1026年 ファレーズ・郊外(1)


 伸び放題(ほうだい)の髪と髭(ひげ)に、粗末(そまつ)な衣服、抜き身の剣や斧(おの)を手にした彼らは近隣の盗賊である。
 彼らには、盾を持っている者はいても、鎧(よろい)を着ている者はほとんどいなかった。
 防具はたいへん高価であり、戦場で拾ったり、盗んだりしたとしても、たいていの場合は売り払われ、彼らの酒食(しゅしょく)に消えてしまうからである。
 それゆえ、穴だらけのオンボロながらも、鎖帷子(オベール)を着用できるのは小頭(こがしら)クラス。たいていの者は鎧下(ガンベゾン)さえ着る事ができなかった。
 中には、冷たい秋風の下、上半身裸に兜(カスク)だけという強者(つわもの)さえいる。
 盗賊達は息をこらして、その瞬間が訪れるのを待っていた。


 その遙か後方、なだらかに隆起(りゅうき)した丘の頂(いただき)から、水車小屋を見下ろしている男がいる。
 痩(や)せた体に、縮(ちぢ)れた長い黒髪、左眼に眼帯までしたこの男は、盗賊団の頭目(とうもく)で、『山犬のジャン』と呼ばれていた。四十(しじゅう)をとうにすぎたであろうこの男は、褐色(かっしょく)の素肌の上にスケールメイル(革の裏地にうろこ状の金属製薄板をつなぎ合わせた鎧)をじかに着込んでいる。その肩から出た細い腕には鞭(むち)のようにしなやかな筋肉が張り付いていた。彼は数人の手下と共に、隠れる事もなく堂々と丘の上に立っている。
 麦畑の手下達が配置を終えた事を確認したジャンは、親指と人差し指で作った輪っかを、歯クソだらけの口にゆっくりとくわえる。
 そして、短くヒュッと鳴らした。


 ジャンの指笛を合図に、弓を持つ盗賊達がその弦(つる)を引き絞る。土手に潜んだ男達の中にも、弩(アルペレット――ボウガン)を構える者がいる。
 彼らの矢が狙うのは、まだナニも気づいていないロベールの衛兵達だった。

 積み藁(つみわら)にもたれ掛かって立つ兵士は、鎧下(ガンベゾン)の上に丈(たけ)の短い鎖帷子(くさりかたびら)を着込んでいる。辺りにゆっくりと視線を巡(めぐ)らせる彼は、その装備からみて、この衛兵隊の隊長のようである。
 とその時、彼の口が背後から伸びてきた手によって塞(ふさ)がれる。
 声を封じられ、目を大きく見開いた隊長の喉(のど)が、ナイフで一気に切り裂かれた。
「カッカッカッカッ‥! 」
 隊長は、パックリと開いた喉(のど)からおびただしい血を吐き出しながら、ゆっくりと地面に崩れ落ちていく。

 15ウナ(1ウナ=約1.2メートル。15ウナは約18メートル)ほど離れた所で、片膝(かたひざ)をついてしゃがんでいた兵士が、隊長の異変に気づき、大声を上げようとする。
 その刹那(せつな)、彼の首を長い矢が真横から貫(つらぬ)く。
「アグアグ‥ アググ‥‥ 」
 声どころか、呼吸さえ出来ない兵士は、喉に刺さった矢を掴(つか)んで悶絶(もんぜつ)する。

 水車小屋から一番近い場所に立っていた兵士は、突如その胸に三本の矢を突き立てられた。空を見上げながら、夕食の事などを考えていた彼は、そのまま絶命した。

 それまで、風の音と川のせせらぎ、水車の回る音しか聞こえなかった麦畑に、大きな鬨(とき)の声が上がる。
「いけェ──え‼ 」
 水車小屋周辺に点在する、いくつもの積み藁の陰から、二十人ほどの盗賊達が一斉に飛び出してくる。彼らは25ウナ(1ウナ=1.2メートル。約30メートル)ほどの距離を一気に駆け寄り、衛兵達に襲いかかる。

 彼らの声に驚いて振り返った若い兵士の眼前に、鋭い剣が振り下ろされた。
「グアアアアアア‥ 」
 左肩から斜めに斬られ、その刃(やいば)が右肺にまで達した若い兵士は、絶叫を上げながら、高々と血飛沫(しぶき)を上げる。
 一方、あぜ道に立っていた大柄(おおがら)の兵士は、素早く剣を構え、賊と闘おうとしたが間に合わなかった。背後から走り込んできた盗賊二人の剣に背中を差し抜かれたからだった。
「ヴヴヴヴ‥ 」
 彼は口から泡混じりの血を溢(あふ)れさせながらも、体をねじると盗賊達の腕を掴(つか)み、引き離そうともがいてみる。しかしかえって、腹と胸から突き出た二本の切っ先がさらに飛び出してくる。
ギャ───アア‼ 
 兵士の断末魔(だんまつま)の声が麦畑に響いた。


 人々の怒号(どごう)と悲鳴、剣が激しくぶつかり合う音は、水車小屋の中にまで侵入してきた。
 中のロベールとエルレヴァは、何事が起きたのかと表情を硬くしていた。
「ど‥ どうした? 」
「何人もの叫び声が聞こえます 」
 ロベールは、強張(こわば)った顔のエルレヴァを安心させようとしたが、彼自身も恐怖に呑(の)み込まれており、なかなか声が出ない。
 さらには、すでに身支度(みじたく)が終わっているエルレヴァと違い、まだブレー(ズボン)とチェニックしか着れていないロベールは、よけいに慌(あわ)てていた。

 嫌な予感を感じたエルレヴァは、ロベールの手首を掴(つか)むと立ち上がる。
「伯爵様、外へ出ましょう! 逃げるんです! 」
「ちょ‥ ちょっと待って。 まだ、靴を履(は)いてないから‥ 」
 しかし、エルレヴァに無理やり引っ張られたロベールは、裸足(はだし)のまま表へと飛び出していった。

 小屋の外は、いたる所が血まみれだった。
 数人の盗賊を斬り倒したものの、ロベールの衛兵達は五人がすでに息絶え、残る三人も体のあちこちに刀傷を負い、長剣を構えるのもやっとの状態。すでに戦闘能力はほとんど残っていなかった。
 水車小屋の茅葺(かやぶ)き屋根には数本の火矢が射込まれ、モクモクと灰色の煙を上げ始めている。

 盗賊とはいっても、しょせん彼らは食い詰めた農奴(のうど)や木こり、博打打ちなど、無頼(ぶらい)の寄せ集めにすぎない。剣術を習った事もなければ、戦闘訓練を受けた事もないのだ。
 一方、衛兵達は、いつの日か騎士となる事を夢見て、日夜訓練に明け暮れている者達である。
 本来ならば、力任せに剣を振り回すだけの盗賊ごとき、たとえ二十人いようとも、この八人で十分殲滅(せんめつ)できたハズである。

 しかし、油断していたところへ奇襲を受け、総崩れとなってしまった。
 もはや敵を撃退すべく、体勢を立て直す事は不可能であろう。
 かろうじて生き残っている三人は、賊を近寄らせまいと必死に剣を振ってはいるが、盗賊達の囲みはジリジリとせばまっていく。
 ―――これまでか‥ 三人は覚悟を決めざるを得なかった。

 水車小屋から飛び出してきたロベールとエルレヴァは、その異様な光景に立ち尽くしていた。
「な‥ 何が起きてる? ジャック! ジャックはおらぬのか! どうなっておるのじゃ? 」
 ロベールは衛兵隊長を大声で呼んだ。

 その声に、地面に突き立てた長剣でなんとか体を支えていた衛兵が、最後の力を振り絞って叫ぶ。
「ぞ‥ 賊にございますゥ‥! 隊長はお亡くなりになりましたァ‥! 殿‥ 殿、お逃げくださいませェェェェェェッ‼ 」
 次の瞬間、その兵士の右腕が賊の振り下ろした剣で切断され、大量の血とともに彼は地面にひっくり返る。

 改めて周囲に目をやったロベールは、辺りに蠢(うごめ)く悪鬼(あっき)達がゆっくりと近づいてくる事に気づいた。
「ゲヒヒヒヒ‥ 」
「ブヒョヒョヒョ‥ 」
「ビャヒャビャヒャ‥ 」
 下卑(げび)た笑(え)みを浮かべた盗賊達は、すでにわずか10ウナ(約12メートル)ほどまでに迫っていた。
「に‥ 逃げるんだ! 」
 今度はロベールが、エルレヴァの左手首を掴むと、城下の方へ向かって麦畑の中を走り出す。
 しかし、二人はその方向に衛兵隊長の顔を発見した。
「ジャ‥ ジャック… 」
 それは、文字通り『顔』であった。衛兵隊長ジャックの切断された頭部を穂先(ほさき)に突き刺した槍(やり)が、畑に立てられていたのだ。
 限度を知らぬ子鬼達は、ジャックの死体をバラバラにし、オモチャにしていた。

 進路を変えようと、左手を向いたロベールの目に飛び込んできたのは、かろうじて生き残っていた三人の兵士が、頭を割られ、胸を刺し抜かれ、首を刎(は)ねられる光景だった。
 水車小屋の屋根は赤々と燃え上がっている。
 そして、切り刻んだ兵士達の手足を振り回し、楽しそうに小躍(こおど)りしている痩(や)せこけた盗賊達―――
 先ほどまでの痴話喧嘩(ちわげんか)が別世界の事のように感じられる地獄絵図が、そこに広がっていた。
 ロベールとエルレヴァは恐怖に支配され、完全に思考が止まってしまった。

 その時、丘の上の頭目・ジャンが大声で命令を下す。
「その男を殺すんだァァァァ! 必ず、殺せい‼ 」

 ジャンの声に、弾(はじ)かれるように我に返ったロベールは、掴(つか)んでいたエルレヴァの左手を引っ張る。
「に‥ 逃げなきゃ! 」
 再び、走り出したロベールは
「コイツらは盗みが目的じゃない! ボクの命を狙ってるんだ! 」
と絶叫を上げた。
 そんな二人をいたぶるように、盗賊達はのんびりとした歩調(ほちょう)で追い掛けてくる。
「待って‥ 待ってよん! 」
「獲物(えもの)だ、獲物だい! ヒャヒャヒャ 」
「殺しちゃうよん♡ 時間を掛けて、殺しちゃう♡ 」
 ロベールとエルレヴァは、息を荒くして麦畑の中を必死に走る。
「は‥ 走って! もっと‥ もっと早く! 」
「け‥ けど‥ あ‥ 赤ちゃんが――― 」
 エルレヴァはお腹を守るように右手を当てて走るため、どうしても速度が上がらない。


 盗賊達は、手を伸ばせば二人の背中に届くまでに迫っていた。
 絶望的な状況に泣きそうになりながらも、ロベールはけっしてエルレヴァの手を放そうとはしなかった。
 しかしついに、盗賊の一人がロベールの襟首(えりくび)を掴み、地面へと引き倒した。
「ひゃッ! 」と声を上げ、後ろ手に尻餅(しりもち)をつくロベール。
 彼は慌てて頭上に目をやる。そこには黄色い乱杭歯(らんぐいば)を剥(む)き出しにした醜(みにく)い笑顔がいくつも覗(のぞ)き込んでいた。
「ゲヒゲヒゲヒ‥ 伯爵様は、色白でいい男だなァ‥ 」
「すぐに殺しちゃうの、もったいないよん♡ 」
「じゃあ、生きたままバラバラにしちゃう? 」
「いいね、いいね 」
 おぞましい言葉を吐き続ける盗賊達の視線が、ロベールの横にうずくまったエルレヴァへと移る。
「ヒヒヒヒ‥ ところで、この女はどうする? 」
「まあ‥ 顔を見られちまってるからなァ―――みんなでさんざん犯したあとは‥ ブッ殺すしかネーだろう 」
 大きなナイフを取り出した盗賊が嬉しそうにつぶやく。
「じゃあ、俺‥ この大きなオッパイもらっちゃおうっと♡ 」
「俺にも、一個ちょうだい♡ 」
 大量の血と燃え盛る炎、自(みずか)らの残虐(ざんぎゃく)な行為によって、盗賊達は完全にブッ飛んでしまっていた。

 異様なまでの興奮状態にある彼らを、かろうじて冷静さを保っている小頭が止めに入った。
「ダメだ、ダメダメ! 女には指一本触れるんじゃねェ! それが今回の条件なんだ 」
 盗賊達は、あからさまに不満げな顔となる。
「え~~~え‥ ンなのありスかァ? 」
「つまんネーの! スッゲェ、楽しみにしてたのに 」
「口でしてもらうのも、ダメなんスかね? 」
 再びロベールの方を振り返った盗賊達は、楽しみを奪われたせいで、さらに残忍な目になっている。
「チェッ! じゃあ、とっとと伯爵様をブッ殺しますか? 」
「目ン玉くり抜いて、鼻と耳をそぎ落として‥ ついでに、チンチンも切り取っちゃう? 」
 その時、一人の盗賊が溜息(ためいき)まじりに呟(つぶや)いた。
「あ~~~あ‥ それでも、女をやれねェってーのは、テンション下がるわァ‥ 」
 その一言で、盗賊達の狂気は急速に冷めていった。
 そして血の気が引くと、殺した兵士達の持ち物をまだ盗んでいない事を思い出す。コインや長剣、鎖帷子(くさりかたびら)などは頭目の物だが、血まみれ、穴だらけのチュニックやブレー(ズボン)、ベルトに靴・小物入れ。まだまだお宝は残っている。
 彼らはゆっくりと後ずさり、無言で死体の方へ向かい始めた。
 八つの死体に二十人近くが群がるのだ。誰かが走り出せば、一斉に争奪戦(そうだつせん)となる。下手をすれば、殺し合いにもなりかねない。
 ロベールとエルレヴァを取り囲んでいた人の輪は大きく膨(ふく)れ、崩れかけていた。
 そんな子分どもに呆(あき)れながら、小頭二人が本日一番の仕事をかたづけるべく、ロベールに向かってゆっくりと長剣を振り上げる。
「今日は、運が悪かったな‥ 」
「じゃ‥ あばよ♡ 」
 風前(ふうぜん)の灯火(ともしび)となったロベールは、大きく目を開いたままピクリとも動けない。
「ああ‥ ああああ‥ 」

 その時、一同の後方で大きな声が上がった。
 声の方へと振り返った盗賊達は、川沿いの道を猛烈(もうれつ)な勢いで走り来る男を発見する。
 男は何やら、ワケの分からぬ言葉を叫んでいた。どうも異国の言葉のようである。
 その風体(ふうてい)も、ついぞ見た事のない格好だった。
 小柄な体に、前合わせとなったチュニック風の服を着用し、その裾(すそ)はズボン(ブレー)の中に突っ込んであった。腰は紐(ひも)で縛られており、その紐に剣とおぼしきモノが横向きに取り付けられている。
 そして、黒く長い髪は後頭部で縛られていた。
 それは、彼らにとって初めて見るモノばかりだった。