第58話 1026年 エレーヌの森(1)


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 1026年  エレーヌの森(1)


 5人の山賊はすでに頼純達を囲んでいた。
 彼らは自分達の勝ちを確信している。相手は、道化のような格好で細長いナイフを構えた小柄な異邦人が1人と、手にした長剣を持ち上げられるのかさえ怪しい老人が1人―――もう1人は、馬の陰に隠れて震えている男である。
 それに比べて、山賊達は金や荷物を奪うため、毎日旅人を襲っては彼らを殺しているのである。殺人は生業(なりわい)であった。だからこそ、戦いに絶対の自信があるのだ。
 一番左にいた山賊が、からかうように頼純に向かって手にした斧(おの)を振り下ろしてきた。
「オラオラオラ‥ あたれば切れるぞ! ヒャッヒャッヒャッヒャッ‥ 」
 上段に小烏丸(こがらすまる)を構えていた頼純は、斧(おの)の刃先を躱(かわ)すため後方へと飛びながら、右手で握った小烏丸(こがらすまる)を振り下ろした。
 その切っ先が、斧(おの)を空振りした山賊の右手首にさくりと食い込む。
 次の瞬間、斧(おの)を握った手首が地面にポトリと落ちた。
ギャ―――ア‼ 」
 頼純の剣は、いつものように斬られた者がそれに気づき、絶叫を上げる頃には次の者を斬っていた。今回は、手首から血を吹き上げる山賊の、右隣に立っていた男がその標的となった。両手にそれぞれ大きなナイフを握っていたその男は、気づかぬうちに左足が切断されていた。
 バランスを失った男は、そのまま地面に激突する。
「あれれれれ‥ ゴッ! 」
 それは一瞬の事であった。
 山賊達の目の前に突如、血まみれになって地面でのたうちまわる二人の仲間が現れたのだ。
「痛(いて)ェよ、痛(いて)ェよ、痛(いて)ェよ、痛(いて)ェよ‥‥ 」
「た‥ 助けて‥ 誰か、助けてくれ! 血が‥ 血が止まんないんだよォ‥ 」
 その信じられない光景に山賊達は凍り付いた。いまだに何が起こったのか理解できていない者もいた。
「ああああ‥ そ‥ そんな‥‥ 」
「ひひ‥ ひひひ‥ 」
「お‥ 襲う相手を‥ ま‥ 間違えたかも‥‥ 」
 山賊達はさきほどの余裕や自信がすべて吹き飛んでいた。彼らの中で、彼我(ひが)の立場が完全に逆転してしまったのだ。
 恐怖からパニックを起こした山賊の小頭(こがしら)は、頼純に向けた長剣(エペ)を左右に小刻みに振り、その動きを牽制(けんせい)しようとした。
「来るな、来るな! 俺達に近づくんじゃねェ! あっちへ行け! 」
 その小頭(こがしら)の腕を切り落とそうと、頼純が太刀(たち)を大上段に構えた時、背後に嫌な気配を感じた。
 まずい―――咄嗟(とっさ)に閃(ひらめ)いた頼純が体を躱(かわ)す。
せィりゃッッッ‼ 」
 案の定、掛け声とともに長剣(エペ)の切っ先が振り下ろされた。
 老剣士エルキュールの長剣(エペ)である。
 先ほどから視界の隅(すみ)に、剣を振り回すエルキュールの姿は捉(とら)えていた。しかし、まさか自分に斬り掛かってくるとは頼純も思っていなかったのだ。
「あ‥ 危ないですって! もう動かないでください! 」
 頼純が大きな声を上げた。
 しかし、エルキュールは
「テュロルド、お前はこのワシの活躍を愚弄(ぐろう)する気か! そうであるのなら、ただではおかぬぞ! 」
 と、怒鳴りながら、剣を振り回し続けた。
 その姿は、むしろ剣に振り回されていると言った方がピッタリであろう。
 剣を振るたびに、その重さと遠心力で、あっちへダダダダダッと走ったかと思えば、今度はこちらへドドドドドと戻ってくる。
 どこへ行くのやら判らぬエルキュールは、敵にとっても自分達にとっても危険極(きわ)まりなかった。
 
 手足を斬られた男達がギャーギャーと叫び声を上げる中、予測不能の剣を振り回す老人がいるのである。
 その支離滅裂(しりめつれつ)な状況に、山賊達は「ワッ!」とか、「ヒッ!」とか悲鳴を上げながら、逃げ回っていた。
 襲いかかるエルキュールの長剣(エペ)をやっとの事で躱(かわ)し、斧(おの)や剣で弾(はじ)き返しているのである。
 本来ならば彼らとて、フラフラとよろける老人の剣など、嘲笑(ちょうしょう)とともに余裕で弾(はじ)きとばせるはずである。だが、人は切羽(せっぱ)詰まるとこれほどまでに判断力が鈍り、身体が動かないものかと思わされた。
 頼純もポカーンとした顔でエルキュールを眺(なが)めている。
 そんな中、モジャ髭(ひげ)の小頭(こがしら)はなんとか気を取り直し、油断した頼純に斬り掛かってきたのだ。
 不意(ふい)を突かれた頼純だったが、その刃先を躱(かわ)すとモジャ髭(ひげ)に小烏丸(こがらすまる)を喰(く)らわせる。しかし、彼もつい慌(あわ)ててしまい、いつもなら相手の右手だけを斬り落とすところを、左手まで切断してしまったのだ。
 モジャ髭(ひげ)の両腕から、真っ赤な鮮血が噴水のように噴(ふ)き上がった。 その光景を目(ま)の当たりにした残りの二人は、完全に怖じ気(おじけ)づいてしまう。山賊達はもはや誰一人として、戦う気力を残してはいなかったのだ。
 無傷の山賊二人の眼前に、頼純は小烏丸(こがらすまる)の切っ先を向けた。
 二人はその場に跪(ひざまず)き、必死に頼純に命乞(いのちご)いをした。
「ま‥ 待って! 」
「お願いです‥ 助けてください! 」
 彼らを睨(にら)みつけた頼純が低い声で命じた。
「仲間を連れて、さっさと消えろ! 」
 生き残る事ができた山賊二人は、傷を負った仲間3人を担(かつ)ぐと、這々(ほうほう)の体(てい)で藪(やぶ)の中へと消えていったのだった。
 その後をなおも追い掛けようとするエルキュール。しかし、とても足が追いつかない。
「逃げるとは、情けない奴らじゃ! 戻ってきて、ワシと勝負をせんか! 」
 藪(やぶ)に向かってそう悪態(あくたい)をついた老人は、長剣を鞘(さや)に戻しながら頼純を振り返った。
「どうじゃ、ティロルド‥ 我が剣技、おぬしも恐れ入ったであろう? 」
 だが、頼純はそれに答えなかった。息が少々上がっていたからである。
 エルキュールとティボーを守りながら、エルキュールの剣を躱(かわ)し、敵を退治する事は、いつもの三倍もつかれる事だった。
 そんな頼純を、エルキュールが叱咤(しった)した。
「ナンじゃ、ナンじゃあ‥ これぐらいの戦闘で息が上がるとは、修行がたらんぞ! この旅が終わったら、ワシがタップリと稽古(けいこ)をつけてやる。 テュロルドよ、覚悟しておけ 」
「は‥ はい‥! 」
 よけいに疲れる頼純であった。

 そこに声がした。
「これはこれは‥ また、とんでもなく血生臭い場面に出くわしたようじゃのォ‥! 」
 振り返った頼純は、前方の木の陰からこちらを窺(うかが)うシュザンヌを発見した。いつものように、頭巾(キャピュッシュ)付きの外套(ケープ)を身にまとった彼女は、曲がった腰を長い杖で支えていた。摘(つ)んだのであろう薬草が入った籠(かご)も持っている。
 頼純は目を輝かせた。
「おお‥ シュザンヌ殿! よい所でお会いできました。 我々はアナタを探してこの森へやって来たのです 」
 頼純達に近づいてきた彼女は、深々と被(かぶ)った頭巾から大きな鉤鼻(かぎばな)を覗(のぞ)かせていた
「はてさて‥ このワシをお探しとは、何の御用じゃ‥? もしや、新たなる病(やまい)でも発生したのか? それとも誰かが、大怪我(けが)でもなさったのか? 」
「いえいえ‥ この方の道案内をしてきたのです。 ご存じでしょう!? ルーアンのエルキュール殿です! 」
「え!? 誰ですって? 」
 聞き返すシュザンヌの声が一瞬若返ったかのように聞こえた。
「ですから‥ ルーアンのエルキュール殿です! ずっと昔、アナタのご近所に住んでたエルキュールさんですよ‥ シュザンヌ殿が初恋の人なんですって 」
「あ‥ あ~~~あ‥ お‥ 思い出した、思い出した‥! あのアルキュさんじゃ。 はいはい、憶(おぼ)えておりますよ。 お久しぶりです 」
「いやいやいや‥ アルキュさんじゃなくて、エルキュールさんです! 」
 そんなシュザンヌに近づいてきたエルキュールは、ジイッと彼女を見詰めてから、怪訝(けげん)な声を漏(も)らした。
「おい、テュロルド‥ このおなごは誰じゃ? ワシャ、こんなおなごは会った事もないぞ。 まったく知らん 」
「言うと思ったわ 」
 頼純が呆れ顔で突っ込んだ。
「あのねェ、50年も経(た)ってりゃ外見だって変わるんだよ‥! 若い頃の美しい印象しかないんだろうけど‥‥ このお婆さんがシュザンヌさんなんだよ。 アナタの初恋の人なんだって! 」
 頼純はエルキュールとシュザンヌを交互に眺(なが)めると、溜息まじりに呟(つぶや)いた。
「まったく、もう‥ 二人ともボケちゃって‥‥! 」
 その時、シュザンヌが頼純の背後を指差した。
「それよりも、その後ろの御仁(ごじん)はどうなさったんじゃ? ケガをしておるようじゃが――― 」
 頼純は驚いて後ろを振り返った。
 そこには、真っ青な顔に脂汗をいっぱい浮かべたティボーが、右手で左の二の腕を押さえていた。
「ウウウウ‥ 」
 呻(うめ)き声を上げるティボーに頼純が駆(か)け寄ると、彼はその場に崩れ落ちた。彼の右手の指の間からは大量の血が滴(したた)っている。
「どうした、おっさん? しっかりしろよ! 」
 頼純は倒れそうになるティボーの体を支える。左腕はかなり深く切れているようだ。
「さっきの山賊に斬られたのか? 斧の奴か? それとも、長剣の野郎か? 」
 頼純がそう尋(たず)ねると、ティボーは小さな声で答えた。
「い‥ いえ‥ 兄の振り回す剣で斬れてしまいました。 しかし、どうかそれは兄にはご内聞(ないぶん)に! あの人、けっこう傷つきますので 」
「そりゃ、いいけどよ‥ とにかく、血を止めなきゃ! 」
 頼純は右手で直垂(ひたたれ)の左の袖口(そでぐち)を掴(つか)むと、グッと引っ張ろうとした。破いた袖(そで)を止血帯代わりにしようとしたのだ。だが、シュザンヌの手がそれを止めた。
 彼女はティボーの傷を覗き込んだ。
「う~~~ん‥ これは縫(ぬ)わんといかんな‥! 」
 シュザンヌは、その傷口に持っていた水筒の水をすべて掛けた。
「ググググ‥ 」
 ティボーは押し殺した声を漏(も)らした。かなりしみるはずであるが、彼は痛みをグッと我慢していた。普段のティボーなら、ギャーギャーと大人げなくわめくハズである。それは、彼らしからぬ行動であった。兄の前だから、必死に格好をつけているのであろう。
 シュザンヌは、薬草を入れた籠(かご)の底のほうから何かを取り出した。それは幾重(いくえ)にも巻かれた細い布だった。彼女はその布を手際よくティボーの傷口に巻きつけ止血した。しかし、かなり深くキレているのか、布は見る見るうちに赤く染まっていく。
 シュザンヌが頼純を振り返った。
「残念ながら、ワシは今ここに縫合(ほうごう)道具をもってはおらん。 じゃが、この近くにワシの庵(いおり)がある。 そこで手当てすることにしよう」
「おお‥ それはありがたい! 」
 頼純は安堵(あんど)の声を上げた。
「じゃが、ワシはその庵(いおり)の場所を秘密にしておる。 そして、その秘密を教えられるほど、アンタらを信用しているわけでもない! 」
「あ‥ ああ! それはごもっとも‥! 」
「傷の御仁(ごじん)は、この布で目隠しをした上でその馬に乗せるがいい。 手綱(たづな)はワシが牽(ひ)いていく。 アンタも目隠しをしたら、老人をおんぶしなさい。 そして、老人の指示通りに歩くのじゃ。 よいな 」

 一行はシュザンヌの指示に従い、森の中を進んでいった。
「あと3歩進んだら、右に曲がる。 曲がったら、左側に木の根があるぞ。 つまずかぬように! そこから5歩進むと右側に石がある。 踏(ふ)んで転ばぬように! 」
 頼純に負(お)ぶわれたエルキュールは、意外にも細かく指示を出し、頼純をうまく誘導した。
 頼純も何も見えない中、慎重に歩を進めた。
 そうやって一行がしばらく進むと、シュザンヌが声を掛けてきた。
「もう充分じゃろう。 目隠しをとってもよいぞ。 ワシのあとを着いてきなさい 」
 頼純が言われた通りに目隠しを取ると、そこには人などまったく通りそうにない、道なき道が続いていた。
 目隠しをしていたのはそう長い時間ではなかったが、今いる場所がどこなのか、もはやさっぱり判らなくなっていた。
 そして、木の枝や根、岩などが邪魔して、これ以上は馬では進めなくなっている。
 頼純は近くの木に馬の手綱(たづな)を結(ゆ)わえると、エルキュールの剣を持ち、ティボーをおんぶして道をさらに進んだ。

 やがて、目の前に大きな崖(がけ)がそそり立つ。のし掛かるように切り立ったそれは、高さ30ピエ(約9メートル)はあるだろう。
 周辺は高い木々で覆(おお)われていた。さらに、崖(がけ)には苔がビッシリと生え、ツタも無数にからまっている。たとえ誰かが近くを通っても、『高い崖(がけ)がある』と思うだけで、通りすぎてしまうに違いない。
 シュザンヌはツタをかき分けると、隠し扉を開き、その崖(がけ)を貫(つらぬ)く隧道(トンネル)へと導(みちび)いた。
 その隧道(トンネル)の中を進む途中で、やっと頼純は崖全体が人工的に作られた建造物である事に気づいたのだ。
「これはもしや‥ はるかいにしえに栄えたというローマ人が作ったモノでは―――? 」
 頼純はかつてロレンツォのお供でヴェローナへ行った時、このような石造りの遺跡をいくつか見た事があったのだ。
 シュザンヌが説明してくれた。
「ここは、800年以上も前に古代人が作った砦(とりで)じゃ。 小さいが、城壁は高く頑丈に作られていて、人里と私の庵(いおり)を遮断(しゃだん)してくれておる 」
 5ウナ(約4.8メートル)ほどの隧道(トンネル)を抜けると、一辺が80ウナ(約100メートル)はあろう、正方の広々とした空間が開(ひら)けていた。高い城壁で囲まれたその空間の中にも、大きな木が何本も生(は)えており、池までがあった。真冬だというのにその中は温かく、花々までが咲き乱れている。鳥のさえずりはいくつも重なって聞こえた。
 それはまさに、幻想的で美しい光景としか言いようがなかった。
 そして、その空間の中央に小さな小屋があるのだ。
「ささ‥ 中に入るがよい! 」
 シュザンヌに案内され、頼純ら一行は庵(いおり)の中へと吸い込まれていった。