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1027年 ファレーズ城
その頃、『カラス団(コルブー)』達は外城壁の上にいた。
彼らは塀の頂上に腰掛け、30ピエ(約9メートル)上方から街の様子を監視していた。
これほどの高さがあれば、城下町全体を見渡す事ができる。
商人や巡礼者など、外部の者がこのファレーズを訪(おとず)れ、はじめに驚くのが、この外城壁の高さであった。
普通の城壁は15ピエ(約4.5メートル)ほど、高くてもせいぜい20ピエ(約6メートル)程度である。
だが、この街の城壁は30ピエ(約9メートル)もあるのだ。通常の1.5倍から2倍もの高さを誇っていた。
それゆえ、人々がその偉容(いよう)に驚くのは無理もなかった。
ただし、これほどの高い外城壁を作るためには、真っ直ぐで長い丸太が大量に必要とされた。これには、存外(ぞんがい)金が掛かるのだ。
丸太は1本、1本がそれぞれ直径15プース(約40センチ)ほどもあり、その尖端は円錐(えんすい)状に削(けず)られている。
そこで『カラス団(コルブー)』達は、その丸太と丸太の間に腰を下ろした。谷となった部分に尻がすっぽりとはまり、じつに据(す)わりがいい。腰に結(ゆ)わえた安全ロープを丸太と丸太の間に渡すと、椅子のようにして背中を寄りかからせる事もできた。こうすれば、上体は安定し、弓の弦(つる)を一杯に引く事が可能となる。
彼らは門を中心に、5ウナ(約6メートル)ずつ間隔をあけて、外城壁の上に広がっていた。
門の周辺をほぼ死角なく見張る事ができるのだ。
曇天(どんてん)だが、あたりは十分に明るくなっていた。
この高さと明るさは、敵を発見するのに申し分ない。
ただし、敵を発見しやすいという事は、反対に敵からも発見されやすいという事である。
だが、弓などの射撃系武器は、見上げての攻撃よりも、見下ろしの攻撃の方が圧倒的に有利なのだ。
弓矢は上方に向かって撃つと、飛距離、貫通力、破壊力などの威力はどんどん落ちていく。一方、下方に向かって撃つと、それらの威力は確実に上がるのである。
ゴルティエは、城壁に近い屋敷の屋根にも仲間を配置したかった。そうすれば、外城門に押し寄せた敵を、上からと背後から―――2方向からの攻撃が可能となるからである。
しかし、その案はピエトロとサミーラに却下(きゃっか)された。
火事の被害はどこまで及ぶかわからない。もしかすると、『カラス団(コルブー)』が登っていた屋敷が燃える可能性もあるのだ。ピエトロ達はそのような危険を犯したくなかった。
彼らは、10割の攻撃力よりも、8割の攻撃力で仲間全員が無事帰還する方を選択したのである。
その時、門の上に陣取っていたブノアが声を上げた。
「は‥ 始まりました! 火矢です! 」
一同が街の上層部に目をやると、何十もの火矢が落下していく様子が確認できた。
ゴルティエは仲間に力強い声を掛けた。
「ヨォ―――シ‥ 俺達も、火矢を打ち込むぞ! 」
それは、自分自身に対する『気合い入れ』でもあった。
『カラス団(コルブー)』達は、それぞれの傍(かたわ)らに結わえ付けられた松明(たいまつ)から、矢の先に火を着ける。矢尻に巻かれた布から炎が立ち昇った。
彼らは弓の弦(つる)を引き絞ると、その火矢を斜め上方に向かって放つ。
大きな放物線を描いて、それらが街の中心部へと飛んでいく。
続いて、二弾、三弾の火矢も街に打ち込んでいった。
火は徐々に燃え広がり、街の中央広場へと進んだ。
彼らにとって、初戦となる戦闘が始まったのだ。
『城主の館(メヌア)』前の大路は、火勢(かせい)がドンドンと強まっていた。
周囲が炎に包まれた事で、さしもの敵騎馬団も混乱していた。これ以上火勢(かせい)が強まれば、逃げ場を失った彼らは、深さ10ピエ(約3メートル)近くあろう空堀に飛び込むしかなくなってしまう。
「ヴィルヘルム殿、あたりは火の海です。 馬も脅(おび)えて、暴れるばかり。 これでは戦(いくさ)になりませぬ。 退却するなら今しかありませんぞ 」
忌々(いまいま)しげにピエトロを睨(にら)みながら、ヴィルヘルムはそれに答えた。
「いたしかたない。 ここはいったん街の外に引き上げて、城外で体勢を立て直す事といたそう 」
彼は手綱(たづな)を返すと仲間達に声を掛けた。
「退却! 退却! 各自、外城門へと向かえ! 」
その声を受け、敵は一斉に撤退(てったい)し始めた。
彼らは『領主の館(メヌア)』に背を向けると、火の中をくぐり抜け、崩れ始めた建物の残骸(ざんがい)をかわしながら、城門へと向かっていった。
『領主の館(メヌア)』の城壁にいた誰かが声を上げた。
「逃げたぞォォォォォお! 敵が逃げたァァァァあ! 」
『領主の館(メヌア)』全体から地響きのような歓声が上がった。
だが、ピエトロはさらなる追撃を命じた。
「油断するな! 弓、撃てい! 」
その号令に、さらなる火矢が次々と発射された。
矢は大きな弧を描いて、敵兵の背後に襲いかかる。矢が刺さった家々からは新たなる火の手が上がった。
強い熱波を浴びながら、ピエトロはポツリと呟(つぶや)いた。
「ゴルティエ‥ 後は頼んだ! 討ち漏らすでないぞ! 」
「来たッ! 」
プチ・レイが声を上げた。
真っ先に逃げ出した敵騎兵5騎が、火の中をかいくぐって外城門へと近づいてくる。
彼らはおそらく、火の勢いに恐れをなして、ヴィルヘルムの撤退(てったい)命令が出る前に逃げ出したのであろう。本隊はまだ広場にも達していないようだった。
街のアチコチでは建物が倒壊し、道を塞(ふさ)ぎ始めている。城内は迷路のように複雑になっていた。いや、そうなるようにゴルティエ達が仕掛けていたのだ。
だから、この城門まではそう簡単に到達できないはずである。
たった5騎だけでやって来た騎士達の内、最後尾の2人は背中から煙を上げていた。高熱を持った鎖帷子(オベール)から、その下に着た鎧下(ガンベゾン)に引火したのであろう。
鎧下(ガンベゾン)は剣の打撃を緩衝(かんしょう)するための上着である。中には羊毛がタップリと詰まっていた。そこに火が着いたのである。今は煙だけだが、まもなく一気に燃え上がると思われた。
しかし、本人達はまだ気づいていないようだった。
「みんな、よく狙えよ! 」
5人の騎士は門の20ウナ(約24メートル)付近にまで近づいた。
この位置では、建物が邪魔をして全員が撃つ事はできない。門を中心とした6名が、正面に向かって弓を引いた。
騎士達は城門に気づき、愕然(がくぜん)とした。そこには巨大な閂(かんぬき)が掛けられていたからである。
「クソッ! 門が閉まっている 」
「やりやがったな! 」
速度が落ちたせいで、背中から煙を上げていた騎士2人が、やっとその事に気づいた。彼らの鎖帷子(オベール)の隙間からは、小さいながらも、いくつもの炎が上がりはじめている。
2人は馬から飛び降りると、地面を転げ回ってその火を消そうとした。
敵の速度が落ちた事を確認したゴルティエが、仲間達に声を掛けた。
「撃て! 」
6本の矢は、いまだ馬を走らせる3人の騎士に襲いかかった。
「ガガッ! 」
「ブハッ! 」
矢は、最前列の騎士に1本、3番目の騎士に2本刺さっていた。
ブノアとプチ・レイ、ドニの矢だった。他の3人は的をはずしてしまった。
2本の矢を受けた3番目の騎士は、1本が右肺上部から心臓にまで達しており、もう1本は腹から背中を貫通していた。
彼はそのまま地面に落下し、そこで息絶えた。
さらに次の矢が射掛けられる。
無傷だった2番目の騎士に3本、すでに1本の矢を受けていた騎士にも、さらに2本の矢が追加された。
だが、彼らはそれでも死ななかった。傷だらけの体で馬をおり、よろめきながら門へと近づいてくる。
かたや、背中の火を消そうと地面を転げ回っていた2人の騎士は、さらに全身が燃え上がっていた。この一帯の路上には、特に念入りに油が撒(ま)かれていたのだ。
2人によって引火した路上は火の海と化した。
彼らは、鎖帷子(オベール)の内側の鎧下(ガンベゾン)や衣服が燃えているのだ。それらを消火するためには、すぐにも鎖帷子(オベール)を脱がなければならない。だが、重いそれを脱ぐ事は容易ではなかった。
2人は文字通り、身を焦(こ)がしながら必死にのたうちまわった。
そのうち、1人が動かなくなる。手足を強張(こわば)らせ、指先を硬直させた彼の体からは、肉の焦(こ)げる臭いとパチパチという音が上がった。だが、まだ死んではいないようだ。『ううう‥ 』という呻(うめ)き声が聞こえてくる。
もう1人は、なんとか鎖帷子(オベール)を脱ぐ事ができた。だが、彼の鎧下(ガンベゾン)は空気に触れて一気に燃え上がった。激しい炎に包まれた彼は、もはやそれを脱ぐ気力もないようだった。
ヨロヨロと立ち上がった彼の胸と腹に、来襲した3本の弓矢が突き刺さる。
彼は燃えさかる体で天を仰(あお)ぐと、ゆっくりと後ろに倒れていった。
馬から降りた2人の騎士は、なんとか城門まで辿(たど)り着いていた。ひとりは、肩に一本と腹に二本の矢を受けている。もう1人は、胸と脇腹、そして左腕に1本ずつ矢が刺さっていた。
彼らは邪魔になる矢柄(やがら)を折った。
「も‥ 持ち上げるぞ‥! 」
よろめきながら、2人は閂(かんぬき)の下に肩を入れた。自分達がもう助からない事は判っているはずである。だが、朦朧(もうろう)とする意識の中で、必死に生き延びようとしているのだ。
「フンッ! 」
しかし、釘(くぎ)でガッチリと固められた閂(かんぬき)はビクともしない。
そこに強烈な速度の矢が5本襲いかかる。
「ブバッ! 」
「ギャギャギャン! 」
彼らは地面に叩き付けられ、その場に縫い付けられた。
「やったぞ! 」
『カラス団(コルブー)』達から歓声が上がった。
「5人も殺した! 」
「いや、殺したのは3人だろう! 」
「ともかく俺達がやったんだ! 」
そんな『カラス団(コルブー)』達にゴルティエが厳しい声を上げた。
「油断をするな! これから、ドンドン来るぞ! 」
そう言いながらも、ゴルティエは勝利を確信していた。
このまま行けば街は大火になる。その火事をかわしてここまでたどり着ける騎士は2割もいないだろう。
あと、20人くらいなら俺達だけでもなんとかなる―――ゴルティエは心の中でほくそ笑んでいた。
そんな彼の頬(ほお)をツツッと水滴が走った。
「おいおい‥ うれし涙でもあるまいに――― 」
涙を拭(ぬぐ)おうとした彼の手の甲にさらに一滴。
ゴルティエは息を呑(の)んで、それから上空を見上げた。
その顔にポツポツとさらなる水滴が落ちてきた。
「あ‥ 雨―――!? 」
『カラス団(コルブー)』の仲間達も塀の上で騒ぎ始めた。
「雨だ! 雨が降ってきた! 」
やがて、その雨足はどんどんと強くなっていく。
街の火勢(かせい)は弱まり、黒い煙がモクモクと立ち始めた。
まだ敵の大部分が無傷だというのに、ここで鎮火(ちんか)してしまえば彼らは体勢を立て直すだろう。
外城壁は十分に守られている。この城門も破られる事はないだろう。
そうなると、城下に閉じ込められた彼らが向かうのは『領主の館(メヌア)』しかない。
余裕を失い、怒りにまみれた敵騎士団は、狂戦士(バーサカー)のようになって城に襲いかかるに違いない。そうなれば、『領主の館(メヌア)』が一気に陥落してしまう可能性だってある。
「か‥ 母ちゃん‥ 姉ちゃんが危ない‥! 」
ゴルティエの頭の中が一瞬真っ白になった。
「た‥ 助けなきゃ―――! 」
彼は迷う事なく、丸太に結(ゆ)わえられていた安全ロープを解(ほど)き、それを伝って城内へと降りていった。
建物に隠れながら、たったひとりでモクモクと黒煙を上げる中心部へと向かっていったのだ。
それはひじょうに危険であり、あまりにも無謀な行動であった。