1026年 ファレーズ・郊外(2)


 盗賊達は、爆走する異邦人(いほうじん)の姿を眺(なが)めながら、ああ、これが噂に聞くサラセン人という者か―――などとぼんやり考えていた。

 ロベールを殺そうと長剣を振り上げていた小頭二人も、男の登場にしばし呆気(あっけ)にとられている。

 男は走りながら、左腰につけられた剣と思われるモノの柄(つか)を掴(つか)み、さらりと抜き払った。
 鞘(さや)から出現したその剣は、幅が盗賊達が使う長剣の半分もなく、刀身は曲がっていた。
 それを見て、盗賊の一人が指を差して笑う。
「おいおい‥ あいつ、長いナイフを出しやがったぞ 」
 つられて、ほかの盗賊達も腹を抱える。
「ヒャハハハ‥ 異教徒(いきょうと)どもは、男も料理をするのかね? 」
「バァ~~~カ‥ ありゃ女だ! ホレ、髪が長い 」
「だったら、俺が抱いてやるゼ‥ カワイコちゃん♡ 」
 しかし、男はすでに十数ヤード(12~13メートル)にまで迫っている。
 盗賊達もさすがに剣を構え、大きな声で謎の男を恫喝(どうかつ)した。
「コラッ! 近寄って来んじゃネーよ‼ 」
「やんのか、この野郎! 」
「テメー、ブッ殺すぞ! 」
 それでも、彼我(ひが)の差は二十対一。盗賊達は余裕に満ちていた。

 右下から左上へと、光の弧(こ)を描いて剣を振った謎の男は、一番川寄りにいた盗賊の脇をすり抜ける。
 肩すかしを食らったその盗賊は、振り返ると男の背を切りつけるべく両手で長剣を振り上げようとする。
「こらッ、待て! 」
 しかし、彼の長剣は思うように持ち上がらない。
 その右手が、手首から先をスッパリと失っていたからである。
「ギャ―――ア! 」
 男の剣の切っ先が、次の盗賊の左足首をスッと通り抜けた時、最初の盗賊の絶叫が麦畑に響いた。
 続いて、バランスを失い地面に転がった二人目の盗賊は、切断された左足首から吹き上がる血飛沫(ちしぶき)を見て、初めて自分が切られた事を知る。
 そしてその時には、三人目の盗賊の右手のひらが、半分ほど消失していた。
 男の持つ細く曲がった剣は、斬られた事にさえ気づかぬほどよく斬れた。それは、カミソリのような鋭い切れ味である。

 謎の男が電光石火(でんこうせっか)の動きで白刃(はくじん)を振るい、盗賊達の前を通りすぎるたびに、彼らは手足を失い地面に転がっていく。やがて、大量の血と激しい痛みから、次々と絶叫が上がっていくのだった。
 男が盗賊達の中央まで進んだ時には、すでに七人が倒されていた。しかし、その中に死んだ者は一人もいない。戦闘能力を奪われただけなのである。
 そのため、麦畑にはいつまでも彼らの叫び声が響いていた。


 異邦人である男は、改めて剣を正面に構えると、その周囲で慄(おのの)く盗賊達をゆっくりと睨(にら)み据(す)え、
「○×*-*! +△○?**! ○△-×○‼ 」
と、意味不明の言葉で怒鳴った。
 盗賊達は、何が何だか判らない状況に狼狽(うろた)えながらも、身を守ろうと必死に剣を構えていた。そこには、先ほどまでの余裕は微塵(みじん)も感じられない。

 小頭の二人も、一瞬で七人もの仲間が倒された事で慌(あわ)てていた。彼らは、ロベールとエルレヴァをそれぞれ羽交(はが)い締(じ)めにすると、その首筋に長剣の刃を当て、盾代わりにした。
 男はゆっくりと、その剣の切っ先を小頭達の方へと向けていく。彼はロベールとエルレヴァを助けるつもりのようである。
 男とロベールの距離は数ヤード。三歩踏み込んで、剣を振るえば小頭の右手を切り落とす事は可能である。しかし、その三歩踏み込む間にロベールとエルレヴァの喉(のど)は切り裂かれてしまうだろう。
 謎の男は動けない状況にあった。

 その時、丘の上から『山犬のジャン』の怒声(どせい)がとどく。
何をしている! まずは伯爵だ! 伯爵を殺(や)れ! 伯爵をとっとと殺すんだ! 」

 ジャンの声に、ロベールを羽交(はが)い締(じ)めにした小頭は、剣を持つ手にググッと力を込める。

 あわや、ロベールの喉(のど)が切り裂かれると思われた瞬間、小頭の肩の付け根に、背後から飛来した小柄(こづか)(細いナイフ)が深々と突き刺さった。それはオンボロ鎖帷子(くさりかたびら)にあいたわずかなほころびを貫(つらぬ)いていた。
「ガッ! 」
 小さく声を上げた小頭の右腕は、縫(ぬ)い付けられたようにまったく動かなくなった。
 同時に、エルレヴァを捕まえていた小頭の尻にも細いナイフが2本突き刺さった。
 その機を逃さず、曲がった剣の男は三歩踏み込み、ロベールを盾にしていた小頭の右手首を切り落とす。
 吹き上がった大量の血がロベールの顔面に降り注いだ。
 手の先を失った小頭は、止血のためか、痛みを堪(こら)えるためか、血のほとばしる切り口を左手でギュッと押さえつけながら、膝からゆっくりと崩れ落ちていった。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‥ 」
 彼は、声にならない叫びを上げている。
 一方、尻に小柄(こづか)が刺さった小頭は、痛い痛いと、地面でのたうち回っている。

 そんな小頭達の背後の積み藁から、頭部を布で隠した小柄な人物が現れる。サラセンの女性だと思われるその人物は、盗賊達に向かって数本の小柄(こづか=投げナイフ)を構えている。小頭達に小柄(こづか)を投げたのも当然彼女であった。

 謎の男はロベール達を立たせると、盗賊達からかばうようにその前に立ちはだかった。
 血で顔を真っ赤にしたロベールは、突如現れた謎の男に助けられた事が、いまだ半信半疑のようである。というよりも、自分の命が狙われ、家臣達が嬲り(なぶり)殺しにされた時から、すべての事に現実感を感じられなかった。ただただ、悪夢の世界にいるのである。
「み‥ 味方なんだよね…? この人‥ 味方でしょ? ボク達を助けてくれるんだよね? 」
「え‥ ええ。 たぶん‥ 」
 尋ねられたエルレヴァも、状況をほとんど把握できていなかった。

 その時、再び山犬のジャンの怒声が響く。
「ナ‥ ナニをしてる! 盾だ! 盾を使え! 野郎達を取り囲むんだ! 囲い込んだら、三人まとめて串刺しにしてやれッ‼ 」
 そう叫びながら、ジャンは数名の部下とともに丘を駆(か)け下りてきた。もはや高みの見物をしている場合ではなかった。

「そ‥ そうだ! コイツがあった! 」
 盾を背中に背負(しょ)っていた五人の盗賊達は、急いでそれを左手に構える。
 盾を持ってなかった者も、斬られて泣き叫ぶ仲間の背中から剥(は)ぎ取って装備した。
 彼らの盾は、木の板を数枚あわせて円形に切り、その周囲に鉄の輪をはめたダケの簡単なモノである。それでも、長剣の打突や弓矢から身を守るには十分であった。

 木製の盾を構えた八人の盗賊が、ロベール達三人の背後にまで回り込み、ジワジワと囲みの輪を作っていく。
「へへへ‥ この鉄輪(かなわ)のはまった盾なら、そのカミソリみてーなナイフだって、怖かねェぞ! 」
「逃がすなよ。 ゆっくりと囲んでいくんだ‥ 」
「同時に剣を突き立てて、なますにしてやる! 」
 さらに、ナイフ使いの女の方へも、盾を構えた三人が迫っていく。
「頭(かしら)の仇だ‥ 覚悟しやがれ。 」
 ベールを被った女は、彼らの盾が邪魔をして、ナイフを投げようにも投げられなかった。
 ズンズンと迫り来る盾に、追い詰められるロベールとエルレヴァ。
 謎の男も緊張に目を細める。
 盗賊達は、ロベール達をハリネズミのように串刺しにしてやろうと、剣を腰だめに構える。
「死ね‼ 」

 次の瞬間、謎の男は腰を落とすと、掛け声とともに両手で構えた剣を横に大きく振った。
「き‥ きた! たて‥ 盾! 」
 盗賊達は、男の剣の切っ先をかわそうと、咄嗟(とっさ)に盾を前に突き出す。
 白刃(はくじん)の光跡(こうせき)が大きな弧を描くと、一回転した男は、低い体勢のまま、動きを止めた。
 その場の誰もが、一瞬息を呑(の)む。
 やがて盗賊達の盾は、外側の鉄輪(かなわ)ごと切断され、上下に次々と分離していく。中には、盾を掴(つか)んでいた手ごと斬られた者さえいた。
 男の恐ろしいまでの戦闘力を目(ま)の当たりにした盗賊達は、使い物にならなくなった盾を投げ捨て、一斉に後方へと退(しりぞ)いた。

 それまでも、仲間の手足の骨を、水でも切るかのように切断してきた剣である。その威力が、木の盾程度で防げるハズもなかった。
 しかしそういった理屈を大きく凌駕(りょうが)して、男の細い剣は斬れた。抜群の切れ味である。それはまるで、何かの霊力でも秘められているかのようであった。
 また、男の剣技(けんぎ)も並外れていた。十数名の盗賊を戦闘不能に陥(おちい)らせながら、彼は誰一人として殺していなかった。もし、それを意図的に行ったのであれば、単純に斬り殺すよりも、はるかに高度な技術が要求される。

「ギャン! 」
「ガッ! 」
「痛ッ‼ 」
 今度は、ベールの女に迫っていた盗賊三人が悲鳴を上げた。
 女が、盾で防御しきれていない彼らの足の甲に小柄(こづか)を投げたからである。小柄(こづか)が深々と刺さった盗賊達の足は、地面に縫い付けられたように動けなくなっていた。

 謎の男が走り込んできて、わずか五分ほどの間に、盗賊は仲間の半分以上を失っていた。現在、剣を振るえる者はわずか六人。その六人も、戦う気力がある者は一人もいなかった。
 さらに、仲間の呻(うめ)き声や叫び声が、彼らの気分をいっそう萎(な)えさせる。
 すでに、両者の勝負はついていた。

 その時、誰かがワアッと、悲鳴ともつかない声を上げた。
 それをきっかけに、恐怖に耐えられなくなった盗賊達は先を争って逃げはじめる。
「い‥ いやだァ~~~あ‼ 」
「た‥ 助けてェェェ!」
「逃げろ、逃げろ! 」
 自分達に背を向け、見る見る遠ざかっていく盗賊達―――ロベールはその後ろ姿を茫然(ぼうぜん)と眺(なが)めていた。やがって我に返ると、自分達が助かった安堵(あんど)よりも、たった今目の前で繰り広げられた戦闘に心が奪われていた。
「な‥ なんて、強いんだ! 兄さんの騎士団にだって―――いや、フランス中を探したとしても、こんな剣の達人に巡(めぐ)り会う事はないだろう 」
 ロベールは、謎の男の強さに大いに興奮していた。

 足を斬られた者を見捨てたまま、盗賊達は這々の体(ほうほうのてい)で丘を駆け上っていく。
 そんな彼らに、抜き身の長剣をぶら下げて駆け下りてきた頭目・ジャンが、罵声(ばせい)を浴びせる。
「バカ、逃げるな! 戻れ! 戻って、伯爵を殺すんだ! 戻れ、戻れ‼ 」
 しかし、ゆるい傾斜を転びそうになりながら、必死に登ってきた十数人の盗賊達は
「ムリムリムリムリ! 親分、絶対ムリだって! 」
「アイツがいる限り、伯爵は殺せねェよ! 」
「ありゃ、化け物だ! 俺達なんかが勝てる相手じゃネーって! 」
 そう叫びながら、止めようとするジャンの傍(かたわ)らをすり抜け、そのまま丘の裏側へと向かっていく。
 彼らの背中に向かって、ジャンは怒鳴りつけた。
「コラッ! 戻ってこい! 戻ってくるんだ! じゃネーと、テメーらみんなブッ殺すぞ! 」
 その時、ジャンは背後に迫る足音を耳にした。
 ハッとしたジャンが振り返ると、そこには丘を駆(か)け上って来る謎の男の姿があった。
 男は、ジャンが首謀者(しゅぼうしゃ)だと気づき、追い掛けてきたのだ。
 山犬のジャンは長剣を両手で掴(つか)み、正面に構えて男と闘う体勢をとった。
「フンッ‥ 」
 腰を落として唸(うな)ってみたが、どうにも勝てる気がしない。
 まずいと思ったジャンは、再び丘の上へと踵(きびす)を返し、
「おい、コラ! ちょっと、待てよ! 俺を置いて逃げるな! 」
と、子分達を追い掛けるフリをして、その場から逃げ出そうとした。

 しかし、そんなジャンの襟首(えりくび)がしなやかな筋肉が張り付いた腕によって掴(つか)まれる。
「ひッ! 」
 思わず、首をすくめるジャン。
 次の瞬間、ジャンの体は大きく宙を舞い、地面に叩き付けられた。
「ギャッ! 」
 背中をしこたま打って呻(うめ)くジャンの手からは、すでに剣がもぎ取られている。
 そして彼の頭上には、悪魔をも退散させるような笑顔でジャンを見下ろす男の顔があった。
「○×△**…♡ 」
 先ほどまでの威勢はどこへやら、ジャンは神にでも祈るかのように、両手の指を組み合わせ、半泣きで命乞(いのちご)いをした。
「お願いです‥ 許してください。 二度とこんなコトはいたしませんから。 だから、今日は見逃してください! 」
 しかし、男は笑顔のまま、ジャンの顔面に強烈な拳(こぶし)を叩き込んだ。
 ジャンは、目の前にいくつもの火花を散らすと、白目を剥(む)いて気を失った。

     ×  ×  ×  ×  ×

 水車小屋はすでに焼け落ちていた。
 また、その火がいくつかの積み藁に燃え移り、麦畑には数条(すうじょう)の白煙が立ち上っている。
 そして、辺り一面血だらけとなった襲撃地点には、八人の警護兵の無残な死体と、足を斬られたせいで逃げ遅れもがき苦しむ数人の盗賊が残されていた。
 彼ら傷口からは、心臓の鼓動(こどう)にあわせて、間欠的(かんけつてき)に血液が噴き出している。
 そんな彼らを哀れに思ったのか、頭からベールを被(かぶ)った女は、盗賊達の足を紐(ひも)で縛ってやり、止血を施(ほどこ)していた。
 だが、それで彼らの命が助かるというワケではなかった。

 改めてその凄惨(せいさん)な光景を目にした、ロベールとエルレヴァはただただ立ち尽くすばかりだった。
 ロベールは、いまだ震える彼女の肩を抱き寄せながら、自分がいま生きている事を実感していた。
「た‥ 助かったね‥ もう、ダメだと‥ 絶対に殺されると思ったけど―――助かった! 」
「は‥ はい‥ 」

 そんなロベール達の足元に、ジャンの体がドサリと投げ捨てられた。
 えッ…と驚くロベール。
 いまだ気絶したままのジャンは、後ろ手にきつく縛られている。
 目の前に立つのは、二人を助けてくれた謎の男であった。

 長い黒髪を後ろで縛った男は、ロベール達とは人種が違うためハッキリとは判らなかったが、おそらくは二十代後半から三十代前半ぐらいと思われた。
 黒々とした眉(まゆ)の下にある大きめの目は狼のように鋭く尖(とが)っている。
 身長は5ピエ1/2(1ピエ=1フィート=約30センチ。5ピエ1/2は約165センチ)ほど。ロベールよりも少し低いくらいであるから、一般的なノルマン人に比べるとかなり小柄である。
 ジャンを担(かつ)いできたせいか、いささか疲れた顔をしていた男は、脅えるロベールとエルレヴァを安心させるためか、固く結ばれていた口の端(は)を少し緩(ゆる)めて笑顔を作った。
 そして意味不明の言葉でロベールに語り掛けてきたのだ。
 戸惑(とまど)うロベールは、なんと答えればよいのか判らず、モゴモゴと口籠(くちご)もった。

「ナ‥ ナンですか? 何とおっしゃっているのです? わたしは、あなたの言葉が判らない‥ 」
 そんなロベールにエルレヴァがそっと助言した。
「伯爵様‥ まずは、助けていただいたお礼を――― 」
「おお‥ そうだった! 」
 ロベールは、胸に右手を当て、恭(うやうや)しく頭(こうべ)を垂れた。
「本当に、危ないところをありがとうございました。 言葉は通じないのでしょうが―――心より感謝致します 」
すると、謎の男はロベールの背後を指差した。
 ロベールは、その方向を振り返ってみる。

 そこには、川沿いの道をのんびりとやって来る、三台の馬車と十五人ほどの男達の姿があった。
 彼らは隊商(キャラバン)のようである。
 馬に乗った先頭の男が、ロベール達にむかって大きく手を振っている。
「どう―――もォ! 伯爵様ァ‥ ご無事でございましたかァ? お怪我(けが)はございませんか―――ァ? 」
「あ‥ あれはロレンツォ殿―――? 」
 隊商の隊長が、知人である事を確認したロベールは、改めて謎の男を振り返った。
「で‥ では‥ 貴方(あなた)は、ロレンツォ殿の指示で―――? 」
 その問いに、男はコクリと頷いた。
 ロベールが『ロレンツォ』と呼んだ男は、屈託(くったく)のない笑顔で声を掛けてくる。
「お喜びください。今年のスパイスは最高の出来ですぞ♡ 」
 そこには、ロベールの身を案じる様子はさほどなかった。自分の部下が、ロベールを無事救出する事に絶対の自信があったからであろう。