第87話
1027年 ファレーズ城(1)
頼純ら先発隊が『エレーヌの森』を抜けた時、彼らの目に飛び込んできたのは、紅蓮(ぐれん)の炎に包まれたファレーズの街であった。
「そ‥ そんな‥‥ 」
その猛烈な火勢(かせい)は、『領主の館(メヌア)』まで燃えているように見えた。
誰もが馬を止め、その光景に絶句した。
かなりの距離があったせいもあるが、彼らは街が陥落(かんらく)し、住民は皆殺しにされたと勘違いしたのである。
「急げ! 」
我に返った頼純達は、怒りと不安を抱えながら、ふたたび馬を飛ばした。
だが、街に近づくにつれ、一同はその大火に違和感を感じ始める。
昨日、敵の攻撃によって城外の町が焼き払われた事はフィリッポの報告から知っていた。たくさんの住民が殺された事も承知している。
しかし、現在の火事からは、無辜(むこ)なる人々が発する阿鼻叫喚(あびきょうかん)を感じる事はできないのだ。
先発隊は、焼け落ちて真っ黒な廃墟(はいきょ)となった下町をしばらく進む。すると、城壁の上に腰掛けている『カラス団(コルブー)』達に気づいた。
頼純が頭上に向かって大きな声を掛ける。
「お―――い‥ お前ら、大丈夫なのかァ? 」
その声に振り返ったドニが歓喜の声を上げた。
「あ、ヨリ殿! エルリュイン殿も‥ よかったァ、助かりましたよォ‥ 」
そして、塀の上の仲間達に声を掛けたのである。
「みんな―――ァ! 救援が来たぞォ! ヨリ殿達が助けに来てくれたァ―――! 」
「あ! ホントだ 」
「やっと、降りられるよォ‥ 」
「もう、大丈夫だ! 」
「よかったァ‥! 」
『カラス団(コルブー)』達は口々に安堵(あんど)の声を上げた。戦闘の素人である彼らにとって、この状況は緊張の連続であり、怖くてしかたなかったのだ。
だが、事情を知らない頼純達は、何が起きているのかさっぱり判らない。
「おい! どうなってる? 敵はどうした? 中の様子はどうなんだ? 」
その問いにドニは笑顔で答えた。
「いま、敵を城下に閉じ込めて、火事で焼き殺しているところです 」
「はあ!? 」
フィリッポの報告では、ファレーズを襲った騎士達はおそらく傭兵団であろうとの事だった。そんなプロの殺人集団を、戦闘の素人達が焼き殺す―――?
先発隊の全員が、ドニの説明の意味を理解できなかった。
「それで‥ 俺達の役目は、焼死しないでここまで逃げ伸びた敵を殺す事です」
「ちょ‥ ちょっと待てよ。 お前達が、敵を焼き殺す? 」
「はい。 それでも死ななかった奴は俺達がここで――― 」
「いやいやいやいや‥ この火事は、自分達が逃げるためとか、敵を追い払うためとかじゃなくて―――攻撃するためか? 敵を全滅させるために、街に火をつけたってーのか? 」
「はい‥ そうです! 」
「自分達で火事を起こした―――? 」
「そうですけど―――なにか? 」
いつまでも顔を曇(くも)らせ自分の言ってる事を疑うような頼純達を、ドニは不思議がっていた。
一番最初に事態を飲み込んだのは、頼純の傍(かたわ)らについたエルリュインだった。彼は驚きの声を上げたのだ。
「ハハハ‥ なんて大胆な作戦なんだ。 これは、ピエトロ殿のお考えか? しかし、そんな作戦が成功するのだろうか? 」
「いえ‥ それは、エルレヴァ様が―――」
説明しようとしたドニの言葉を遮(さえぎ)って、頼純が尋(たず)ねた。
「それで、『領主の館(メヌア)』はどうなっている?―――エルレヴァ殿は無事なのか? 」
それは、頼純達先発隊にとって、もっとも気がかりな質問だった。
ドニはそれに頷(うなず)いた。
「おそらく、大丈夫でしょう。 ここからは、お館(やかた)が燃えているようには見えませんし、ずいぶん前から城壁では旗が振られています。 あれは無事を知らせる合図だと思うんですけど‥‥ 」
「じゃ‥ じゃあ、サミーラはどこだ? 彼女は無事か? どこにいるんだ? 」
頼純はやっと自分が一番気にしている事を口にする事ができた。東洋の男らしい、じれったさである。
「わたちはこちらに。 大丈夫でしゅ! 」
城門の上に腰掛けたサミーラが大きな声を上げた。
城門はドニや頼純達からは少し離れた位置にあったため、彼女を見つける事が遅れてしまったのである。
大いに安心した頼純は、全身から力が抜け、あやうく馬から落ちそうになった。
一方、サミーラはチラリと頼純を振り返っただけで、すぐに視線を城下に戻した。ずいぶんとつれない素振りである。
一抹(いちまつ)の寂(さび)しさを感じる頼純の隣で、エルリュインが『カラス団(コルブー)』達に威勢(いせい)のよい声を掛けた。
「ヨォ―――シッ‥ だったら、交代だ。 俺達が残党を始末してやるから、お前達は降りてこい! 」
「は―――い! 」
30人の本物の戦士が登場した事で安心した『カラス団(コルブー)』達は、その指示に従い、いそいそと城外へロープを下ろしはじめた。
その時、サミーラが彼らを叱責(しっせき)した。
「まだダメ! 油断ちないで! 敵が来ましゅ 」
その時突如、西側から十数本の弓矢が『カラス団(コルブー)』めがけて襲い掛かった。
矢は、ロープを掴(つか)んで塀の上に立ち上がったマルクとブノアを射貫いた。
「ワッ! 」
「ギャッ! 」
2人はそのまま、30ピエ(約9メートル)ある塀の下へと落下する。
幸いにも、彼らの腰には安全ロープが結ばれていたので、地面への激突は避(さ)けられた。
他の6人は「ヒィッ 」と声を上げると、慌(あわ)てて地面へ降りてくる。
ブノアは左耳を矢が貫通し、おびただしい血を流していた。
「いててててて‥ 」
マルクは左上腕に矢が刺さっていた。
「クソォ―――! 」
だが、二人とも命に別状はないようだった。
馬から降りた頼純は、城門の前へと駆け寄った。
「サミーラ! サミーラはどこにいった? 」
サミーラの姿がない。地上にも城門の上にも彼女はいないのだ。
頼純は必死に当たりを探した。
「ま‥ まさか―――? 」
彼は、城門の扉と扉のわずかな隙間から中を覗(のぞ)き込んだ。
「やっぱり! 」
門の向こう側、数ウナ(約5~6メートル)先にサミーラらしき姿があった。俯(うつぶ)せに倒れている。
矢を受けて城内に落下したサミーラは、衝撃で安全ロープが解けたのだろう。
まったく動かないので、彼女が死んでいるのか、生きているのかさえ判らない。
「すぐに、ここを開けろ! 門を開けるんだ! 」
振り返った頼純が、『カラス団(コルブー)』達に怒鳴った。
だが、ドニは脅(おび)えた顔でそれに答えた。
「む‥ 無理です! 城門には大きな閂(かんぬき)が掛けられていて‥ そこに、さらに長い釘まで打ち込んでガッチリ固定してあります。 こちら側からでは絶対に開きません 」
「な‥ なにィ? 」
事の重大さに脅(おび)えているのか、それとも頼純の形相(ぎょうそう)に恐れをなしたのか、ドニの顔面からは血の気が引いていた。
「門を開けるためには、城内側からのこぎりで閂(かんぬき)を切断するしかないんです 」
塀の上の『カラス団(コルブー)』達に矢を放ったのは、ヴィルヘルムら騎士団の本隊であった。家屋に隠れながら前進していた彼らは、塀の上に立ち上がる人影を見つけ、弓による一斉攻撃を仕掛けたのである。
しかし、その彼らももう14人しかいなかった。
迷路のような道と火災による建物倒壊によって、そのほとんどがちりぢりとなり、ヴィルヘルム率(ひき)いる本隊はたった14人にまで減ってしまったのだ。
火に追い掛けられ、逃げ回った彼らは疲労困憊(こんぱい)していた。
小回りが利(き)かない馬からおり、兜(カスク)や槍(ラーンス)も捨てての敗走である。
本当は弓(アルク)や矢筒(キャアフコア)も捨てたかったし、なにより重たくて動きにくい鎖帷子(オベール)を脱ぎ捨てたかった。
だが、弓(アルク)と長剣(エペ)を捨てては戦えないし、鎖帷子(オベール)は脱ぐのに時間が掛かる。すべて我慢するしかないのだ。
彼らは、矢をつがえた弓を構えたまま、周囲を警戒しつつ慎重に前進した。門まではあと少しである。次の角を曲がれば見えるハズだった。
ヴィルヘルムは声を落として仲間達に語り掛けた。
「さきほどの矢は、塀の上にいた敵の数人に当たったはずだ。 だが、門の外にも敵はいるだろう。 それがどのくらいの数なのか、まったく見当がつかない 」
「‥‥‥‥ 」
「外に出た途端、すぐに戦闘となる可能性は高いぞ。 しかも、接近戦となる。 すぐに剣が抜けるよう、心の準備をしておけ‥! 」
「はい! 」
低い声で返事をしながら、15人はゆっくりと角を曲がった。
その瞬間、
「あ! 」
と誰かが大きな声を上げた。他の者達も同じように驚いていた。
20ウナ(約24メートル)ほど前方にある城門に、巨大な閂(かんぬき)が掛けられていたからである。
さらに門の前には、何本もの矢が刺さった死体が十数体、折り重なるようになって倒れていた。みな仲間の骸(むくろ)である。城壁の上にいた敵に射殺(いころ)されたに違いない。
ヴィルヘルムは塀の上に敵がいない事を確認して、
「ヨシ、あの閂(かんぬき)をはずそう。 これだけの人数ならば、持ち上がるはずだ。 力を合わせて、城門を開くんだ! 」
「はい! 」
「ただしその最中(さいちゅう)、我々は無防備になってしまう。 そこを上から射(い)かけられれば全滅してしまうだろう。 あの仲間達もおそらくそれで殺されたんだ。 十分注意するように! 」
ヴィルヘルムと10人の騎士は一斉に門へと駆け寄った。
残りの4人は弓を構えて、塀の上を警戒している。
「せェ―――の‥ フガガガガ! 」
11人の騎士達は力の限り踏ん張ってみた。だが、それはピクリともしない。
「もっと力をいれろ! 1(アインス)、2(ツヴァイ)、3(ドライ)――― 」
「ハッ! 」
「ぬぬぬぬぬぬ‥ ググググク‥ 」
やはり、閂(かんぬき)はウンともスンとも動かなかった。
「もう一度、持ち上げるんだ! いくぞ! 」
「あ‥ ここ! 釘が打ってある! 」
声を上げる者がいた。他の者達も、閂(かんぬき)のアチコチに大きな釘が打ち込まれている事に気づいた。
「なんてこったい! これじゃ、持ち上がらないはずだ 」
「か‥ 完全に閉じ込められた‥ 」
全員、門にもたれ掛かると、ため息ともつかぬ荒い息を繰り返す。疲れは頂点に達していた。
「クソッ! 俺達が『領主の館(メヌア)』前で聞いた不気味な金属音は、この釘を打ち込む音だったのか‥‥! 」
彼らの心は、しだいに『絶望』に浸食(しんしょく)されていった。
ヴィルヘルムが忌々(いまいま)しげに呟(つぶや)く。
「仕方ない。 他の方法で脱出するんだ 」
騎士達は足取りも重く、移動しはじめた。ここに留(とど)まっていても、敵の思うつぼ―――攻撃の的になってしまうからである。火も迫り、あたりはしだいに白煙に包まれていった。
その時、
「ウウウ‥ ウウ‥‥‥ 」
と、呻(うめ)き声が聞こえた。
さきほど射(い)かけた弓で、門の上から落ちた敵のようだった。驚く事にそれは女のようである。
30ピエ(約9メートル)の外壁から落下したが、下に積み上がった死体が衝撃を吸収してくれたのだろう。
だが、その脇腹は真っ赤に染まっている。女の矢傷はかなり深いのだ。
彼女が登り降りに使ったと思われるロープは、根元から切れていた。騎士達がすがるほどの長さは残っていない。
「ウウ‥ ククク‥ 」
意識を取り戻した女は起き上がろうとしていた。
ヴィルヘルムはその女と目が合ってしまった。
彼女の黒く輝く瞳に怯(おび)えはなかった。女であり、さらに死にかけているというのに、彼女の目は闘志にあふれているのだ。
これでは勝てない―――ヴィルヘルムはそう思った。
女ですらこれほどの戦意があるのに、自分達はその相手をなめて戦いに挑(いど)んだのだ。
彼はそんな女に感心しながらも、彼女が小憎(こにく)らしかった。彼女のせいで自分達が負けたような気がしたからだった。
ヴィルヘルムは隣の部下から弓を奪うと、死にかけた女めがけて弦(つる)を引き絞った。
「冥土(めいど)の道連れだ。 お前も死ね‥! 」
サミーラは敵が自分に弓を向けている事に気づいていた。しかし、体がそれ以上動かなかった。
頼純は門に向かって小烏丸(こがらすまる)を振りかぶった。
―――一瞬の静寂。
周囲の者達は彼が何をしようとしているのか判らなかった。いくら、斬れ味のよい頼純の太刀(たち)であっても、この城門を斬る事などできないからである。
「えいッ‼ 」
裂帛(れっぱく)の気合いとともに、頼純は小烏丸(こがらすまる)を振り下ろした。
さらに、深く腰を落とすと、太刀(たち)はそのまま下までおりていく。
次の瞬間、門がギギッと少しだけ開いた。
信じられない事に、太刀(たち)は扉と扉のほんのわずかな隙間をすり抜け、扉の向こうにある巨大な閂(かんぬき)だけを切り裂いたのだった。
だが、それ以上開く事はなかった。閂(かんぬき)は間違いなく切断されているにもかかわらずである。
その原因は、門の向こうで折り重なっている敵の死体だった。死体が邪魔をして扉が動かないのだ。
頼純は小烏丸(こがらすまる)を握り締めたまま、扉に体を押しつけ踏ん張った。
「ぬぬぬぬぬぬ‥ 」
もう少し―――4プース(=約11センチ)ほど開いたが、そこまでだった。
頼純は鬼のような形相で背後を振り返ると怒鳴った。
「おい、手伝え! 」
あの閂(かんぬき)を切断するという神業(かみわざ)をやってのけた頼純に、『カラス団(コルブー)』やエルリュイン達は呆然(ぼうぜん)とし、手伝う事さえ忘れていた。
「す‥ すみません‥! 」
我に返った彼らは慌てて城門に駆けつけ、頼純と一緒にそれを押した。
全員が渾身(こんしん)の力で押したお陰か、城門をさらに5プース(=約13センチ)ほど開く事ができた。
頼純はそこへ体をねじ込み、城内に入ろうと試(こころ)みる。
「クッソォォォォォォオ! 」
太刀(たち)を握った左腕は入った。なんとか頭も通す事ができた。しかし、分厚い胸が邪魔をしてそれ以上進めない。
城内はもうもうとした白煙が立ち込め、よく見えなかった。
「みんな、俺の体を押してくれ! 」
ドニやエルリュインら4人の男が頼純の体に力を掛ける。
「せ―――の! 」
その時、ようやく城内の様子が判ってきた。
数ウナ(5~6メートル)先にサミーラが倒れている事は知っている。
そのずっと先に、背中を見せて立ち去ろうとする敵の一団がいた。さらに、最後尾の男がサミーラに弓を向けている事にも気づく。
「やめろォォォォお‼ 」
頼純は絶叫を上げながら、あらん限りの力を振り絞って、城内に体を押し込んだ。
その声に、敵も門が開いた事を知ったようだ。頼純が城内に入ろうとしている事に気づいたのだ。
「城門があいたぞ! あの男を殺して、外に出るんだ! 」
弓を構えていた男は仲間に大声を掛けながら、矢の先端を頼純へと向けた。
「死ね―――ェ‼ 」