」
「ふ~~~ん‥ 不思議な夢でしゅねェ‥。 でも、夢って本当になる事もあるそうでしゅよ。 東の国々ではよく夢で色々な事を占うのでしゅ。 その夢が真実の夢となればいいでしゅね 」
「そうよねェ‥。 わたしの赤ちゃんが王様になるなんて―――なんだか、とってもステキ♡ フフフ‥ 」
 そんな2人のやり取りを、建物の物陰から覗(うかが)う3人の男がいた。
 抜き身の剣を握った彼らは、不気味な笑みを浮かべて2人の美女を見詰めていた。

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 『カラス団(コルブー)』の11人とともに、弓の練習に参加していた兵士は20人ほどだった。残りの10人の兵士は、物見櫓(ものみやぐら)や塀(へい)に付けられた回廊(かいろう)から周囲を監視していた。
 とはいえ、攻めてくる者などあろうはずもなく、警備兵達は仲間の練習風景を眺(なが)めたり、ぼんやりと空を見上げたりしていた。

          挿絵は小説の設定と少々違っております。


 シオンもそんな警備兵の1人であった。南の回廊(かいろう)に立つ彼は空から降り注(そそ)ぐ雪を見ながら、『この雪は積もらないな‥ 』などと考えていた。
 ひらひらと舞う雪を追ってふと視線を下げたシオンは、そのはるか前方に何かを見つけた。近年、視力が少々落ちてきた彼は、それが何なのかと目を凝(こ)らした。そして中庭にむかって声を上げたのだ。
「ピエトロさん、ピエトロさん‥ ちょっといいですか? 」
 7人のイタリア人傭兵(ようへい)の中で、フランス語が話せるのは、最年長のピエトロとフィリッポの2人しかいなかったからだ。
「あそこで、何かが動いているようなのですが――― 」
 何事かと、階段を上(のぼ)ってきたピエトロは、シオンの指差す方向をジッと見詰めた。
 そこには、100騎を超える騎兵がこちらめがけて走ってくる光景があった。
「あれは騎馬軍団だ! 敵か盗賊かもしれん! 」
 ピエトロは慌(あわ)てて叫んだ。
「すぐに教会の鐘を鳴らせ! 外の住民達を城内に入れ、外壁の門を閉めるんだ。 」
「は‥ はい! 」
 3人の兵士が、『領主の館(メヌア)』から飛び出し、急いで教会へと走った。

 なだらかな丘に立つファレーズの街は、3層の構造になっている。
 丘の山頂部に『領主の館(メヌア)』が建ち、その周囲は分厚い板壁と空堀で守られていた。館の中には大きな『土塁(モッド)』がそびえ、その頂上に10名ほどが立て籠(こ)もれる避難小屋があった。
 『領主の館(メヌア)』の外には、貴族や騎士、裕福な商人、僧侶達が住む住宅街があり、背の高い丸太で作られた塀が、その街を取り囲んでいる。ここまでが城内である。
 その丸太塀の外側に、農民や小規模の商工業者、さらには貧民らが住む集落が広がっていた。
 教会は富裕層が住む住宅街にあり、ピエトロが言った『外の住民』とは、下町や貧民街の人々の事であった。そして、謎の侵入者を阻(はば)むため、丸太塀につけられた城門と『領主の館(メヌア)』の城門とが、いままさに閉められようとしていた。

          挿絵は小説の設定と少々違っております。


 教会の鐘楼(しょうろう)へと走り込んだ兵士達は、そのロープにぶら下がって、鐘をけたたましく鳴らした。
「なんだ、なんだ、なんだ? 」
 人々は大きな鐘の音(ね)と馬の地響きで、なにかただならぬ事が起きたと知ったが、どうしてよいのかまでは判らない。
 なんとか城内へ逃げ込んだ住民もいないわけではなかったが、ほとんどの者達は家から何かを持ち出そうとして、右往左往するだけであった。
 貧しき者であるがゆえ高価な物など何も持っていないのだが、それでも貧者は貧者なりに持ち出したい大切な物があるのだろう。
 そこへ70騎から80騎の騎馬団が走り込んできた。
ギャギャ! 」
ガボッ! 」
だずげ―――! 」
 貧民街の住民らは、次々と馬に跳(は)ね飛ばされ、なぎ倒され、踏みつけられていった。
 小さく粗末な家々は、同様に騎馬によって破壊されていく。
コッチだ、コッチ! 」
ここを曲がって、あとは真っ直ぐ‼ 」
 城門へと続く道は、迷路というほどではないが、一直線に近づく事ができないよう、貧民街から下町を抜けるまで、二度三度と曲がらなければならないように設計されていた。
 だが、先んじて街に潜入していた十数人の仲間達が、騎馬達を城門へと誘導していく。

閉めろ、閉めろ! 城門を閉めるんだ‼ 敵が入ってくるぞ‼ 」
 ピエトロの怒号(どごう)が飛ぶ。
 騎馬軍団は、ぬかるんだ泥を跳ね上げて、城門を一気に走り抜けようとした。
 だが、その鼻先に叩き付けるように、重く頑丈な扉は閉められたのだ。
 間一髪のところで、騎兵の侵入を防ぐことができたのである。

クソッ! 」
この程度で終わると思うなよ! 」
 馬にまたがった男達は忌々(いまいま)しげに手綱(たづな)を返すと、苛立(いらだ)ちを抑(おさ)え切れないのか、周囲にいた貧者達に剣を振り下ろし、手当たり次第に殺していった。
 城外に住む2000人近い住民はたちまち大混乱となり、蜘蛛(くも)の子を散らすように街を逃げ回りはじめた。

 騎馬の男たちが、山賊・盗賊のたぐいでない事は一目瞭然(いちもくりょうぜん)である。
 彼らはそのほぼ全員が高価な軍馬に乗っているのだ。
 さらに、兵装もしっかりとしている。半分以上の者が鎖帷子(オベール)の上着を着用し、中には鎖股引(ショース)まで履(は)いている者もいた。堅牢(けんろう)に作られた剣(エペ)は、ピカピカに研(と)がれ、切れ味はかなりよさそうだった。背中には盾(エキュ)を背負い、弓(アルク)を持つ者、槍(ラーンス)を持つ者も多くいた。一人一人の装備だけでもひと財産である。とても山賊程度が揃(そろ)えられる武器・防具ではなかった。
 これほどの高価な装備を持てる者達は、どこかの国の正規兵か、それに準ずる傭兵団(ようへいだん)であるに違いない。
 だが、だとすればこれは戦争である。
 敵は100人を超える騎馬軍団。
 それに立ち向うファレーズの戦力は、7人のイタリア人傭兵(ようへい)と30人の警備兵、そして11人の少年---『カラス団(コルブー)』達しかいなかった。

 敵兵は城を取り囲み、中の者が外へ逃げ出せないようにした上で、貧民街の人々を本格的に殺戮(さつりく)しはじめた。
 貧しい村々には、掠奪(りゃくだつ)に値(あたい)する物などなかった。
 彼らは、騎馬で走り回りながら、逃る住民を剣で斬りつけ、槍で刺し、馬の蹄(ひづめ)で踏みつけて殺していった。
 娘達は捕らえられ、次々と犯されていく。
 掘っ立て小屋のような家々に火を放ち、そこから立ち昇る何十もの煙は、天を黒々と焦(こ)がしていった。


 外城壁の門と『領主の館(メヌア)』の跳(は)ね橋の門を閉めたピエトロたちは、警備兵に戦闘態勢を発令し、館の中にある全ての武器を集めさせた。
 ピエトロとフィリップは物見櫓(ものみやぐら)に上ると、城外で起きている阿鼻叫喚(あびきょうかん)の殺戮(さつりく)の様子を見つめていた。
「ひどいな‥! 」
 フィリップの言葉にピエトロはうなずいた。
「ああ‥ あれは、俺たちに見せつけるために殺しているんだろう。 恐怖心を植え付けるためさ  」
「奴らは、ロベール伯爵が不在で、この城に兵がいない事を知って、攻め込んできたのだろうか!? 」
「おそらくはそうだろう。 しかし、奴らは一体何者なんだ? 」
 その時、中庭で騒ぐ声がした。2人のイタリア人傭兵(ようへい)はその声に振り返った。
 騒いでいるのは『カラス団(コルブー)』のリーダー、ゴルティエである。
「放せ、放せって! 俺はこっから出ていかなきゃならネーんだよ! 」
 だが、『カラス団(コルブー)』達はそれを必死に押しとどめていた。
「だめです、絶対にダメです! 」
「今ここを出れば、あっという間に殺されちまうんですから! 」
 物見櫓(ものみやぐら)から降りてきたピエトロとフィリップは、暴れるゴルティエに駆け寄った。
「どうした? 何があったんだ? 」
 ゴルティエを背後から羽交い締め(はがいじめ)するグラン・レイがそれに答えた。
「兄貴が‥ ゴルティエの兄貴が、城の外に出ていくってきかないんです!」
 ピエトロが怒鳴った。
馬鹿モン! いま城門を開けようもんなら、その瞬間に大量の敵兵が侵入してくるんだぞ! お前1人が死ぬだけでなく、全員が皆殺しにされるんだ! 」
 だがゴルティエは、血走らせた目でピエトロを睨(にら)みつけ、叫んだ。
「母ちゃんと、姉ちゃんが―――伯爵様の赤ちゃんを身ごもったエルレヴァ姉ちゃんが―――外にいるんだよ! 」
 ピエトロとフィリッポは大きく息を呑(の)んだ。
「ナ‥ ナニィ!? 」
「しまった! そのことをすっかり忘れてた 」