第102話 1027年 エレーヌの森


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 1027年 エレーヌの森


 サン・マリクレール修道院での証言によって、これまでに起こったロベール伯爵暗殺事件の真犯人が、ファレーズ教会の助祭トマではないか―――という推理が導(みちび)き出された。これは、かなり確度の高い推理であると思われた。
 修道院からの帰路、頼純はトマの名前を何度かつぶやいてみた。すると、どこからともなく染(し)み出してくる『いやな予感』が、心をあっと言う間に一杯にしてしまったのだ。
 それは何の根拠もない、ただの『勘』にすぎなかった。だが、彼はこうした『勘』のお陰で、これまで生き長らえてきたのである。
 そして、その『勘』が、一刻も早くファレーズに戻れと叫んでいた。

 頼純達は足早(あしばや)にリジューの村へと戻ると、フェビアン家から6頭の馬を借り、ファレーズの街へ急行したのだった。
 結果、7日間の予定だったこの旅も、3日で帰る事になってしまったのである。

 ところがその道中(どうちゅう)、頼純はどうしたらよいものかと悩みはじめた。
 いくら、ボニファス修道院長の証言があったとしても、それだけで助祭トマを捕縛(ほばく)するわけにはいかない。
 なぜなら、彼が犯人であるという決定的証拠や証言がまったくなかったからである。
 現状で明らかになっている事は、
 1. 伯爵の暗殺に失敗した『山犬のジャン』と『ファブロー村のアラン』は、2人とも毒で殺されたという事。
 2. 助祭トマと『ファブロー村のアラン』は、サンマリクレール修道院を通じて、面識があったのではないかと思われる事。
 3. トマには毒を作る能力があるか、または毒を作れる仲間がいたと思われる事。
 4. 彼には、サンマリクレール修道院からの利益配当によって、山賊を雇えるほどの莫大な資産があると思われる事。
 ―――である。

 これらの事から、助祭トマが犯人として非常に疑わしいと考える事はできる。
 だが、それはただの推測であり、状況証拠の積み上げにすぎなかった。
 また、助祭トマがなぜロベール伯爵を殺そうとしたのか―――その動機も判っていない。
 もちろん、この時代はほとんどの事件で、確固たる証拠や証言などは必要とされなかった。
 被疑者を激(はげ)しい拷問に掛け、彼がその痛みに耐えきれず罪を認めてしまえば、それで有罪が立証された事となるからだ。

 だが、今回の被疑者は教会関係者である。
 なんの証拠もなく、『神に仕える者』を逮捕し、拷問に掛けるというわけにはいかないのだ。
 そんな事をすれば、教会から猛烈な反発を受けるに違いなかった。
 だからといって、のんびりとその証拠を集めていたのでは、またいつ伯爵が襲われるか判らない。 そして、頼純はなぜだか、その日が近いような気がしてならなかった。
 つまり、トマを逮捕するだけの確固たる証拠を早急に見つけなければならないのだ。 しかし、いったいどのようにすれば、それが可能となるのか―――頼純はその方法を考えあぐねていたのである。

     ×  ×  ×  ×  ×

 馬のお陰で、一行は昼過ぎにはファレーズ郊外まで戻ってくる事ができた。
 ファレーズへと向かう分かれ道に着いた時、頼純は『カラス団(コルブー)』らを止めた。
 馬を下りた彼は、部下達に向かってこう伝えたのだ。
「大きいレイモンド‥ これからお前は、俺とともに徒歩でエレーヌの森に入ってもらう 」
「え!? 」
 『カラス団(コルブー)』達は大いに驚き、急いで馬から下りた。
「ヨリ様、あんなに急いでたのに‥ ファレーズには帰らないのですか? 」
 名指しされたグラン・レイが尋(たず)ねた。
 頼純は頷(うなず)くと、
「ああ‥ ファレーズの町やロベール伯の事は気になるんだが―――仮に助祭トマが犯人だったとしても‥ このままじゃ、奴を捕縛(ほばく)する事はできねェんだ 」
 それから、一同に状況を説明した。
 弓上手のブノアが提案した。
「だったら、トマが尻尾(しっぽ)を出すまで、張り込んでりゃいーじゃネーですか? 俺達、昼だって夜だって、一年365日尾行し続けますよ 」
「いや‥ もし奴が犯人なら、トマはとてつもなく頭がいい。 コッチが2、3日も張り込めば、向こうは確実に気づくだろう。 そうなったら、トマは証拠となるような行動は一切しネーだろうし、下手をすれば逃げられチまうかもしれねェ 」
 その時、一番賢いニコラが発言した。
「いや‥ 逆に、町の井戸という井戸に毒を投げ込む可能性だってありますよ! やけになって、ファレーズの住民を皆殺しにするかも‥‥ 」
「ええ!? 」
 『カラス団(コルブー)』達は毒という言葉に震え上がった。
「だったら‥ どうすれば、トマを逮捕できるんですか? 」
 ドニの問いに、頼純はその目を見詰めて答える。
「今日明日中に、奴が犯人であるという証拠を集めるしかない! 」
「じゃあ、その証拠集めに、エレーヌの森へ―――? 」
 頼純はふたたび頷(うなず)いた。
「そうだ。 たしか、エレーヌの森に巣くう盗賊ダミアンは、山賊『山犬のジャン』とは兄弟分だと言っていた。 だったら、ロベール伯襲撃を依頼した人物について、何か聞いているかもしれねェ。 んで、野郎んトコに寄ってみようかと思ってさ 」
「なるほど! それで、この俺様の出番となったわけだ!? 」
 グランレイが得意げに胸を叩いた。
「じゃあ‥ 残った我々はどうしたらいいんですか? 」
 不安そうな一同を、頼純はゆっくりと見渡した。
「お前達は、このままファレーズに戻り、ゴルティエに状況を報告するんだ。 そして、トマを見張るように伝えてくれ。 奴に絶対にバレないように、距離をとって見張るんだぞ 」
「は‥ はい‥ 判りました! 」

     ×  ×  ×  ×  ×

「ちっくしょう‥! ちっとも襲ってこネーな‥ 」
 昼なお暗い森の奥深くへと踏み入った頼純とレイモンドは、かなりの時間さまよい歩いてみたが、周囲に怪しい気配(けはい)はまったく感じられなかった。
「俺の予想じゃ、もうちょっとサクッと食いついてくると思ったんだが‥‥」
 頼純がそう言うと、あたりをキョロキョロと見回していたグラン・レイが返した。
「ええ‥ けど、最近は盗賊に襲われたってー話もとんと聞きませんからねェ。 ヨリ様が退治しちゃったから、みんなこの森から逃げ出したんじゃネーんですか? 」
「そうかなァ‥ まいったなァ‥ さすがの俺様も、奴らの根城までは判らネーしなァ‥ 」
早く、襲ってこいよ! 」
 グラン・レイが大声を上げた。その声は木霊(こだま)となって森の中を響いていく。
 やがて静寂(せいじゃく)が戻ると、彼らの周囲でキリキリと弓の弦(つる)が引き絞(しぼ)られる音が聞こえてきた。
 それもひとつやふたつではない。10以上の弓の音だ。
 頼純達はいつの間にか、完全に囲まれてしまったようだった。突如、絶体絶命の危機に陥(おちい)ってしまったのだ。
 2人は素早く抜刀(ばっとう)した。
 しかし、その顔には満面の微笑(えみ)が浮かんでいる。
「おお‥ ありがたや、ありがたや。 やっと、登場してくれたぞ! 」
「本当に。 これこそ、噂をすれば影って奴ですね♡ 」
 楽しげに声を掛け合う彼らは、生命の危機にさらされているというのに、まったく動じていなかった。
 2人は、よほど神経が図太いのか、自分の『武(ぶ)』に絶対の自信があるのか―――あるいは、かなりのバカなのであろう。
 森のはるか奥から声がした。
「アンタ、勇者様だな!? 俺達を殺しに来やがったのか! 」
 盗賊の声は木々に反響して、声の主の位置までは判らなかった。
 頼純はとりあえず、声がしたと思われる方向に向かって叫んだ。
安心しろッ! 俺達はオメーらを成敗(せいばい)しに来たわけじゃない! ちょいと、聞きたいことがあるだけだ! 」
 頼純の声が森全体に広がった後、
本当か? 」
 右奥から声が聞こえてきた。
 頼純は右を向くと、大きな声でそれに応えた。
本当だ。 俺達をオメーらの隠れ家まで連れて行ってくれ。 頭目のダミアンに会わせて欲しいんだ 」
「‥‥‥‥ 」
 しばらくすると、予想に反して、左奥の藪(やぶ)がガサガサと音を立てた。奥から人影が現れたのだ―――ダミアンであった。
「お前を、隠れ家なんかに連れて行くわけネーだろうが! 」
「ほう‥ ご本人、みずからの登場かい♡ 」
「へへへ‥ 」
「それにしても、ずいぶんと腕を上げたようじゃネーか? オメーらの気配、この俺でさえもまったく感じなかったぞ 」
 頼純が褒(ほ)めてやると、彼らの周囲全体がガサゴソと音を立てはじめた。
 現れたのは50人ほどの盗賊―――2人は蟻(あり)の這(は)い出る好きもないほどに、完璧に包囲されていた。
「しかも、これだけいて‥ 完全に気配を消してやがったのか。 いや、じつに見事だ! あっぱれ、あっぱれ♡ 」
「感心してる場合じゃありませんよ! 逃げ道はまったくありませんけど‥ どうするんですか? 」
 だが、頼純はライオンがネズミの群れでも眺めるかのように、ゆっくりと盗賊達を見渡している。
「逃げ道って―――オメーは、逃げるつもりかい? せっかく、獲物が姿を現(あらわ)したってーのによ! 」

 盗賊達は全員、60ピエ(=約20メートル)以上の距離を保って身構えている。 頼純からの攻撃を用心しているのだ。
 さらに離れた木の陰には、弓を引く男達の姿も見える。12人いる彼らも、頼純を中心に円を描くように配置されていた。
 その弓はいつでも発射可能な状態になっている。
 頼純は盗賊達の、さらに奥にいるダミアンに声を掛けた。
「ほう‥ オメーはこの俺様とやろうてーのか? 」
「ゲヒャヒャヒャ‥ さあ、どうだろうねェ♡ 」
 下卑(げび)た笑い声を上げるダミアンに、頼純は余裕たっぷりに返した。
「弓を持ってる奴が12人もいるんで、オメーも安心しきってるんだろうけどよ‥ ホントにそれでいいのか? 」
「はい? 」
「だって、俺は矢が発射されたと同時に、オメーの方へと走るんだゼ。 弓の弦(つる)がビィ~~~ンと音を立てた瞬間にだ! そして、俺の位置が変わる事で、俺を狙っていた矢のほとんどは外れチまうだろうな 」
あ! 」
「オメーら盗賊は、正式に弓なんか習った事ネーだろうから、移動する標的を射抜けるほどの腕前はネーはずだ。 つまり、俺を襲う矢はせいぜい、正面からの1本か2本だけ。 走りながら、その矢を太刀で払って、さらにオメーの仲間を3人ほど斬り殺す。 そうすりゃあ、俺はオメーの真ん前に立ってるだろうぜ‥ 」
「‥‥‥ 」
 盗賊達に緊張が走る。
「オメーが驚きの声を上げた時には、俺はすでにオメーをブッタ斬ってるってー寸法よ。 この名刀『小烏丸(こがらすまる)』はメチャクチャ斬れっからよ‥ オメーなんか、真っ二つだよ、真っ二つ! けど、斬り殺された事も判ってねェオメーは、右半分と左半分に分かれて逃げていくだろうぜ♡ 」
 返す言葉がないダミアンは、悔(くや)しそうに下唇を噛(か)んで震(ふる)えている。
 頼純は太刀(たち)の切っ先を盗賊達に向けると、ゆっくりと動かしていった。
「その後は、オメーらを皆殺しにしてやる! 一人として生かしちゃおかネーぞ‼ 」
「あああ‥ ああ‥‥ 」
 刃(やいば)に睨(にら)まれた盗賊達が、脅(おび)えはじめる。
「この俺は勇者様だぞ! 信じられネーような事だって、何でもできんだよ。 オメーらはこないだ、それで痛い目にあったんじゃネーのか? 」
 頼純のハッタリを真に受けた盗賊達は、完全に戦意を失ってしまった。
「はぁ~~~ん‥ スゲぇもんだな。 これだけの盗賊相手に、口先だけで勝っちまったよ! 」
 グラン・レイモンドは感心するやら、あきれかえるやらである。

 脅(おび)える子分達の姿を見て、ダミアンは苛立(いらだ)った声を上げた。
「んなコタァ、判ってるよ! てゆうか‥ 俺達ゃもう、アンタとかかわり合いになるのはゴメンなんだ。 こりごりしてんだよ! なのに、アンタときたら、ずっと森ん中をうろちょろしてるし‥ 帰る様子はありゃしねェ。 んなの、気味悪いじゃネーか。 だから、仲間を呼び寄せて、守りを固めていただけさ 」
 頼純はニッコリ微笑(ほほえ)んで、ダミアンを手招(てまね)きした。
「そうかい。 なら、すぐに帰ってやるから、ちょっとコッチに来い 」
「な‥ なんだよ? へ‥ へんな事しやしネーだろうな。 」
「いいから、来いって! 俺の簡単な質問に答えるだけだから 」
 ダミアンは恐る恐る近づいてきた。
「お‥ 俺は口が硬(かて)ェからな。 仲間を裏切るような事は言わネーぞ!」
「よう‥ 兄弟‥ 」
 ダミアンが頼純の前に立つと、頼純は親しげにその肩に右腕を回した。 そして、その耳元に囁(ささや)きかけたのだ。
「オメーの兄弟分だった『山犬のジャン』な―――アイツが最後に受けた仕事の依頼人が誰か‥ オメー、知ってネーか? 」
「し‥ 知らネーよ! 」
 頼純はダミアンの首を絞めるように、右腕に力を込める。
「ファレーズ伯ロベール様を襲撃した事件だぞ。 正直に話しやがれ! 」
「い‥ 痛(いて)ェ‥ 痛(いて)ててててて‥‥  」
言え! 」
 ダミアンは手下の前であるにもかかわらず、もはや半泣きになっている。
「ホントに、知らないんだって! おそらく、ジャン兄貴も知らなかったと思うよ。 ただ‥ チョロい仕事で、大金を払うバカがいるって言ってた‥ 」
「ホレッ‥ やっぱり、聞いてんじゃネーか 」
 ダミアンは情けなく声を震わせていた。 だが、そんな親分を馬鹿にする者はその場に1人もいなかった。全員がもっと脅(おび)えていたからである。
 ダミアンの耳に、静かだがドスの利(き)いた声が響く。
「それは、教会の関係者じゃなかったのか? あん!? 」
「だから、知らねーって! ただ――― 」
「ただ? 」
 ダミアンは何かを思い出したようだった。
「ああ‥ そいつは、薄気味悪いご面相(めんそう)で‥‥ そう、ネズミみてーな顔をしてたって言ってたな 」
 傍(かたわ)らのグランレイが頼純に語り掛ける。
「やはり、トマ助祭では? 」
「うむ‥ 」
 ダミアンは必死に記憶をたぐり寄せた。一刻も早く、この状況から解放されたかったからである。
「それから‥ あのォ、なんて言ったっけ? ほら‥ 教会とかにある―――あのォ‥ ほ‥ 『本』! そうだ、『本』ってーヤツだ! その男は、いつも分厚い本を抱えてたってよ。 ジャン兄貴は教会にも行った事ネーから、『初めて本の実物を見た』って言ってやがった 」
「―――! 」
 頼純は歓喜に一瞬声が出なかった。やっと証拠らしきものが出てきたのだ。その本さえ見つかれば、犯人が誰か判る。
 しかし、それはどのような本なのか?
 ダミアンは、その答えまでもちゃんと教えてくれた。
「野郎が目を離した隙に、兄貴は中を覗(のぞ)いてみたんだと‥ そしたら、そこには、ビッシリと『何か』が書いてあったんだってさ。 字が読めネーから、よく判んなかったらしいけど‥ 全体が真っ黒に見えるほど、塗り潰されてたんだって! 」
「ページが真っ黒に見えるくらい、何かが書いてあった―――!? 」
「もうこれ以上は、何も知らネーぞ。 ホントだって! 」
「そうかい。 ありがとよ♡ 」
 そう言うと。頼純はふたたび右腕にグッと力を込めた。
 それは、ダミアンに対する感謝の首締めであった。