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1026年 エレーヌの森(3)
絶句してしまった頼純を、エルキュールはせせら嗤(わら)った。
「フン! それぐらいの事、お前の太刀筋(たちすじ)を見ればすぐに判るわ。 テュロルドよ‥ お前の剣は、相手の死を恐れ、その死から逃げておる―――腰抜けの剣じゃ! 」
「‥‥あ‥ そ‥ それは――― 」
「そして、そのような者は、本当の騎士(シュヴァリエ)には―――剣士にはなれん! お前の弱い心では、どれほどの剣技を持っていようとも、この小屋から一歩出れば、あの山賊どもの餌食(えじき)となるだけ! お前が最強の剣士にならんと欲(ほっ)するのならば、まずはその心を鍛(きた)えねばならんじゃろう! 」
『ボケている』、『老人だ』と小馬鹿にしていたエルキュールに、頼純の秘密はすべて見抜かれていた。
× × × × ×
いまから3年ほど前、頼純は宋人の隊商(たいしょう)に紛(まぎ)れ込んで、タクラマカン砂漠を敦煌(とんこう)からヤルカンドへと向かっていた。そしてさらに西の―――できれば、波斯(ペルシャ)の巴格達(バクダード)までなんとか辿(たど)り着きたいと考えていた。
西域の商人達の話では、巴格達(バクダード)は砂漠の真ん中に作られた巨大な城塞(じょうさい)都市で、高い高い壁で街全体が囲(かこ)われているという。白い石と金(きん)で作られた宮殿や寺院がアチコチに建てられ、それらは目も開けられぬほどに輝いているそうである。100万人をはるかに超えるその街の盛況(せいきょう)ぶりは、宋の都・開封府(かいふうふ)にも負けない繁栄を誇っているらしい。その上、そこには見た事もない動物が住み、聞いた事もない植物が生え、日本や宋とはまったく違った文化があるというのだ。
彼(か)の地が、異教徒を拒(こば)むという事を知らなかった頼純は、ぜひともその光景が見てみたかった。
そんな思いに胸を膨(ふく)らませて旅をしていたある日、隊商は黒い嵐(カラ・ブラン)といわれる強烈な砂嵐に遭遇(そうぐう)してしまったのだ。
三日三晩続いた黒い嵐(カラ・ブラン)は、隊商の4分の1の人命を奪い、4分の1を行方不明にした。
生き残った者達も、大半の水と食料、ラクダ、さらには方角までも失っていた。彼らは、砂漠のど真ん中をただ彷徨(さまよ)うしかなかったのだ。
やがて、水の分配で喧嘩(けんか)が始まり、殺し合いとなった。この時、頼純は襲い掛かってきた仲間を7人も斬り殺してしまったのだった。
だが、彼らはただ水が飲みたかったダケなのである。苦しくて苦しくてたまらなかったから、人の物を奪おうとしたのだ。嵐の前までは、皆、気のいい者達ばかりだった。そんな仲間を、頼純は無残にも殺してしまったのである。
もちろん、これが頼純にとって、初めての殺人というわけではなかった。15歳からの2年間、海賊をしていた彼は、宋や高麗(こうらい)の船を襲い、斬り合いをしながら暮らしていたのだ。そんな中には死んだ者も多くいたはずである。
ただ、今回の場合、殺したのは自分がよく知った仲間だったのだ。それゆえに、その精神的打撃もかなり大きかったのである。
その後、隊商の生き残り達は、さらに殴り合い、殺し合いを続け、10人ほどにまで減ってしまった。
これ以上の殺し合いを避けるため、意見の合う仲間同士に別れ、それぞれが別行動をとろうと―――頼純が提案した。そして、水と食料を人数分にきっちりと分けたのである。
頼純の仲間は4人だった。
4人は西に向かって懸命に進んだ。だが、灼熱(しゃくねつ)の太陽は容赦(ようしゃ)なく頼純達に襲いかかる。
そして、行けども行けども、街はおろかオアシスさえなかったのだ。
やがて食糧は尽(つ)き、水も完全になくなってしまった。それでも、彼らはさらに三日間歩き続けた。
しかし、ついに仲間の1人が倒れてしまったのだ。彼は全身に火ぶくれがおきており、燃えるような高熱も出していた。とても、歩く事は無理である。
彼は置き去りにされるのなら、ここで殺してくれと懇願(こんがん)した。もう十二分に苦しんだし、これ以上苦しむのはいやだと―――。
そんな彼を哀れに思った頼純は、小烏丸(こがらすまる)で心臓をひと突きにしてやった。彼は微(かす)かな吐息を漏らして絶命したのだった。
その男の遺体を埋めてやろうと、2人の仲間を振り返った時、頼純は後頭部を強く殴られて気を失ってしまった。
夜になり、あまりの寒さに目を覚ました頼純は、2人の仲間がナニかを食べている後ろ姿を目にした。頼純は、それが何なのかを知りたくなかった。
頼純は仲間から差し出された生肉を断り、彼らと別れて夜の砂漠をひとり進んだ。
それから二日間、殺した者達の亡霊(ぼうれい)に悩まされながらも、かろうじて生き延びた頼純は、ついにロレンツォの隊商に救出されたのだった。
だが、その後のインドでは、ロレンツォらに襲い掛かるカズナ国の兵士を100人以上斬り倒したが、それらはすべて手足を斬るダケであった。
あの砂漠の夜を境に、頼純は人を殺す事がまったくできなくなってしまったのである。
× × × × ×
頼純は、エルキュールの言葉をいっさい否定しなかった。それは、頼純が『人を殺せない』という弱点を持つ事を認めたという意味である。
その事実を知ったシュザンヌは、大いに驚いた。
「ワァ~~~オ! ホントにそうなんですか!? それって、私がニセ老婆だった事よりも、ずっと衝撃的真実だと思うんですけど 」
「‥‥‥‥ 」
意外にも、彼女は野次馬的好奇心が旺盛(おうせい)な人であった。
「発覚! ノルマンディーの勇者―――異邦人『ヨリ』は、じつは剣の達人ではなかった! 」
シュザンヌにからかわれた頼純は、苦々しい顔ながらも、素直にそれを認めた。
「はいはい、おっしゃる通りです。 俺は人が殺せません! 剣の達人でもないんでしょうよ。 でもね‥ 俺は自分から『勇者』だの、『剣の達人』だのって名乗った事はねェからな 」
そこへ、外にいる山賊がしびれを切らして怒鳴ってきた。
「ナニしてやがる! いいかげんにしやがれ‼ 本当に火を付けるぞ 」
頼純はシュザンヌに苦笑いを向けた。
「ああ言ってっけど‥ アンタはどうすんだい? 俺ははったりかまして、奴らを追い返そうと思ってたんだけど‥‥ 他にも方法があるんだよねェ!? だから、シュザンヌ姉さんはそんなに呑気(のんき)にしてるんだろう? 」
「まあねェ‥! ここは祖祖母の代からシュザンヌ一族が大切に守ってきた秘密の隠れ家だったんだけど‥ みんなにバレたんじゃ、もうしょうがないです! この場所は諦(あきら)めましょう! 」
「いやいやいや‥ 隠れ家を諦(あきら)めたからって、表にいる大量の山賊がどうにかなるのかよ? 」
その問いに、シュザンヌはシレッとした顔で返した。
「ええ‥ みんな殺しちゃえばいいでしょう! どうせ、あいつら‥ どうしようもない悪党なんだから。 だったら、全員殺しちゃってもまったく問題ないと思いますよ 」
「え!? 」
頼純はその言葉に、彼女が一抹(いちまつ)の憐憫(れんびん)やためらいを感じていない事に驚いた。それは人の命を救う医者の言葉とはとても思えなかったのだ。
そんな頼純にシュザンヌは楽しそうに説明する。
「ここは、いにしえのローマ帝国が作った砦(とりで)なんです! だから、とんでもない仕掛けがいくつもあって、それらはまだ生きてるの♡ 」
「はあ‥! 」
「だから、大丈夫! 」
シュザンヌは自信タップリに微笑(ほほえ)んだ。
× × × × ×
小屋の前では、山賊の頭目(とうもく)『黒熊のダミアン』が大声を上げていた。
「テメー‥ この俺様が『火ィ着ける』て言ってるのを、ただの脅しだと思ってんだろう! だったら、もうお宝なんてどうでもいいや。 この小屋燃やして、魔女の丸焼きを作ってやるぜ。 その黒焦(くろこ)げになったテメーを肴(さかな)に酒盛りをしてやる! 」
そう言いながらも、シュザンヌが死んでしまえば、宝の在(あ)りかは判らなくなってしまう。ダミアンは掛け声ばかりで、なかなかそれを実行できないでいた。
「‥‥‥ 」
だが、シュザンヌの庵(いおり)からはいまだに何の返答もない。
さすがにこの対応は、ダミアンにとって屈辱的であった。彼は多くの手下の前で相手に無視され、大恥をかかされたのだ。
頭目(とうもく)ダミアンは怒りに顔を真っ赤にし、奥歯をギリギリと鳴らした。
「じょ‥ 上等じゃネーか! 火だ、火を着けろ! 」
「は‥ はい! 」
その時、やっと庵(いおり)の扉が開かれた。
中から現れたのは、頼純である。彼は70~80人はいる山賊をゆっくりと睥睨(へいげい)した。
「おいおいおいおい‥ そう慌(あわ)てんなって! とりあえず、この俺様が話を聞いてやらあ‥! 」
頼純は扉を閉めると、ゆっくりとした歩調で頭目(とうもく)の前へと進み出た。
その頼純に、『黒熊のダミアン』は苛立(いらだ)った顔を向ける。
「なんだ、テメーは? 男なんぞに用はネーんだよ! ババアを出しやがれ! シュザンヌババアだよ‼ じゃネーと、テメーを切り刻むぞ! 」
ダミアンの傍(かたわ)らにいた山賊が、頼純を指差し、大きな声を上げた。
「コイツです、コイツ! ポール達の手足を斬りやがったのはコイツです!」
「ナ‥ ナンだとォ‥! 」
いきり立つ山賊達を無視して、頼純が頭目(とうもく)に尋(たず)ねた。
「で‥ テメーらは、どうやってこの場所が判ったんだい? ここは誰も知らネーはずだぞ 」
どす黒い笑顔で頭目(とうもく)のダミアンはそれに答えた。
「こう見えても、この俺様はなかなかに用心深くってな‥ 商売に出た子分達が、襲ったカモのお宝をちょろまかさねェように‥ いつももう一人、見届け人を付けているんだ。 今日はこの野郎が見届け人で、ポール達が強盗しているところを物陰から見張ってたのさ。 そしたら、ポール達がオメーらにやられちまって、逃げてった。 けど、コイツはその後もオメーらの様子を監視してたんだ。 そこへ魔女のシュザンヌがのこのこと現れやがった。 だから、その跡(あと)をつけさせてもらったってワケさ♡ 」
得意げに長々と説明をする山賊の親分を、頼純は鼻で笑った。
「そうかい。 それはご苦労な事だったが、あいにくとここにはお宝はねェそうだ。 お宝があるってーのは、嘘なんだとよ! 伝説というか、迷信なんだって 」
ダミアンは烈火(れっか)のような怒声を上げた。
「ふざけんなッ! テメー‥ 俺達をなめてんのか、あん!? ちったァ剣が使えるからって、テメーもそんな大口を叩いてやがるんだろうが‥ これだけの人数相手じゃ、そんなモン何の役にもたたネーんだよ! ブッ殺されたくなかったら、さっさとババアを出しやがれ! 」
だが、そんな恫喝(どうかつ)にも頼純は一切たじろがない。相変わらず、薄笑いを浮かべている。
「そうだな! たしかに、この俺様がとてつもない凄腕(すごうで)で、この剣がどれだけ斬れようとも‥ こんだけの人数を相手にするのは、ちょっと無理だなぁ‥! 」
「だったら――― 」
「斬り殺せるのは、最初の20人だろう! 」
頼純は腰の小烏丸(こがらすまる)をサラリと抜くと、その切っ先を静かに山賊達に向けた。
「で、その20人には誰がなるんだ? 確実なのは、親分のオメーだ! 真っ先にブッ殺してやるよ。 その後に、この俺様から殺される19人は―――オメーか? それとも、そっちのオメーかい? 」
その言葉に、80人近くいる山賊達はみな震え上がった。
突如(とつじょ)、その中の1人が素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げる。
「あ‼ コイツ、『勇者様』だ! ホラ‥ 巨大ドラゴンを殺したっていう、あの有名な『勇者様』ですよ! 」
その言葉に、山賊達は口々に頼純の噂話を語り始めた。
「ツー事は‥ ノルマンディー最強の戦士、エノーとアンドレの兄弟を倒したってェ、あの異教徒かい? 」
「じゃあ‥ 『山犬のジャン』兄貴んトコの若い者をさんざん斬り殺したって言う―――あのサラセン人!? 」
頼純は余裕の笑みを浮かべた。
「そうだよ、この俺がその『勇者様』だ! 俺の強さが判ったんなら、オメーらも尻尾(しっぽ)を巻いてとっとと帰(けぇ)りやがれ! 」
頼純はこれで山賊達が退散すると確信していた。
だが、山賊の頭目(とうもく)『黒熊のダミアン』はさらに怒り、手にしていた剣を振り上げた。
「冗談じゃネーぞ! 『山犬のジャン』は俺のかわいい舎弟(しゃてい)だったんだ! そのジャンがオメーのせいで死刑になったんなら、絶対に許す事はできねぇ! どんだけ仲間が死のうとも、お前だけは必ずブッ殺してやる‼ 」
「ありゃりゃ‥ そう来やがったか! 」
だが、頼純の顔から不敵な微笑(えみ)が消える事はなかった。