第56話 1026年 ファレーズ・フルベール邸(2)


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 1026年 ファレーズ・フルベール邸(2)

「みなちゃん、よく見ててくだちゃいね‥ 」
 『カラス団(コルブー)』たちに『投げナイフ』を教えるのはサミーラだった。
「このように、小柄(こづか)(細長い手裏剣)や小型のナイフは、刃の尖端(せんたん)部分を親指と人差し指で軽く摘(つま)みまちゅ 」
 サミーラのちょっとなまったフランス語の説明を、12人の不良達は真剣な眼差(まなざ)しで聞き入っていた。
「投げる時は、必ず目標を見詰めたまま、その方向に腕を真っ直(ちゅ)ぐに振り下ろちてくだちゃい。 腕は後ろに大きく引かじゅ、肘(ひじ)と手首のしなりだけで投げるように。 そうちゅれば、連続の投擲(とうてき)もできるようになりまちゅよ 」
 次の瞬間、サミーラが目にも止まらぬ速さで三度(みたび)腕を振ると、8ウナ(約9.6メートル)ほど前方に立てられたかかしの胸に、3本の小柄(こづか)が次々と突き刺さった。
 ゴルティエ達は「お~~~お! 」と感嘆(かんたん)の声を上げる
 その様子を頼純は腕組みをして眺(なが)めていた。
 投げナイフは、頼純よりもサミーラの方がずっと上手いのだ。

     ×  ×  ×  ×  ×

 ロレンツォの隊商(キャラバンヌ)警備隊の中には、様々な特技を持った者がいた。

 彼がインドの旅から再びヴェネチアに戻ってきたのは、出発して3年半も経(た)ってからの事であった。
 以前警備隊長をやっていたヴィッターレはとうに辞め、没落(ぼつらく)しかけた元豪商の邸宅は、警備をする者が二、三人残る程度になっていた。
 そんなロレンツォの警備隊長に頼純が正式に就任した時、隊商(キャラバンヌ)の警備兵をすべて雇い直したのだ。
 その選考は、剣の腕よりも、それ以外にどのような特殊技能を持っているかで決まった。頼純は攻撃力よりも守備力を重視したからである。攻撃は自分ひとりでも十分であるとさえ考えていた。それゆえに、むしろ自分とは違った考え方や目配りができる兵士を必要としていたのだ。

 投げナイフや手裏剣(しゅりけん)は、サミーラが一番の名手である。
 これは、インドからヴェネチアに向かう途中の船上で頼純が教えたものだったが、その彼が驚くほどに彼女はメキメキと才能を開花させていった。
 ヴェネチアで一年ほど生活し、その後再結成されたロレンツォの隊商(キャラバンヌ)がアルプスを越えフランスに入る頃には、サミーラの投げナイフの腕前は頼純をはるかにしのぐようになっていた。

 やさ男のジョヴァンニも、長剣(スパーダ)での戦闘よりもナイフを使っての格闘や暗殺術に長(た)けていた。ナイフ使いとして、彼とサミーラの違いは、彼がより接近戦を好んだという事であろう。

 小柄なジャコモは、かつて北部イタリアでは有名な泥棒だった。だが、大富豪に返り咲いたロレンツォ邸に忍び込んだところを、頼純とピエトロに捕らえられた。そして頼純の説得で改心し、ロレンツォの傭兵(ようへい)となったのだ。当然、建物への侵入や錠前の開け方、尾行や張り込みなどでは、彼の右に出る者はいなかった。

 一番の年嵩(としかさ)であるピエトロは、元はヴェネチア市の警備隊長で、治安活動や犯人の捕縛(ほばく)、処刑についての知識・経験が豊富だった。
 また、弓においても隊随一(ずいいち)―――おそらくはヴェネチアでも一番の腕前であろう。

 フィリポはピエトロの同僚であったが、彼は獄吏(ごくり)の仕事をやっていたため、犯人を自白させる拷問(ごうもん)や、人の心を誘導する技にめっぽう詳(くわ)しかった。

 徒手空拳(としゅくうけん)での体術(たいじゅつ)は、頼純が教える事にした。日本の相撲や中国の拳法などを混ぜ合わせた彼の体術(たいじゅつ)は、警備隊の中でもかなうものがなかった。彼の剣の強さにもその体術(たいじゅつ)は大きな影響を及(およ)ぼしていた。

 まさに、彼らこそが探索方(たんさくがた)にふさわしい面々であったが、頼純同様、彼らも間もなく西方へと旅立つ予定だったのだ。

 長剣(スパーダ)については髭のロメロが名手であったが、まだ『カラス団(コルブー)』に訓練するつもりはなかった。
 長剣は奥が深く、その習得にはかなりの時間が必要とされるからである。
 そして、『カラス団(コルブー)』達が戦う場所は戦場ではなく街中なのだ。
 捜査をするのにわざわざ長剣をぶら下げて、身分を明かすような事をする必要はない。『探索方(たんさくがた)』はあくまでも、民衆の中にこっそりと溶け込まなければならないのだ。
 さらに、街中の戦闘では、短いナイフの方が有利である場合が多かった。
 そこで頼純は、『カラス団(コルブー)』達が『探索方(たんさくがた)』として一人前になったら、長剣(エペ)の訓練も始めようと計画していたのだった。

     ×  ×  ×  ×  ×

 フルベール邸の裏庭にある物干し場で、『カラス団(コルブー)』達は投げナイフの練習をしていた。
 藁(わら)で作った三体のかかしを前に、4ウナ(約4.8メートル)ほど―――サミーラの手本の半分の距離から始める事にした。そして上達するにつれ、徐々にその距離を伸ばしていくのである。
 投げるのは、ナイフ代わりの大きな『釘(くぎ)』だった。長さは5プース(約13.5センチ)ほどある。
 一人10本ずつその釘(くぎ)を渡され、それがなくなるまで投げ続ける。投げ終わったら、投げた者が釘(くぎ)を回収し、次の順番の者に手渡していく。
 これを四回繰り返すと、また自分の番になるのだが、誰もが早く番が回ってこないかと、いそいそとしていた。
 投げナイフは、彼らも普段から手慰(てなぐさ)みによくやっていたが、このようにきちんと教えてもらうのは初めての事だった。
 不良達にとって、ナイフを上手く扱(あつか)える事は子供の頃からのあこがれだったし、それだけに早く上達したかったのだ。なかなか思ったところに投げられなかったり、上手く刺さらなかったりしたが、それでも訓練は楽しかった。
 釘(くぎ)は鍛冶屋に頼んで平(ひら)たくしてもらっていたが、やはりナイフに比べると投げにくいし、刺さりも悪かった。とはいえ、練習用に30本ものナイフを購入するには予算が少々足りないのだ。釘(くぎ)でさえもこのサイズになるとけっこうな値段がするのである。
 『探索方(たんさくがた)』の創設はロベール伯爵から許可を得ていたが、その予算を管理するティボーはなかなかに渋かった。ほんのわずかな金しか渡してくれないのだ。
 頼純はその運営費捻出(ねんしゅつ)と経費削減に頭を悩ませていた。

 熱心にナイフ投げの訓練にいそしむ不良達の傍(かたわ)らには、サミーラと頼純が立ち、腕の振りなどの動作や目線の向け方を一投ごとに注意・助言していった。
 頼純は一同に語り掛けた。
「この仕事では、泥棒のように他人の家に忍び込み、ナニかを捜さなきゃならねェ場合だってある。 そして、そこで捕まえられたら、その理由を話せず、牢(ろう)につながれる事だってあるぞ。 さらには拷問(ごうもん)されるかもしれねェ‥ そんな事に堪(た)えられない者もいるだろう 」
 順番待ちをしていた者達が頼純を振り返った。
「今のお前達はただの不良だ。 チンピラに過ぎねェ。 ちょっと喧嘩っ早(ぱや)いだけで、本当は心が弱い者だっているだろう。 つまらねェヘマをやらかす者なら、かなりの数いるハズだ。 暴力に屈する者、誘惑に負ける者、拷問(ごうもん)に堪(た)えきれねェ者‥‥ などなどだ。 」
 頼純は不良達に厳しい現実を伝えた。
「だが、そうした失敗は、自分や仲間達の『死』に直結する。組織の崩壊や、場合によってはこのファレーズが戦渦(せんか)に巻き込まれる事だってあるだろう。 そのせいで、親兄弟や友達が殺され、この街自体が消滅する事だって考えられる 」
 頼純の訓示に、釘(くぎ)を投げていた者達もその手を止め聞き入った。
「だからこそ、お前達は『探索方(たんさくがた)』として様々な訓練を詰まなければならない! 」
「‥‥‥‥ 」
「もちろん俺だって‥ お前ら全員がそれらすべての訓練を完璧に習得できるとは思ってねェし、それを求めてもいない。 人によって、得意な事、不得意な事があり‥ 上手い者、下手な者がいるからだ。 だったら、ある分野が得意な者は、その専門家になればいいんだ。 そして、誰でも必ず得意分野はある。 安心してていいぞ 」
 『カラス団(コルブー)』達は期待に目を輝かせている。
「ただし、互いの仕事を理解し、あらゆる危険を避けるためにも‥ すべての訓練で最低限の段階にまでは達してもらわなければならねェ。 それには、その分野が苦手でも、それを克服するための努力が必要となる。 これからの毎日は、その努力を詰む日々だ。 覚悟しておけ! 」
はい(ウィ ムシュー) 」


 再びナイフ投げの訓練に熱が入るフルベール邸の裏庭に、ひょっこりとティボーが現れた。
「これはこれは‥ ご精がでますな♡ 」
 彼は明らかに愛想笑いを浮かべている。
 頼純は『何しに、こんなところへ来やがった? 』と思ったが、ティボーの後には一人の老剣士も一緒だったため、その言葉を呑(の)み込んだ。
 ムスッとした顔の頼純にティボーは老剣士を紹介した。
「コチラ‥ わたくしの兄、エルキュールでございます 」
 意外ではあったが、ティボーに恥をかかせるのも大人げないと思った頼純は恭(うやうや)しく挨拶(あいさつ)をした。
「ああ‥ お初にお目に掛かります。 ティボー殿にはいつもお世話になっております 」
「うむ‥ 」
 老剣士・エルキュールは鷹揚(おうよう)に頷(うなず)いた。
 七十に手が届こうかという年齢のエルキュールは、枯れ木のようにやせ細っていた。短めに切られた髪は、すべて白髪である。この歳でこの体では、その腰にぶら下げた長剣(エペ)を振り回すどころか、持ち歩く事もおぼつかないであろう。だが、それでいてどこか威風堂々(いふうどうどう)としていた。
 老剣士を観察していた頼純に、ティボーが声を掛けてきた。
「あのォ~~~お‥ ヨリ殿がお忙しい事は十分理解しておりますが‥ これから、わたくしと兄をエレーヌの森まで連れて行ってはもらえませんでしょうか? 」
 いつになく下手(したて)に出るティボーに、頼純は少々気味が悪かった。
「ナ‥ ナニ言ってんだよ。 そんなコトはほかの者に頼めばいいだろう! 城にはいくらでもいんだろうが! 」
「まぁまぁ‥ そうおっしゃらずに、お願いしますよ♡ 」
 そう言うティボーの作り笑いが、頼純をよけいにイラつかせた。
「ちょっと来いよ 」
 頼純はティボーの肩に腕を回すと、強引にエルキュールから離れた場所へと連れて行った。
 そして、ティボーの胸を人差し指でツンツンと突っつきながら、低い声で威嚇(いかく)した。
「この野郎ォ‥ 最近はこの俺様が、土地や租税の台帳作りなんかを手伝ってやってるからって‥ テメーを許したとでも思ってやしネーか? 」
「え!? はい? 」
「テメーはこの俺を二回も殺そうとしたんだぞ! そんなテメーに対して、俺は一切好感を持ってねェし、テメーの頼み事なんぞ聞いてやるつもりもねェ。 わかったら、とっとと帰(けー)りやがれ‼ 」
 それでもティボーは頼純に懇願(こんがん)した。
「そんなコト言わずにお願いしますよ。 ヨリ殿しか頼れる者がいないのですから‥! 」
「はあ!? 」
 いつもの憎まれ口はすっかり影を潜め、ティボーは心から頼んでいるようであった。
「いや‥ あの森には多くの山賊が棲(す)みついておりまして‥ わたくしとあのような老人では、とてもとてもたどり着けるものではありません。 」
「まあ‥ だったら、ロベール伯にでも頼んで――― 」
「そんなァ‥ 主人である若様にわたくしの口から、『兵を出してくれ』などとは‥ とても、とても申し上げられません 」
「いやいやいや‥ ちょっと待ってよ! だったらこの俺の方が、よっぽど『申し上げにくい』と思うんですけど―――なんせ、テメーは二度も俺を殺そうとしたんだからね! そうでしょう!? 」
 ティボーは両手の指を組み合わせると、神に祈るように頼純に頼み込んだ。
「そ‥ そこを何とか! それに、ヨリ殿以上に強い武者は、このファレーズには―――いえ、ノルマンディーはおろか、フランス中を探してもおりませぬゆえ。 どうか、お願い申し上げます 」
「はあ‥!? 」
 頼純はあからさまに面倒臭そうな表情をした。しかし、無視もせず、キッパリと断ろうともしないという事は、彼の心が少し揺れているのであろう。
「お願いします。 ホントにお願いします。 」
 必死に頼み込むティボーに少々ほだされ気味の頼純だったが、渋い顔で腕組みをした。あっさりと了解するのは口惜(くちお)しかったからである。
「う~~~ん‥ 」
 頼純はしばし考え込んでいたが、何かが閃(ひらめ)いたようだった。
「だったら、『探索方(たんさくがた)』の予算―――5倍にしてくれ! 」
 それには、ティボーもさすがに顔を顰(しか)めた。
「いや‥ 5倍というのはふっかけすぎでしょう。 それは無茶というものですよ 」
「じゃあ、4倍! 」
「う~~~ん‥ 3倍でなんとかお願いします。 その代わり、投げナイフ50本とそろいの装束(しょうぞく)もつけますから! 」
「ヨッシャ‥ じゃあ、それで手ェ打とうじゃネーか! 」
 それはある種の賄賂(わいろ)であった。公金の予算配分を、ティボー個人の頼み事をかなえる代わりに、増額してもらうのである―――歴史が教える通り‥やはり、人間は弱く、清く正しく生きていける者は数少ない‥‥‥‥!
「で‥ いつ出発する? 」
 頼純の問いに、離れた場所にいたエルキュールが答えた。
「ワシはいつでもよいぞ。 すぐにでも出発できる! 」
「え!? この距離でも、あの爺さん聞こえてんのかい? 耳がいいねェ‥ 」
 驚く頼純に、ティボーが再び愛想笑いを浮かべた。
「ハハハ‥ まあ‥ 」
 その笑顔に、頼純はなんだか嫌な予感を感じた。
 と突如、エルキュールがブレー(ずぼん)の股間(こかん)を開くと、その場でジョボジョボと放尿し始めた。
 その行動に、頼純のみならず、『カラス団(コルブー)』全員が驚いた。
 サミーラは「キャッ」と顔に手を当て、頬(ほお)を赤らめる。
 引きつった笑顔でティボーが申し出た。
「へへへへ‥ 兄は齢(よわい)七十も間近でございまして‥ 少々ボケてきております♡ 」
 頼純はガックリと肩を落として溜息をついた。
「はあ~~~あ‥ もううんざりだよ! 」