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 1026年 ファレーズ城・広間(2)


 頼純本人とロレンツォ、そして通訳を除いた、そこにいるすべての人々が、立て板に水でフランス語を話す頼純に驚いていた。それはある種、異様な光景であった。
「俺のような風体(ふうてい)で、言葉がしゃべれると‥ いろいろと面倒くせぇ事が多いんだよ。 だから、話せネーふりをしていただけさ。 そうしてりゃ‥ テメーらみてーな、ボンクラどもの本音だって聞く事もできるんだからな! 」
 ロベールはポカンと口を開けていた。ティボーやレオン兵士長もあまりの事に唖然としている。
 頼純はそれまで我慢していたせいか、一気にしゃべりまくった。
「そういや、そこのアンタ―――執事(アンタンダン)のティボー殿だっけェ? アンタ‥ 時々寝小便するんだって? ベッドの藁(わら)がビチャビチャになるんだろう? 下女のばぁさんたちが噂してたよ。 まあ‥ アンタも歳なんだから、それもしょうがネーだろうけどさ‥ でも、寝る前には水の飲み過ぎに注意しな♡ 」
 誰にも知られていないと思っていた秘密を、部下達の前でバラされたティボーは、顔を真っ赤にし、プルプルと震えている。
 頼純は、続いてレオンの方へ目をやった。
「それから、そこの騎士(シュバリエ)―――レオン兵士長とか言ったな‥ アンタは、女房に隠れて愛人を作ってる。 この館の侍女で、アンナとかいう女だ! 」
 図星だったようで、レオンは大きく息を呑むと慌(あわ)ててその口に手をあてた。

「さらには――― 」
 止まらぬ頼純の暴露話に、ロレンツォが割って入る。
「まあまあまあまあ‥ ヨリ‥! ヨリ! 皆様の秘密を公開するのは、そのへんでいいだろう。 もう、よしなさいって! 」
 ロレンツォは、先ほどまでの怒っていた顔を無理やり笑顔にし、ロベール達に言い訳をした。
「い‥ いや~~~あ‥ べ‥ 別に、隠していたワケではないのですが―――彼は語学の方も天才でしてね‥ フランス語もイタリア語も話せるんです。 ラテン語にいたっては、最低限の読み書きまでできます―――あと、ペルシャ語とソグド語、中国語‥ もちろん日本語もね♡ 」
「そ‥ そうだったんですか‥? 」
 そう答えたものの、ロベールはこの場をどうしてよいのか判らなかった。
 先ほどまで、得意満面(とくいまんめん)で頼純の勧誘(かんゆう)をしていた彼が、実は頼純やロレンツォを怒らせていたと知り、どうしてよいのかわからずにオロオロしていると、今度は突如、頼純がフランス語を話し始め、みんなの秘密をバラし始めたのである。彼はもうナニがナニやら、さっぱり理解できなかった。
 ロベールは混乱したまま、とりあえずの賛辞を返した。
「な‥ 何カ国語も話せるなんて‥ 素晴らしいですね‥ 」
 頼純は、そんなロベールを馬鹿にしたかのように鼻を鳴らした。
「ハン! ナニ言ってやがんだよ! オメーは、言葉の通じねェ人間を家来にしようと思ってたのか? それで、どうやって命令を下すつもりだったんだ? 咄嗟(とっさ)の場合に、いちいち通訳をとおしてたんじゃ間に合わネーんだぞ! 」
「あ‥! は‥ はい‥ 」
 オドオドしたロベールを、頼純は怒りにまかせてさらに毒づく。
「それにしても‥ オメーは、ホンットに失礼な野郎だな‥! 」
「え? 」
「そりゃなァ‥ たしかに、この俺はサミーラの事が好きだよ! 愛してますよ。 一番大切に思ってる―――そいつは認めるよ! 」
 秘めた恋を人前で公(おおやけ)にされた頼純は、完全に開き直っていた。
「けど‥ テメーは、その人を―――この俺が大切に思っているサミーラを‥ 金で買おうとしやがったんだ! モノのように、贈り物にしようとしたんだよ! んなコト、自分がされたらどう思うよ? 」
―――! 」

 やっと、頼純の怒りの理由を理解したロベールは、自分の心ない言動を後悔し、言葉がなかった。
 しばらくして出た謝罪の弁も、しどろもどろで、自分でも何を言っているのか判らないほどである。
「あ‥ いや‥ あのォ‥ ああ‥ わたくしは、なんて事をしてしまったんだろう‥ ごめんなさい‥! アナタやサミーラ殿を傷つけてしまったのなら謝ります。 本当にごめんなさい 」
 だが、頼純はその謝辞(しゃじ)を受け入れようとはしなかった。
「いいや‥ 俺は絶対に許さねェぞ! 許してやるもんかい! 」
 ロベールの鼻息が荒くなると、やがてその瞳が潤(うる)んでくる。
「で‥ でも‥ わ‥ わたくしはそういうつもりで‥ そういうつもりで、サミーラ殿を買おうとしたワケではないのです。 本当です! アナタにお礼がしたくて‥ 仲良くなりたくて――― 」
 またまた涙目になったロベールに、頼純も怒りが萎(な)えてくる。たしかに、ロベールの言動には腹も立つが、彼に悪意があったとは思えない。頼純にも、ロベールが『良い人』である事ぐらいは十分に判っていた。
わかったよ!! もう、泣くな‥ 泣くなって! 俺だって、オメーに悪気があったとは思っちゃいネーさ 」
「ホ‥ ホントですか? 」
「ああ! けどなァ‥ そもそも、このくだらねェ交渉(こうしょう)案は誰が考えやがったんだ? お前さんの考えじゃなくて、誰かに入れ知恵されたんだろう? 」
「そ‥ それは――― 」
 言葉に詰まってしまったロベールに、頼純は先回りして、自分が解答してやった。
「まあ、だいたいの想像はつくさ―――おそらくは、あのエルレヴァとかいう女の考えだろう。 あの女は、アンタの子を身籠(みご)もっているのに、身分が低すぎて公妃(こうひ)にはなれない。 そこで、知恵のあるところを見せて、アンタの気を引こうとしたんだ。 違うか? 」
「そ‥ それは違います! 」
 ロベールはキッパリと否定したが、頼純は意に介さない。
「あの女は、貴族の身分と金をちらつかせれば、この俺がオメーになびくと考えやがったんだ‥ まったく、不愉快な女だぜ! こういう薄汚ェやり口で来られると‥ コッチは、絶対に首を縦には振りたくなくなる! 絶対にだ!」
「ち‥ 違うんです‥ 」
 ロベールの言葉など耳に届かない頼純は、馬鹿にした微笑を浮かべて彼を眺めた。
「こんな間抜けな策をアンタに授(さず)けるなんて―――エルレヴァてー女は、人を見る目がない上に、愚(おろ)かであるに違いねェ。 オメー‥ あんな女とは結婚しねェ方がいいぞ♡ 」
違うって言ってるだろう! 」
 ロベールが怒鳴った。
 彼はティボー以外の人前で、怒りをあらわにする事は滅多になかったので、その大きな声は広間を凍り付かせるに十分だった。
「これは、彼女が言い出した方策ではない。 だから、彼女の―――エルレヴァの悪口は言うな! 」
「‥‥‥ 」
 頼純はロベールに、『大切な人を疎(おろそ)かに扱(あつか)われた』と怒ったが、彼もまたロベールに対して同じ事をしていた。頼純はいささかなりとも反省せざるを得なかった。
 ロベールは、悔しそうに言葉を絞り出した。
「彼女は――エルレヴァは‥ ヨリ殿とサミーラ殿は愛し合っているけれど、二人の間には何か『謎』がありそうです。 だから、まずはその『謎』を解くようにって―――そう言ったんです! 」
「な‥ 謎? 」
 『謎』という言葉に、人々は興味を引かれた。

 ロベールはあの時の事を思い出していた。
 三日前の雨の日、帰ろうと外套(マント)を手にした彼女が、ロベールに助言したのはこういう事だった。
 ―――頼純は、気前のいい大商人・ロレンツォの警備隊長であり、今回の胡椒(こしょう)買い付けでは一番の功労者である。お陰で、ロレンツォはヨーロッパ一の大富豪となる事もできた。
 ならば、一行がヴェネツィアに帰国した時、ロレンツォは頼純に相当な額の特別報酬(ほうしゅう)を払ったに違いない。
 そして、頼純がその報酬(ほうしゅう)を受け取ったかどうかは判らないが、彼には必ずやらねばならない事があった。
 それは、砂漠で死にかけた時に助けてくれたもう一人の恩人―――サミーラを救う事である。
 おそらく、頼純はロレンツォに金を払い、サミーラを自由の身にしてやったハズである。
 そしてそうなっていたのなら、二人はヴェネツィアからサラセンの国へと戻り、一緒に暮らす事もできるのだ。
 なのに、彼らはそうしなかった。二人はそのままロレンツォに仕(つか)え、旅を続けている。サミーラにいたっては、奴隷のフリまでしているのだ。
 ロレンツォもどこか怪しかった。
 巨万の富を手に入れた彼が、いくら物見遊山とはいえ、苦難に満ちた行商の旅を自(みずか)ら行う必要はなかった。
 しかも、道中の盗賊対策にしては、頼純をはじめとする警備隊が物々しすぎる。
 ロレンツォの隊商(キャラバーン)全体がどこかいびつであり、怪しいのだ。
 それは、一行に『謎』があるからに違いない。
 そしてその『謎』は、おそらくこの旅の果てにある目的―――ロレンツォも絡(から)んだ、何か大きな計画に関係しているのではないだろうか。
 頼純を手に入れたくば、その目的を知らねばならない。
 この『謎』を解く事こそが、彼を手に入れるたったひとつの方法なのだ―――と、エルレヴァから告げられていた。

「エルレヴァはさらにこう言いました―――しかし、お気を付けください。 ヨリ殿はサミーラ殿に、まだ愛を打ち明けてはおられぬご様子。 もしかしたら、あの方はそういう事を口にするのが苦手な方かもしれません。 また、大富豪であるロレンツォ様は、ヨリ殿を宝だ宝だとおっしゃっておられるのに‥ 一方で、その報酬(ほうしゅう)に関する話は一言もされてはおりません。 それは、おそらくヨリ殿がお金で動く人ではないからでしょう 」
 頼純とロレンツォは、互いに目配せをした。
 それは、ロベールの語る推理にドキッとしたからである。
 たしかに、彼の言葉は理路整然としていた。
 それは、エルレヴァの分析力の賜物(たまもの)なのであろうが、頼純の誤解を解きたい一心もあって、その時、彼女が語った言葉を一言一句(いちごんいっく)間違えずに復唱していたからである。
「ですから‥ ヨリ殿と話をされる時には慎重になさいませ。 けっして、人前で二人が愛し合っている事を口になさってはなりませぬ。 また、報酬(ほうしゅう)で釣ろうとしてもなりませぬ。 遠回りに、これからヨリ殿が何をしたいのか、どこへ行きたいのか、お尋(たず)ねするのです。 そして、その言葉に真摯(しんし)に耳を傾け、誠心誠意そのお手伝いをしようとなさいませ 」
「じゃあ‥ さっき言ったコトと、まるっきり真逆のコトじゃネーか? 」
 ロベールは大きく頷いて、
「そうすれば、ヨリ殿の心も次第に打ち解(と)けていく事でしょう。 そうなってはじめて、お二人の結婚話をされたらよいのです。 伯爵様があの方から感謝をされなければ、ナニも始まらないのだと心にお刻(きざ)みくださいませ―――ってね‥ エルレヴァからはそう言われていたんです! 」
 それは完璧な推理だった。

 頼純は困った顔をしていた。エルレヴァを大いに誤解し、かなりひどい事を言ってしまったからである。
「ま‥ まあ、そういう事なら、話は違ってくるよなァ‥ エルレヴァって娘(こ)もかなり頭が切れるみてーだし――― 」
 その会話に、ロレンツォが興味津々で入ってくる。
「では‥ エルレヴァ殿のご忠告とはまったく反対の方法をとるように、進言なされたのはどなたなのです? そのせいで、完全に裏目に出ちゃいましたけど♡ 」
「わたくしですよ! 」
 ロベールの傍(かたわ)らで、ティボーが重たそうに手を上げた。『わたしの案だと判っていて聞いてるんだろう』と言いたげな、ふて腐れた態度だった。
「わたくしが、伯爵様にそう申し上げたのです。 目に見えぬ、誠意や真心では人は動きませんからな。 形ある地位や金であがなう方が確実だと考えたんです。 あの条件なら、たいていの者はすり寄ってくるハズですから! 」
 ロレンツォは、ティボーらしい考え方だと納得した。そしてその考え方が、ロベール伯爵をいつも間違った方向へ向かわせているのだと、改めて感じていた。
 ティボーは忌々(いまいま)しそうに『いやみ』を吐いた。
「どうも‥ 愚かな女のような方策で、申し訳ありませんね 」

「でも、なぜ―――? アンタがエルレヴァさんから言われた通りに動いてれば、俺の心も少しは傾いたかも知れなかったのに‥ なぜ、伯爵さんは彼女の助言を無視したんです? 」
 頼純のロベールに対する言葉遣いが、少し丁寧になっていた。エルレヴァを罵(ののし)った自分を恥じていたからである。
 ロベールは伏せ目がちに口ごもった。
「い‥ いや‥ 爺がどうしても、そうせよと申すものですから‥ そうすれば、必ずやヨリ殿は手に入ると――― 」
 ロレンツォがもっともらしく頷(うなず)いた。
「なるほど、なるほど! たしかに、法外な条件でしたモノねェ‥ たいていの者ならヨダレを垂らしてすり寄ってくるでしょう。 そこらへんに転がっている『たいていの者』ならね―――♡ 」
「お‥ おのれェ‥ さきほどから、皮肉ばかりを言いおってェェ‥‥! 」
 日頃から、互いに快く思っていない二人だけに、ロレンツォはしつこくからかい、ティボーはよけいに腹立たしかった。
 
「しかし、執事(アンタンダン)殿が‥ 異教徒であり、異国の者であるこのヨリを、ロベール殿の騎士(シュバリエ)に―――ファレーズの貴族にしようとお考えだったとは‥ じつに意外でした 」
 ロレンツォの言葉に、ティボーは憎たらしげに鼻を鳴らした。
「ハン‥ そのようなハズがあるまい! どこの馬の骨とも知れぬ者を、我がファレーズ伯爵領の貴族にするなど、もってのほかじゃ。 このわたしは、断固として反対する! 」
 その言葉に、その場の全ての者が驚いた。
「し‥ しかし、アナタがロベール殿にそうなさるよう、進言されたのでしょう‥? 」
「そ‥ それは‥ 伯爵様が心より欲しておられるようじゃったから‥ つい助言申し上げたまでの事。 たとえ、おのが意見は反対であろうとも、主人の問題を取り除く事が家臣のつとめである! 」
「ナニが問題を取りのぞくだよ。 それで失敗してりゃ、世話ねェだろうが! 」
 口先だけで、何がしたかったのかさっぱり判らないティボーに、頼純はイライラしていた。だが、その苛立ちの根底にあるのは、推理に失敗した自分への無念さや恥ずかしさだったのかもしれない。
 ティボーはさらに、愚(ぐ)にもつかない言い訳を続けた。
「べ‥ べつに、コチラは失敗したなどとは思っておらぬわ! あくまでも、わたしの望みどおりになったまでの事。 と言うか‥ 無意識の内に、そうなるように仕向けていたのかもしれんのうォ‥ 」
「ッたく‥ 口の減らねェジジイだぜ! 」
 頼純はもはや呆れる事さえ馬鹿馬鹿しくなっていた。
 そんな頼純の顔を、ティボーは意地悪げな笑みで覗き込んだ。
「もっともォ‥ お前がその報酬(ほうしゅう)に釣られて、たとえ家臣になるコトを了承していたとしても、わたしは心配なぞしやせんぞ。 なぜなら‥ そのような無法(むほう)は、ノルマンディ公爵であらせられる兄上、リシャール大公様がお許しになろうハズもないからじゃ。 けっきょくは白紙に戻される話。 だから、伯爵様にも安心して進言できたんじゃろう‥! 」
「そうかい。 でも、コッチこそ―――家来であるボンクラ執事の言いなりになってるような、弱気のナヨナヨ伯爵様なんぞ、真っ平(まっぴら)御免(ごめん)こうむるぜ! 」
 その言葉に、ティボーは激高(げきこう)した。
「ナ‥ ナニィ? 貴様はこのわたしのみならず、若までを―――伯爵様までを愚弄(ぐろう)する気か? 」
 しかし、頼純はそっぽを向いて、ティボーの問いかけを無視した。
 その態度が、ティボーの怒りの炎にさらに油を注ぐ。寝小便をバラされた恨(うら)みは深かった。
「そもそもがじゃ‥ 伯爵様の尊いお申し出を、たかが御用商人の用心棒ごときが、断るなど無礼千万! すべての決定権はこちらにあるのじゃ! 身分卑しきお前の方から断るなど、けっして許される事ではない! 」
 頼純の目が鋭く尖った。
「へェ―――え‥! 」
 頼純の全身から、殺気が立ち昇り始めていた。